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罪悪感から学んだもの。

今回のノートは、ほとんど「自伝」です。母との関係を通して、学び、気づいた過程を綴ります。


俺は北海道の田舎の工業高校を、成績ビリから一番で卒業し、東京へ行くため、上京資金を貯めるために働いた。家は借金があるくらいの家なので、その手の金銭的援助は一切望めない環境だった。

学生気分の抜けぬまま、ガチンコ肉体労働系の仕事なんかもやったが、その激しい労働のストレスからか、遊び銭に使いすぎ、夏が過ぎても金は一銭もたまらなかった…。しかも、重労働で腰を痛めた。ガリガリの筋肉皆無の人間が、毎日重いものを運ぶガテン系は明らかに不向きだった(しかし、本当に、肉体労働の仕事を数ヶ月体験したのは俺の人生の大きな財産だと思う)。

このままではいかん!と一念発起し、友人との遊びも9割断り、バンド活動も休止し、とにかく金を貯める事に専念した。友人たちも、ススキノ界隈で無茶をやらかすような連中ばかりだったので、手を切るにもちょうどよかった。

時給600円の飲食店のバイトで、毎月200時間以上働き、そこから50万以上貯めた。ミュージシャンになる、という目的のためだったが、一番自分を駆り立てていたのは「家を出る」、なにより「親から離れる」だった。

そう、家を出たかったのだ。俺は、親を憎んでいた。

両親に「家を出て東京へ行く」と告げたのは高校三年生になってすぐだった。自分は街を出て東京で音楽で勝負すると。

当然、両親は反対した。

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