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[豊田泰久×林田直樹対談]ポスト・コロナ時代のオーケストラと音響を考える(1/3)

この記事をもとにして書籍が誕生しました!

音響設計家・豊田泰久との対話
コンサートホール×オーケストラ 理想の響きをもとめて

聞き手:林田直樹/解説:潮博恵
アルテスパブリッシング刊、2024年2月26日発売
https://artespublishing.com/shop/books/86559-289-4


2020年は音楽をなりわいとする人々にとって試練の年でした。とくにコンサートホールで大人数が集まって音楽を奏でるオーケストラにとって、ウィズ・コロナの時代にどうやって活動を継続していくかを考え断行していくことは、まさに喫緊の課題と言えるでしょう。

そんななかアルテスでは、昨年10月から12月の3回にわたって会員限定のメルマガ「ARTESフレンズ&サポーター通信」に、音響設計家・豊田泰久さんと音楽ジャーナリスト・林田直樹さんによる対談を掲載しました。

サントリーホール(東京)、ウォルト・ディズニー・コンサートホール(ロサンゼルス)、ピエール・ブーレーズ・ザール(ベルリン)など世界中の演奏会場の音響設計を手がけてきたトップランナーである豊田泰久さんが、クラシック音楽を中心に文化・芸術について幅広い視野から発言を続けている林田直樹さんとともに、音響という見地から、ポスト・コロナ時代のオーケストラのあるべき姿について語り合うという刺激的な対談。現在の音楽業界に向けた強力なメッセージとなっています。

全3回のテーマは、以下のとおりです:

ポスト・コロナ時代のオーケストラと音響を考える
1.オーケストラにとって〈密〉とは?
2.シカゴ交響楽団とクリーヴランド管弦楽団の音響に学ぶ
3.〈密〉を取り戻すのが難しいなら、いまやるべきことは?

ポスト・コロナ時代に向けて、オーケストラは、わたしたちは、いまどんなことを考え、いかに準備すればよいのか、ぜひご一緒に考えていただけたらと思います。

1.オーケストラにとって〈密〉とは?

林田 いま、「ソーシャル・ディスタンス・アンサンブル」などといって、いろんなオーケストラが、演奏者が距離をとり、まばらに拡がって演奏することを一生懸命やっていますね。オーケストラの配置については、いつも思い出すことがあって、チェリビダッケが音楽総監督だったころのミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のコントラバス奏者だった鈴木良範さん、黄金時代のミュンヘン・フィルを支えていた楽員のひとりですけれど、その鈴木さんが「ミュンヘン・フィルはできるだけ小さく固まって座るんだ」とひじょうに強く言っておられたんですね。で、客席からの見栄えを気にして、立派に大きく見えるように大きく拡がって座るオーケストラなんてだめだと。お互いの音をよく聴き合うということがやっぱり音楽の本質だから、われわれミュンヘン・フィルはなるべく小さく固まって身を寄せ合って座るんだと。
 たとえばウィーン国立歌劇場なんかも、オーケストラ・ピットではもうぎっちり超窮屈そうにやってて、それがあたりまえだし気持ちいいっていう感じですしね。ピットの中ではまさに密集して小さくなって演奏しているわけです、オペラのときのウィーン・フィルは。つまり、やっぱり密であるということは、オーケストラにとって本質的な問題であるんだろうという気がしてるんです。
 豊田さんは音響設計という見地から、オーケストラの配置について、人と人とのディスタンスをどういうふうにとるのかという課題も、きっとこれまでいろいろと見てこられたんじゃないかと思うのですが。

豊田 オーケストラがタイトに密に座るということは、音響というよりも、アンサンブルをつくる基本の「き」なんですね。たとえばサントリーホール[1986年開館]は1980年か81年に設計が始まったのですが、あれはベルリン・フィルのステージをそのまま持ってきたようなものです。その後はいろんなオーケストラがサントリーホールに、もう毎日のようにとっかえひっかえ来るわけですよね。そうすると、いわゆる良いアンサンブル、良い演奏するオーケストラとそうでないオーケストラというのは、もうコンサートが始まる前に、レイアウトがどのくらい密でタイトかということでわかる。
 日本のオーケストラはまだいいほうで、アメリカのオーケストラなんて、もうはっきり口に出して文句を言いますもんね。俺はこれだけのスペースがないと弾けないって。

林田 アメリカのシンフォニー・オーケストラは、そういう感じですか。

豊田 うん。で、サントリーホールに入っているようなオーケストラのひな壇、つまり木管や金管の正面部分だけを上げるひな壇じゃなくて、弦楽器まで含めた──。

林田 全体が同心円状に後ろに徐々に上がっていくようなやつですね。

豊田 そう。あれをサントリーホールで最初に効果的に使ったのは、じつはチェリビダッケのミュンヘン・フィルなんですね。それで、われわれもびっくりした。他のオケは嫌がるのに彼らがそれをどーんと使うから。
 われわれはむしろミュンヘン・フィルに教えてもらったんです。あのひな壇をどうやってうまく使えばいいんだろう? ということを。日本のオーケストラには、まず弦楽器までを含めたひな壇を使うという土壌がなかった。それ以前に、日本のオーケストラのマネージャーからは、木管楽器を直線じゃなくて円弧状にしたことでクレームがついて、「豊田さん、木管というのはね、横に並ぶものなんですよ。こんなものは使えません」と言って拒否されました。サントリーホールのステージで良かったのは、スイッチひとつでひな壇を上げられるわけですよ。逆に悪かったことは、スイッチひとつでそれを下げられるということね(笑)。だから、彼らは床を下げてフラットにしたまま使うということが、オープンしてからずっと続いていたわけですよ。で、もう2、3年くらい経ったころかな、あるオーケストラのステージ・マネージャーが、「いや、これも悪くないんですよね、この円弧になってるのもね、お互い見えるし」と。だんだん良さが認識されてきたんです。
 もちろん弦楽器についてもひな壇があったほうが、それぞれの奏者の後ろに段差ができて、それが20センチとか25センチであっても、その段差の面が音響的にはサポートに使えるから、じっさいそのほうがいいわけですよ。だからとくに弦楽器に入れてほしいわけだけども。
 一方で、オーケストラを拡げないでタイトにするためにも、ひな壇は役立つわけです。あれがあると奏者が後ろに下がれないから。というのは、タイトにレイアウトするほうがいいからということで、ステージ・マネージャーにいろいろ言って、ステージ・マネージャーがこんどは指揮者や音楽監督とも相談して、じゃあタイトにやろうということになり、やっと認めてもらえたと思ったら、こんどは奏者が座ったらすぐ──弦楽器の連中なんかとくにそうだけど──ちょっと後ろへ椅子をずらすわけですよ。ちょっと自分のところだけを広く取る。そうすると、前の奏者がちょっと後ろへ、ほんの5センチ動かすと、その後ろの人は10センチ後ろへずれる。だんだんだんだん拡がっていくわけ。で、気がついたときにはもとに戻ってる。
 つまり、ひな壇を上げるということは、それをストップする効果があるの。これ以上は動かさないよ、と。ただそうすると、そういうことを理解してないオーケストラの団員からは反撥を食らうわけですよ。するとステージ・マネージャーっていうのは、やっぱりオーケストラのメンバーに笑顔でいてほしいから、誰も悪役になりたくないわけね。で、指揮者もオーケストラにはそういうことをあんまり言いたくない。まあそれは指揮者とオーケストラの関係によるけれども。チェリビダッケくらいの人が、「いや、こうやんなきゃだめだ」って言ったらもうみんなばーっとやるんだけど、少々の若手の指揮者くらいではオーケストラのほうが力が強いから、なかなか実現できないんですよ。
 だから、最近でこそサントリーであのひな壇を使うオーケストラも増えて、少しずつ、タイトなレイアウトが必要ってことがわかってきてもらえていると思っていますけど、実際のところオーケストラの人は、メンバーそれぞれに違ったバランスで音を聴いてるでしょ。だから、全体の音が良くなるとか全体のアンサンブルが良くなるというのを、それぞれの場所では聴きにくい。だから、彼らは、言葉は悪いけど機械の全体のひとつの歯車みたいなものだから、バランスを取れるのは、あるいは取らなきゃいけないのは、唯一指揮者なんです。指揮者だってあの場所ではなかなか全体のバランスを取りにくいから、場合によっては客席に下りてきて聴いたり、あるいは副指揮者に聴かせたりとかやってるでしょ。そういうものですから、オーケストラの全体のバランスを取ってる人というのは、じつはあんまりいないんです。

林田 その話をうかがうと、オルガンのことを思い出しますね。オルガニストが教会で演奏するときは、自分が演奏した響きがどういうふうに客席で音像を結んでいるかということを想像しながら演奏すると。オルガニスト自身は、オルガンの美しい充実した響きをいっぱいに浴びられるような位置にはいないから、お客さんのところにどういうふうにバランスを届けるかってことを考えて演奏するんだという話を聞きましたけど、同じですかね。

豊田 たいへん似ていると思います。オルガニストでも指揮者でも、感性がすぐれた人は、ようするにお客さんのところでバランスが良い状態、あそこの位置でどういうふうに聞こえるかということが感覚的にわかる人ですよね。オーケストラの人たちだって、良いオーケストラになって、良いバランスで客席に届くような状態で何回も演奏をやってるうちに、それぞれの位置でも、あ、これが良いバランスだなっていうのがやっぱりわかってくると思うのね。スーパー・オーケストラといわれるようなところは、自分たちのアンサンブルを、どんなホールに行っても再現できるというか、自分たちの音のバランスをもってるんだよね。だから、ウィーン・フィルのバランス、ベルリン・フィルのバランスといったら、どこのホールでもそれが実現できる。もちろん、ホームに戻ったときはそれを最大限に発揮できる。

林田 やっぱり、いつもムジークフェラインで演奏しているとか、すみだトリフォニーホールで演奏してるとか、やっぱりホームグラウンドにしているホールの影響は圧倒的に受けているということになりますよね。

豊田 それはもう絶対そうだと思いますよね。で、やっぱり、良いホールといわれているところに良いオーケストラがあるっていうのは、これは歴史的にそうだと思います。とくにヨーロッパなんかはね、ベルリンでもウィーンでもアムステルダムもそうだし。日本にもそういう状況ができればいい。新日本フィルハーモニー交響楽団はすみだトリフォニーホールで、そういうことができているわけですけれども、それもわりと最近の話じゃないですか。サントリーホールだって、あそこで定期公演をやっているオーケストラはいるけど、練習まで含めてやっているオーケストラはいないわけです。普段のリハーサルをどこでやるかのほうがほんとうは大事なんですよね。NHK交響楽団がサントリーホールで定期をやるといっても、普段はN響の練習場でやっている。読売日本交響楽団にしたって、練習場でやる回数のほうが多いわけでしょう? 本番の回数よりも。

林田 そうですね。

豊田 だから、新日本フィルとすみだトリフォニーのように、あるいはヨーロッパのビッグなオーケストラのように、もうリハーサルも本番も全部そこでやることで、やっぱりそれが伝統になって、ああいうアンサンブルをつくっていけるということになってるんだと思いますけどね。

林田 そうなると、オーケストラの一人ひとりは歯車であっても、こうすればベストなバランスをつくれるというような感覚を身に着けていくようになるということですかね。

豊田 そう。だから、オーケストラをどういうふうに配置するかというのはとっても重要なことなんです。最近はオーケストラも柔軟になってきて、指揮者によって、あるいは曲によって配置換えして、セカンド・ヴァイオリンが中に入ったり外に出たり、いろいろやってますけれども、基本的な配置とどのくらい密に座るかは、とくに弦楽器の場合はそれがとっても重要だと思うんですよね。
 だから、コロナ禍が始まって、どのくらい離れて演奏すればいいのかということを議論していますが、芸術的なディスカッションがおろそかになって、医学的な話だけで終わったりしていないか、たいへん心配です。これでいいの? って言いたいけど、でも、彼らも生活がかかっているし、なにがなんでもやっちゃいけませんとは言えないから、ひじょうに難しいところですね。

林田 そうですよね。でも「ディスタンスを取りましょう」って言ってやろうとしていること自体が、やっぱり、じつは本質的にアンサンブルの破壊につながる行為なんだということは、どこかで押さえておかなきゃいけないことなのかもしれませんね。

豊田 オーケストラも背に腹は代えられない、生活していくためにはしかたがないっていうことが全面的に出てくると、それ以上なんにも言えないところがありますけれど、でも、アンサンブルの点ではたいへんだという声がもっと出てきてもいいと思いますけどもね。

林田 妥協でそういうことをやっているということはみんながもうわかっているわけですけれど、それをわかったうえで、密であることをあきらめちゃいけないということも、メッセージしていいんじゃないかと思ってるんです。密であることって、すごく音楽の大事な本質にかかわることだし、もっと拡げて言えば、密であることとは都市生活の根底にあることだから、そこをどう……。

豊田 でもね、林田さん。それを言うとね。僕はいままでそういう制限がないときでさえ、ほんとうはもっとオーケストラが密でなきゃいけないという議論があってよかったと思うんだけど、オーケストラの人たちからはあまりそういうことは聞こえてこなかった。われわれホールを設計する立場から言うと、彼らに手かせ足かせをしているように思われて……。

林田 ああ、かえって悪者みたいになっちゃうってことですか?

豊田 そういう面もあったと思います。

林田 そうなんですか。いや、私はとにかく最初に申し上げたように、ミュンヘン・フィルの鈴木さんの、小さくまとまるということが自分たちのアンサンブルにとってはいちばん大事なことなんだという言葉がすごく心に残っていて、そういう観点でいったら、やっぱりオーケストラって密じゃないとだめなんじゃないのって、ずうっと頭の中に引っ掛かっていたんですが、当のオーケストラの人たちが密じゃなきゃいけないとあんまり思ってないとしたら……。

豊田 思ってないのかもしれない。少なくとも大きな声として聞こえてきてないです。

林田 それは残念ですね。

豊田 思っていたら、正直言ってもっといま問題になってると思います。理屈ではわかっているかもしれないけど、でも隣の奏者とぶつかるわけにはいかないでしょ。そんなこと僕らがお願いするわけないじゃない、隣とぶつかるなんて。でもね、ウィーン・フィルを見たら、あんなにちっちゃい狭いところで……。

林田 もう、肩を寄せあって弾いてますからね。それがいちばん象徴的ですよね。

豊田 僕がオーケストラの団員にレイアウトについて意見を聞くでしょ。僕の感覚では、80パーセント以上のオーケストラでは、まずは「十分に距離を取ってくださいね」というリアクションのほうが大きいです。

林田 昔にくらべると、オーケストラの音はどんどん大きくなってきているといわれますよね。いまオーケストラ奏者は、みんな自分たちが出す音の圧力で耳を傷めつけられているかもしれないと思っています。だから、オーケストラから抜けようとする奏者たちには自分の耳を守りたいって気持ちがあるんだろうと思うんです。それで室内楽に帰っていくんだと私は理解してます。つまり、オーケストラというのはひじょうに過酷な音の渦の中にあると思うんですよ。そうすると、少しでも距離をとりたくなるという気持ちがあるのかなと。

豊田 そういう部分はあると思います。とくに木管楽器、あるいは弦楽器の真ん中あたりにいる人たち、とくにトランペットの真正面にいる人たちは、僕もアマチュアでオーボエをやってたからわかるんですけど、自分の後ろでトランペットがパーンってやりだすと、もうとにかくなんにも聞こえないんですよ。なんにも聞こえなんだから自分の音を出さなきゃいいんだけど、その中でも自分の音を聴こうと思って一生懸命出すんだよね。

林田 そうすると、音楽が荒れていきますよね。

豊田 もちろん。だから、ピッチなんか合うわけない。概していえば、トランペット、それからブラス[金管楽器]の音が大きすぎて、ブラスが入ると弦楽器がまったく聞こえないオーケストラがあまりにも多すぎる。とくにアメリカのオーケストラはひどい。日本のオーケストラもそうだけど、日本の場合は、むしろ弦が弱くて相対的にブラスが強力になってる部分もあるから……。

林田 アメリカのオーケストラのブラスは、メトロポリタン歌劇場管弦楽団[MET管弦楽団]にしてもボストン交響楽団にしても素晴らしいブラスだと思うんですが、たとえばパワーのあるエンジンをもった高級車は低速で走ってても安定感がすごいわけですよ。トルクが太い。ピアニッシモで抑えてるときにもちゃんと筋肉質な音を出せる。弱音の豊かさがある。そういうことはひじょうに感じますね。

▶ 2.シカゴ交響楽団とクリーヴランド管弦楽団
▶ 3.〈密〉を取り戻すのが難しいなら、いまやるべきことは?

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