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「不登校」について思うこと

先週の事。
妻が外出してたので、息子と二人でモスバーガーに行き昼食を食べ(僕はソイパテの菜摘で)、その後に、息子の服を買うためにユニクロへ行った。

息子くんは14歳の中学2年生。この頃ぐんぐん背が伸びている。服はもう「Kids」ではなく「Mens」だ。しかもSサイズだとぴったりすぎて、今回はMサイズを買った。俺に似てかなり痩せ型なので、ウエストとか太さはともかくだが、手足の長さで合わせるとメンズのMサイズで少し大きいかな、というくらいだ。

ついこの前まで、KIDSコーナーだったし、ベビー服を買っていた時代も、そんな昔とは思えない。しかしいつの間にやら、大人サイズの服を着るようになっているというのはなんとも不思議な気がした。

息子は過去に一度、不登校の時期があった、と過去にも書いたことがあるが、今一度、今思うことを書いてみようと思います。

小学1年生の頃で、今となっては珍しい存在ではないし、その当時も都会では不登校児童なんてたくさんいたし、社会的にも認知されていた。

しかし、僕らが移り住んだ、1学年20人程度の長野県の田舎の集落の小学校では、それはかなりレアなことだった。(確認はしていないが、その学校ではそれまでにそのようなことはなかったのでは?という感じがした)

僕らが子供の頃「学校に行かないでいい」という概念そのものがなかったと思う。2、30年前には、不登校児童といったら、社会的認知はなかっただろうし、子供たちも、どんなにイジメられていても、辛くても、学校に行った。逃げ場はなかった。

今でもそういう価値観を受け入れない人はいるだろうけど、田舎では特に古い価値観が普通にまかり通っていると思う。だから、そういう地域で「身体的な病気や怪我でもないのに学校に行かない」という選択をするというのはなかなか周囲からは理解されない。

とにかく大前提に「学校は行くもの」であり、「学校に行くのが正しいこと」なので、教師達もあの手この手で息子を学校に連れ戻そうとしていた。

「とにかく来ること。一日中保健室にいてもいいんです。学校が安全だとわかればまた来るようになります!」

と、教師達は言った。

僕は当時は何も知らず、やはり自分自身の常識や既成概念、そして世間の目や、教師達の言うことにブレて、初期の頃、息子を無理に行かせてしまった。校門まで車で連れて行き、泣きながら暴れて抵抗する息子を、男教師二人で取り押さえながら連れて行く姿は、今思い出しても胸が痛む。

息子はその後ひどい喘息になり、そこで僕と妻はようやく「行きたくなるまで行かせない」という決断をした。そこまでひどくならないと気付けなかった、アホ親で、最低の父親だったと思います。

「学校に来ない間はゲームをさせないでください。休むことに居心地良くなると、ますます学校に行きたくなります」

と、校長先生に言われたが、とにかく諸々無視して、好きなようにさせた。なんでも買ってあげた。だってそれまで、我が家はとにかく「テレビだめ」「お菓子ダメ」「ゲームだめ」で抑圧してきたから…。

息子は抑圧された分、抵抗を形にしてくれた。それで僕はたくさんのことに気づけたし、そこから児童心理学とかの書籍を読み漁るうちに、インターネットで様々な流行的な自己啓発やスピリチュアルに触れた(それが一時期嫌になっていたスピリチュアル世界に再び足を踏み入れるきっかけになったのだが…)。

当時、一度だけカウンセリングを受けたことがある。

その人はいわゆる心理カウンセラーではなくて、「脳科学」「素粒子」とか「量子力学」的なアプローチをする、聞きようによっては、最近流行のスピリチュアルっぽさもある人だった。

「息子さんがなんで学校に行かないかわかりますか?」

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