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THE・執着!

シューチャク!

しゅうちゃく!

終着?

NONO!

THE・執着!

について。

「執着」 
一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと。
執着とは、仏教において、事物に固執し、とらわれること。主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きとする。サンスクリット語でabhiniveśa アビニベシャ 執「著」と書くこともある。仏教用語というより、一般的な用語であり、現代語の執着によく似た意味で、煩悩(貪)の用語としてのrāgaラーガ あるいはlobha ヨーバに近い。

人は何かに「執着」します。

お金、パートナー、子供、親、仕事、立場、友人、家、環境、食べ物、趣味嗜好、などなどなどなど…。

人は手に入れたそれらを“失いたくない”ゆえに、しがみつきます。

あなたもきっと大なり小なり、執着があると思います。

意識高い系の人たちは「人生を良くするために手放そう」とか言いますし、昔から「去るもの追わず」なんてことわざがありますが、人は「手放す」ことが何よりも難しいし、また、自分の元から「去るもの」にすがり、追いたいのです。

言うまでもありませんが、この執着が、我々の人生をさまざまな形でこじらせます。

我々の人生は、ある種の「編み物」のようなものです。横糸と縦糸が複雑に絡み合いながら、紋様が織り上がっていきます。

今、あなた自身や、あなたの人生を見渡してください。

その人生は、あなたがこれまで織り上げて来たものです。

美しく編み上がっているでしょうか?

縦糸と横糸だけでなく、編み物には、糸を”結びつける力”が必要です。

はた織り機を見たことありますか?縦糸に、横糸を交差させ、それを長い棒でとんとんとんと、圧(力)をかけて均一にならす。

そう。ここには圧をかける均一さが必要です。右が強くて左が弱いとか、真ん中だけ強くて左右が弱いとかだと、生地は歪みます。美しい編み物になりません。

我々の人生をこじらせる執着とは、均一にしなければならない生地の一箇所に力を入れ過ぎてしまうようなものかもしれません。

そうなると結果として、意図していない他の部分が引っ張られるし、以前編み上げた生地もほつれさせるかもしれません。

縦糸と横糸のバランスが崩れると、結果として糸を絡ませます。

こじれるから、こじれを治そうと、さらに力を込めます。だからますます糸は絡まります。

しかし、我々は優秀なハタ織り機をもっているので、こじれてしまったなら“こじれたまま”でも、何とか織り上げてしまうことが可能です。しかし、そのせいで出来上がった生地は歪み、美しさを損ない、今後大事な箇所を織り上げる際の支障になってしまいます。

多くの人が残念ながら、そのような状況で生きています。だからこの偏ってこじれた糸を、一旦ほぐして、ニュートラルにしないとならないのです。

このこじれた糸をほぐす作業は時間がかかります。

今までに、きっと何度も何度もさっさと解決させようと、安易に引っ張って、強引に解こうとして、余計にこじらせて来たのだとしたら、やはりほぐす作業はなかなか骨が折れます。

しかしここに着手しない限り、あなたは歪んだ生地を織り続けるしかないのです。

まず、解こうとする前にやるべきことがあります。

それは現状、今この瞬間も、こじらせるために糸を引っ張っていないか? というチェックです。

おそらく、すでに歪んだ状態で織り続けるクセがついているので、仮にどこかが解けたとしても、次から次へとまたこじれていくので意味がないのです。

解決するために(ほどくために)、ひょっとしたらあなたは誰かを頼ったり、力を借りて臨んだことがあるかもしれません。

優秀なカウンセラーやセラピストは、問題を解くための答えやヒントをくれます(相性もありますが)。

しかし、どこか一箇所をうまく解けたとしても、根本的にあなたがアンバランスに押しつけたり、引っ張ったりしてこじらせ続ける限り、一度解決したところで、また歪み、ねじれていきます。

しかも、今度はそれらのセラピストなり、自分を導くメンターに「執着」します。皮肉なもので、優秀な悩み解決のプロが誰かの悩みを解決すると、また次の執着が生まれたりします。真の有能なメンタル系のコーチは、問題解決の代行ではなく、自立を促すコーチでしょう。

話を戻しますが、とにかく執着という拗れた糸を解きほぐすには、自分を知ること、それにつきます。

まずは、

・自分が何に対して執着しているのか?

を知らないとなりません。

手放す云々の前に、手放す対象がわかってないのに、糸だけ引っ張ってもダメなのです。絡まった糸のポイントを見つけないならないのです。

そして、

・どうして執着しているのか?

を知ることです。絡まった糸の“ダマ”になってる部分はわかった。次は、どの糸とどの糸が絡まっているのか?を理解すること。

基本的に執着するポイントは、「失ったらもう手に入らない」と思っているものです。

例えばあなたは神社にお賽銭を5円、ぽーんと入れることができるでしょう。でも10000円はぽーんと入れれません。

それは10000円の価値観もありますが、それ手に入れるには、また労力が必要ですから、5円玉のようにいきません。つまり、5円には執着はないけど、10000円には執着しているってことです。

なぜなら5円はすぐに手に入るけど、10000円を手に入れるにはそれなりの労力がかかるとか、人によっては「そう簡単に手に入らない!」と思ってるからです。

いつも食べてるご飯を「もうお腹いっぱいだ」と残して処分することはできても、滅多に手に入らない高級食材(例えば松茸とか、ウニとか、カニとか)なら、お腹いっぱいでも無理して食べますよね?(笑) これも執着です。

でも考えてみてください。

本当にもう手に入らないのか?

そこであなたは「家族は手に入らないぞ!」と言うかもしれませんが、これは実は「人」を対象にしているようで、「その人といる時の自分の感情」に執着しているのです。

まずはわかりやすく恋愛に例えましょう。

誰かにフラれるとします。その人は自分の元を去っていきます。悲しくて、別れを拒否し、受け入れたくないと思います。

でもその人を愛するのならば、その人が望むことを、自由にさせてあげるのが一番です。縛り付ける権利なんてありません。

その人と一緒にいることで、さまざまなメリットとしての感情を得ていたはずです。楽しさ、安心感、性的満足など、それらのメリットを失いたくないのです。

もちろん、こちらは一緒にいたいと思うのに、向こうが別れ望んでしまったら「寂しい」という感情は湧くでしょう。でも人はそういう際に納得できないという思いから、怒りを感じたりするのはなぜでしょう?

完全に「エゴイズム」であり、自分の幸せのことしか考えていないだけです。相手を思ってないです。自分を責める人もいますが、これも相手を責めれない「陰(陰キャ)」の人が、矛先を自分に向けているだけだったりします。

次に「子育て」を例に出しましょう。

ある程度子供が大きくなると、親の望んだ通りになんてまずなりません。好き勝手にやり始めます。自立心の強い子なら、まず親元を出ていくでしょう。

その時にその子の自由にさせて、旅に見送り、旅先の無事を案じ、見守るのが親の務めであり、それで子育ては終了です。

でも、執着し、あれこれ口を出し、コントロールをしようとします。

「あなたのため」とか言ってね(笑)

恋人、パートナー、子供など、それら目の前にいる「ありのままのその人」への執着とみせかけて、実は自分のエゴに執着しているのです。

その人がいることで安心感や快楽や喜びというメリットがあると書きましたが、さらに自己価値(自分の必要性)や、自分の存在意義(アイデンティティ)も得ていて、それを失いたくないのです。

ここで、糸がこじれてるのがわかりますか?

単に「カレシへの執着」という“自分”と“彼氏”の2本の糸ではなく、それらをフェイクにした自分のもっと奥深い「エゴイズム」や「あなたのため」とか「私は悪くない」とか「向こうが悪い」という想いの糸が交錯しています。

自分の得ていたさまざまなメリット(安心感や、自己価値、存在意義)を喪失するかもしれないという状態はとてもストレスに感じるので、それを怒りや悲しみに任せて、短絡的に解決をはかり、糸を引っ張ってしまう。

やれやれ、これではますます絡まりますね。

だから「知ること」です。なんでこじているのかを?

そして今まで得ていたメリットは、「今後も得られる」ということを知ってください。

「もう手に入らない」という思いが執着を生みますが、例えばお金がなくなっても、お金はまた働けば手に入ります。

カレシにフラれても、また別の人との出会いはあります。

お金も恋愛も、もう2度と手に入らないかもしれないという思考は「恐れ」です。

あなたには可能性がたくさんあるのに、「恐れ」で自分の可能性を閉ざさないでください。

もっと良い仕事が見つかるかもしれないし、もっと素晴らしいパートナーに出会えるかもしれないのです。

子供が巣立ったことで、もっと自由になったり、子供ものびのびと自分の人生を謳歌するかもしれません。

今住んでいる環境を離れて、もっと良い環境や居心地良い住まいに出会えるかもしれません。

そして今後、あなたが自分の人生を創造していく際に、無駄な力をかけないことや、絡まったら無理に引っ張らないことを意識してください。縦糸と横糸で、美しい織物を仕上げるために。

そのためにも、体や考え方の癖を取り、感情に振り回されず、冷静に見守る力を育むべきなのです。

そして最後に、執着の糸の力のかかり方が強くなる理由を説明すると、これは恐れが強ければ強いほど、執着は高まるのです。

どういうことかわかりやすく言うと、例えば上記の「恋人への執着」で、得られるメリットが「安心感」や「楽しさ」と述べましたが、

『ものすごい不安な人が得てる安心感』
『一人では退屈でおかしくなりそうな人が得てる楽しさ』
『激しい性的欲求不満の人が得た性的満足』

これらの人は、元々が不幸せという名の「マイナス状態」にいるため、そこで誰かといるおかげで「プラス状態」になったら、それはとにかく多大なメリットになります。

だから「絶対に失いたくない!」という思いが強くなりますし、失った際の恐怖は強いです。(モテない人だと尚更「もう手に入らない」という恐怖も強い)

反対に普段から「安心、安定」があって、「一人でも充実」してて「性的に不満でもない」なら、その相手がいなくなってもさほど困りません。

つまり、相手がいなくなっても「0」に戻るだけで、寂しさは感じてもさほど執着はしません。

執着心は、どうやって生まれるのかもわかりますよね?

だからまずは「一人でもそこそこ幸せな状態」にならないと、いつまでもこのループが続く可能性があります。

お知らせ

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予定スケジュール
7月29日 つながるからだ、つながるこころ in 京都
8月3日  感覚解放ワーク ニュータイプセミナー 東京
8月10日 visionセミナー 東京(オンライン配信、アーカイブあり)
8月17日 つながるからだ、つながるこころ 東京

7月21日。「目覚め=Awakening」新大阪

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