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おばあちゃん

僕らの世界には「おばあちゃん」がいます。それは、血のつながった「祖母」としてのおばあちゃんもそうだし、単純に高齢の女性という意味でも、とにかく“おばあちゃん”という存在が、古今東西いるわけです。

おばあちゃんの中には、意地悪バアさんのような人もいるし、千と千尋の神隠しの「湯婆婆」とか、魔女のような怪しげで恐ろしげなおばあちゃんもいることはいるが、一般的なおばあちゃんは、おっとりとしてて、ゆったりとして、半分は優しさでできている、という人が多いような気がする。

そして、この世界が平和に成り立つには、そんなおばあちゃんたちの優しさがとても重要だと思ったりもする。

もちろん、同じようにおばさんもおねえさんも女の子もいて、おじいちゃんもおっさんもヤローもあんちゃんもいるわけですが、おばあちゃんって、なんだか不思議な存在だなと思うんです。

「女」の人なわけですが、いつでも頑張れば生殖可能なオスのジジイと違って、すでに「女“性”」としての生殖能力はなく、でもだからこその「女性性」と、まさしく「知恵袋」的な(それが例え迷信だったとしても)、いわゆる「おばあちゃんも知恵袋」ってものが僕らを助け、子供たちへを見守る眼差しは、本当にありがたいものだと思う。

ちなみにそれはそのおばあちゃんがかつて子供を「産んだor産んでない」は関係なく、その人の資質や人格のようなものなんだろうけど、上記したように、大半のおばあちゃんが、若い頃の毒気を抜かれ、身体もいい感じにシワだらけになって、ちょっと小さくなって、それで晩年に残った存在こそが、おばあちゃんがおばあちゃんたる所以なのでは?と、自分で書いていても一体自分が何を言ってるのかよくわからない顛末になってるが、今日はそんなおばあちゃんの話を書いてみようと思う。

僕にも当然「祖母」という関係性の人がいます。当たり前ですね。人の子ですから。ちなみに正確に言うと“いた”という過去形です。

父方の祖母は、僕が生まれる直前に亡くなっているので会ったことはない。元は寺の娘だそうで、ある時期に霊能者に弟子入りし、霊的な行を行っていたそうな。僕が子供の頃からちょっと「不思議体質」なのは、この祖母の影響とか、家系的なものは大きいと思う。

でも、実際に会ったことがないので、実質の思い出はない。しかし、我が家は祖母は他界しているが、家には父の父の母。つまり、僕のひい祖母がいて、僕の「おばあちゃん」は、ひいおばあちゃんだった。ひいおばあちゃんの話はこちらの書籍にも、

ちょこっと書いているので割愛するけど、大好きなおばあちゃんだった。

一方、母方の祖母。

もちろん、こちらも「おばあちゃん」で、ひい祖母が亡くなってから僕が「おばあちゃん」と呼ぶのは、こちらの祖母がメインとなる。

おばあちゃんはよく家にも来てくれたし、我が家もよくおばあちゃんの家に遊びに行った。正月などは必ずおばあちゃんの家で過ごした。長男夫婦(母の兄、僕の叔父)とその子供たち、他にも近くに母の姉妹が住んでいたので、正月は親戚が集まり、従兄弟もたくさんいたので賑やかだった。

小さい頃はおばあちゃんの家は「遠い」と思っていたけど、実際は歩いて30分もかからない距離だった。車で10分かからない距離に住んでいたけど、幼い自分には、そこそこ遠くて、いつでも会いに行けるけど、毎日会えるわけではないという距離感は、とても良かった。

おばあちゃんは厳しい一面はたくさんあった。食事の席で少しでも走ったりすると、「埃が立つ!」と言って叱られたし、挨拶とか、ちょっとしたことに細かく叱られた。でも、基本的には優しかった。そして、ワガママも聞いてくれたし、甘やかしてくれた。

そう、おばあちゃんは子供に甘い。これこそが、世界を平和にするキーワードだ。

もちろん、親とか学校とか、厳しい大人はたくさんいるし、そうやって子供は「世界にはいろんな人がいる」と学ぶのだろう。でも、同じくらい「優しい人」とか「甘えさせてくれる人」って必要だ。

今の時代のような母親がワンオペで子育て、家事、教育、すべてをやろうとしても、一人ですべての役をこなすのは無理がある。本来はこうして役割分担があったはずだし、おばあちゃんだってかつては「厳しいお母さん」の時代もあり、僕の母はかなり厳しくされたという。

ちなみに僕の母は末っ子で、その末っ子の僕は、おばあちゃんの親類の中でも一番年下だったから、けっこう可愛がってくれたと思う。

よく覚えているのが「山歩き」だ。登山じゃない。ただ、山を歩くのだ。

おばあちゃんの家は山の麓にあり、坂道を登った、民家がまばらな一角にあった。そこは広い庭と畑があり、家を出て10分も歩くと、そこは完全な「山」の道だった。車など通れない、未舗装の道。

その山道を歩きながら、一緒にキノコを採った。おばあちゃんは野草や山菜に詳しかった。まさしくおばあちゃんの知恵袋だ。

そのキノコがとても美味しかったし、自分で山を歩いて採った、というのも格別だった。

でも、実は初めは歩くのがめんどくさかった。家でのんびりする方が僕は好きだったのだ。でもおばあちゃんに半分無理やり連れ出され(そういう時は厳しかった)、山道を歩く。

でも、自然の中をぐんぐん歩いて、キノコを探して、毒キノコでもなんでも手当たり次第採ってカゴに入れたりしてると、元気になってくるし、楽しくなった。

春か初夏なのかはっきり覚えていないけど、野いちごを食べたもの思い出深い。その日は筍とか山菜を取っていたのかもしれないけど、

「これ、いちごだよ」

と教えられて、おばあちゃんが摘んで食べているので、僕も食べてみると、酸っぱくて驚いた。普通のイチゴと全然違う味だった。「すっぱー!」と驚く僕を見て、おばあちゃんは笑っていた。

小さい頃に、そういう体験ができたのはすごく貴重だと、後から思う。自然にあるもを見て、触れて、匂いを嗅いだり、直接口にいれて味わったり。僕の生まれた街は海も山もあり、とても豊かな環境だった。

しかし、その山は僕が小学校3、4年生の頃から、大きな車やショベルカーがたくさんやってきて、切り崩されて、禿山にされて、数年後に「〇〇ニュータウン」という住宅地になった。珍しいことではない。当時はバブルの時代。日本中にそんなニュータウンなる住宅地が出現した。

ただ、おばあちゃんと歩いた山と、「〇〇ニュータウン」が同じ場所だったと知ったのは、もう少し後になってからだった。

中学生の同級生が、その「〇〇ニュータウン」にたくさん住んでいて、彼らの家の周り、つまりニュータウンの周辺で遊んだり歩き回るうちに、「あれ?」と、おばあちゃんの家の前に抜けれることを知り、いろんな記憶がつながった。

同級生が何人も暮らしていたので、何も恨みごとはなかったし、それを知った時は「へぇ」というくらいだったけど、実は密かに「悲しかった」のだと、数年後に気づいた。

おばあちゃんが高校1年生の時に亡くなった後だ。

すでにその頃、祖父の(父方)の壮絶な死に際を見てたり、母は難病を発症していたし、母の入院してた脳神経外科には死にかけた人たちをたくさん見てきた。そして家は常にお金の問題とかあれこれあり、さらに僕自身も思春期で悩める年頃だ。そういう感情は麻痺してたというか、おばあちゃんの死に対して「悲しい」と感じる余裕もなかった。自分のことで精一杯だった。

だからおばあちゃんが「死んだ」と、一つの出来事として受け止めただけだった。病気とか、死とか、僕の中でそういう感覚が何か欠落していたのだと思う。

そして、そのさらに数年後だと思う。たまたま、その辺りに用事があって行った時だった。唐突に、山を一緒に歩いて、キノコを採ったり、野いちごを摘んだ時の記憶がリアルに蘇ったのだ。それまで、その記憶丸ごと忘れていた。

おばあちゃんが亡くなる前。僕が中学生くらいになってから、すでに僕も家族や親戚より、友達といる方が楽しかったし、家の問題で親戚付き合いがほとんどなくなり、おばあちゃんに会っても簡単な挨拶するくらいのドライな関係になっていた。そして、おばあちゃんが入院し、あっという間に亡くなって、葬式があって、さらに2年後くらいに、おばあちゃんがいかに僕にとって優しい存在で、幼い僕にとても良い影響や思い出を残してくれたのかと気づいた。

そこで初めて「おばあちゃんが死んだんだ」という現実を、頭ではない部分で受け止めた気がする。

そして、もう2度と歩けない、今や「〇〇ニュータウン」となってしまった小綺麗な住宅街が残酷なものに思えたし、そこに住む友人たちのその一家が、なぜか気の毒に思えた。

この世界には「おばあちゃん」がいて、僕はおばあちゃんという存在に出会うたびに、
ありがたいなと思ってしまう。その人に何をされたわけでもなくても、ありがたいなって。

僕もあれこれと、「生き方」や「人生」について探求したり、学んだり、そこで得た経験を伝えたり語ったりしているけど、そんな僕の持つ知恵なんて、おばあちゃんという存在の前には、「かなわないなぁ」と、頭を垂れたくなるような、そんな気持ちにさせてくれる。

不思議なことに「おじいちゃん」にはあまり思えないのだけど、この差はなんだろう? 
逆に、おじいさんって、なんだか悲しく見える時もある。男が年取っておじいさんになって、おじいさんとして存在し、おじいさんとして僕の人生のワンシーンにふと登場すると、なんだか物悲しくなったりする。悲哀というのだろうか?でも、皮肉なことに、その悲哀が、おじいさんという生き物の「面白さ」や「喜劇生」も生み出すので、それはそれでありがたいものだ。

でも、おばあさんに感じる、圧倒的な「おばあちゃん」力とは比べられない。そこには悲哀も喜劇もなく、良いも悪いもない、圧倒的な「善」というか、許しと慈愛の大いなる母性のようなものかもしれない。

もちろん、それは僕が男だから母性に対してそう感じるだけかもしれないし、おばあちゃんとの思い出のせかいもしれない。

でもこう思う。社会のために、子供たちの健康と成長を祈り、見守り、それを実現するのは大事だ。でも、おばあちゃんを尊敬し、大切にすることも、世界の平和につながると。

だから、世界の“おばあちゃん”を、大切にしよう。

そして、歳をとることを恐れている全女性に伝えたい。「若さ」という“美”は確かに存在するけど、女性の“美”はそれだけじゃない。いつまでも若々しいことが正しいわけでもない。その価値観は誰が植え付けた価値観だろうか?

素敵なおばあちゃんってたくさんいるし、可愛らしいおばあちゃんもたくさんいる。素敵な女性だと思います。そんな素敵な女性がいるということが、世界中の男の人と、子供たちを幸せにするし、若い女性に、素敵な知恵を届けることもできる。

少なくとも、僕はそう思っています。

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