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[豊田泰久×林田直樹対談]ポスト・コロナ時代のオーケストラと音響を考える(2/3)

2.シカゴ交響楽団とクリーヴランド管弦楽団の音響に学ぶ


この記事をもとにして書籍が誕生しました!

音響設計家・豊田泰久との対話
コンサートホール×オーケストラ 理想の響きをもとめて

聞き手:林田直樹/解説:潮博恵
アルテスパブリッシング刊、2024年2月26日発売
https://artespublishing.com/shop/books/86559-289-4


豊田 アメリカのオーケストラのブラスが強いという伝統は、これはもう、シカゴ交響楽団から来てるんですよ。僕もいろんな人に聞くけど、やっぱり自分の先生がシカゴという奏者が多い。で、シカゴはいつそうなったかというと、僕も歴史的にはっきり全部チェックしたわけじゃないけれど、やっぱりゲオルク・ショルティの時代がいちばんそうだったみたいです。あそこのホールはいまいち響かないから、オーケストラがでかい音を出さないと、フォルテが出た気がしない、みたいな部分もあるんですけれども、シカゴのブラスは、ようするに音のクオリティとかそういう意味ではやっぱりすごいわけですよ。パワフルだけど……。

林田 いやあ、とんでもないですよね。美しいですよ。

豊田 音もちゃんと合ってるしバランスもいい。

林田 安定感もすごいですよね。

豊田 そう。それで、シカゴの場合はとくにそうだけど、すごいのはね、その中で弦が聞こえてくるのよ。で、しかも弦が一生懸命弾いてキーキーキーキー言いながら聞こえてくるんじゃなくて、ちゃんと弦楽器のあったかい音、ドイツのオーケストラの厚みとは違うんだけど、ようするに薄っぺらな音じゃないんです。ちゃんと聞こえてくるのんですよ。

林田 身が詰まってる感じがしますよね。

豊田 そう。このブラスにしてこの弦あり、みたいなね。だから、弦のうまさというかすごさでいうと、やっぱりシカゴはほかのアメリカのオーケストラよりもいちだんと上なんですよ。そして、シカゴと競争できるというか、シカゴより上なのはクリーヴランド管弦楽団だけ。

林田 クリーヴランドはシカゴより上ですか。

豊田 シカゴより上です。あんまり、こういうことは言っちゃいけないかな。

林田 いやいや、はっきりそう断言していただくと、話はがぜん面白くなりますよ。どうしてシカゴよりクリーヴランドは上なんですか。

豊田 やっぱりクリーヴランドのほうが、音楽的に自分たちの音のクオリティを考えているというか、バランスを考えているというか……。シカゴはね、暴力的にうまいのよ。

林田 ショルティの時代のマーラーの交響曲第5番とか、ほんとそういう感じがしましたものね。

豊田 一人ひとり取り上げても、もう抜群にスーパースターばっかりだし、アンサンブルとしても……。

林田 去年[2019年]の1月から2月にかけてシカゴとリッカルド・ムーティが日本に来たときに、ヴェルディのレクイエムをやったんです、東京で。そのときに、金管の人たちの並んでる様子を見たら、一人ひとりがスペースを置いて座って、まるで楽器を刀のように構えた侍のように威厳があってかっこよく見えましたよ。

豊田 それにくらべるとクリーヴランドのほうは、一人ひとりの粒は小さい、でもね、弦の邪魔をしないという意味では全員がちゃんと考えてるし、オーケストラとしての音色は、いちばんヨーロピアンに近い。ヨーロッパのオーケストラよりもむしろ……。

林田 そう思います。私、世界でもっともヨーロッパ的なオーケストラはクリーヴランドじゃないかと思ってたんですよ。

豊田 たとえばね、ロサンジェルス(LA)・フィルでもそうですし、とくにアメリカのオーケストラはどこでも、メンバーに欠員が出て新規採用するときにかならずオーディションをやるんですよ。そのオーディションもブラインド[応募者が誰かを審査員に明かさず、音だけを聴いて審査する]で、とにかくフェアでなきゃいけない。ハイヒールの音で女性だってわかっちゃうから、ハイヒールも履かせない。そこまで気を配ってフェアにやるんですよ。そこまでフェアにやると、出身学校だとか誰に習ったとか、そういうことが関係なくなるのね。どんな先生についたとか、どこの大学を出たとか、あるいは日本人かヨーロッパ人かも関係なくなる。すると、やっぱり給料の高いオーケストラはたくさん応募者が来るし、良い人がどんどん採用されていくでしょ。それぞれのキャラクターってがだんだん似たりよったりになってくるんですよ。
 ところが、クリーヴランドだけはクリーヴランド音楽院の卒業生しか採らない、あるいはそこの卒業生が最優先なんです。それで、クリーヴランド管弦楽団の団員を師匠とするお弟子さんが中心になる。それは彼らの戦略なんです。自分たちの音を守らなきゃという意識がすごく強いんですね。

林田 なるほど。クリーヴランド管弦楽団の音楽監督は、ほかのどのオーケストラの音楽監督よりも人事権を強くもっていて、団員を採用するか否かにかんして、ほぼ独断的に決められるという話を聞いたことがあります。

豊田 音楽監督のもっている人事権が強いだけじゃなくて、逆に音楽監督を選ぶ基準もものすごく厳しいんです。あそこのコミッティ[事務局]はそういうことがわかってる人たちだからね。トム・モリスという、1代前のいわゆるプレジデント、CEOを務めていた人から直接聞きましたから。クリーヴランドの前はボストン交響楽団にいた人で、フランツ・ウェルザー=メストを選んだのも彼です。

林田 クリーヴランドはたぶんもしかしたら世界でいちばん、こしあんみたいにひじょうにきめ細やかで、味の濃い音が出るオーケストラのような気もするんですけれど、その秘密は何でしょうね。

豊田 僕はこの一点でもって、ジョージ・セルをもう神様のように思ってるんです。ただ、残念ながらセルを生で聴いたことがないんですけどね。聴いた人はみんな、すごかった、よかったって言うけど、僕はセルとクリーヴランドの演奏は、レコードしか聴いたことがなくて……。

林田 いまのクリーヴランド管弦楽団は、やっぱりジョージ・セルの影響をいまだに保っているんですかね。

豊田 僕はそう思います。誰がこの音をつくったのと考えたときにほかに思いあたらない。ただ、あそこの音楽監督はロリン・マゼールもやってるし、クリストフ・フォン・ドホナーニも、ウェルザー=メストもそうですし、一時期ピエール・ブーレーズも音楽顧問をやっています。みんなあのオーケストラのバランス、音のクオリティ、音色を崩さないようにするということが、音楽監督就任の条件なんです。これははっきりトム・モリスから聞いたんですよ。クリーヴランドは音楽監督選定のときに、そのことをいちばんに考える。だから、たとえばバーンスタインみたいな指揮はだめなのね。

林田 バーンスタインってクリーヴランドに客演したことってあるんですかね。

豊田 わかりません。でも、バーンスタインとクリーヴランドは、客演だったら面白いと思うよ。だって、すごい指揮者は1週間だけ客演で来て、もうオーケストラも舞い上がっちゃって、すごい演奏したりするじゃない。ところが、それを続けていくと、こんどはオーケストラが壊れちゃう。だから、オーケストラを壊さないという意味では、ドホナーニなんかはもう最適の指揮者ですね。面白くないと思ってる楽員はたくさんいるかもしれない。でも、やっぱり耳はすごく良くて、すごくオーケストラをトレーニングして良い状態を保つのに最適な指揮者。だから、お客さんは、ドホナーニが面白くなくてもいいのよ。客演指揮者に面白いのが来てくれたら、オーケストラはそれで良い演奏をして楽しめるから。

林田 ちなみに、クリーヴランドは密に座ってるんですか?

豊田 クリーヴランドがどのていど密に座ってるかは、ちょっと記憶にないですけど、やっぱアメリカのオーケストラだから、ウィーン・フィルのような密な座り方はしてないと思うんです。ただ、どーんと拡がってるというイメージもありませんが。

林田 密という話でいうと、オーケストラの音色にかんして、いまふっと頭に浮かんだんですけれど、やっぱり、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団って特別なオーケストラだと思うんですよね。最近来たときも、やっぱり弦が違うなと思いましたよ。

豊田 僕は、最近聴いてる範囲では、イスラエル・フィル、おまえもか、っていうくらいブラスが強力に聞こえることが多くて、そのぶん、弦のアンサンブルも昔と違うなあという思いがあります。とくに、本拠地のマン・オーディトリアムの改修を僕が手がけてオープンしたのが2013年なんですけど、その前1、2年はけっこう聴くチャンスがあったんです。ロサンジェルスにもよく来てましたからね。昔はたしかに弦がすごかったですね。

林田 イスラエル・フィルの場合、密とはあんまり関係ないってことですか。

豊田 僕は最近思うのは、イスラエル・フィルはやっぱりインターナショナルのオーケストラになっちゃったなっていう気がしますね、あらゆる意味で。やっぱり密なオーケストラはどっちかっていうとヨーロピアンな……。

林田 そうですね。世界中の多くのオーケストラがどんどんインターナショナルになっていますが、でも、そういう意味では日本のオーケストラなんて、少しは外国人もいますけれど、あんまりまだ国際的じゃないですよね。

豊田 良い意味でも悪い意味でもね。

林田 だったら密になってもよさそうな気がしますけどね、日本のオーケストラは。東京が過密なのと同じで。

豊田 うん。もっと密になればいろいろやりようはあると思うんですけれども、若い音楽監督もいろいろ出てきているわけだし、そのへんのところをもっと引っ張っていってくれるといいなと思いますね。

林田 そうですね。いまは密じゃなくて疎にしてコンサートをやろうとしていますが、逆に密であることの大切さに、みんなが気がつくようになるといいですけどね。

豊田 演奏と感染拡大防止を両立するためにどれくらい離れても大丈夫かとか、そういう実験をいろいろやったりしていますが、その労力はけっこうもったいないと思う。というのは、いまこのコロナ時代にやるなら、コロナが終わってからも残るようなことを考えたほうがいいと思うんです、プログラミングとか、いろいろなアイデアを練った企画とか。だって、いまやってる実験は、コロナが終わったらたぶんみんな忘れてどこかへ行っちゃうでしょう?
 いまこうやって離れて演奏して、それでコロナが収まっちゃったら、ああ、あのとき離れてやっていたのは間違いだったんだ、やっぱり寄って近づいてやらないとだめなんだっていうのが残れば、それはそれでいいと思うんですよ。でもそうじゃなくて、あんまり意識もなく、ああコロナだから離れなきゃいけない、でもそれがアンサンブルのためにどれくらい重要なことかということはあんまり考えもしなくて、で、コロナが終わったらまたくっついちゃったと。それだけじゃもったいないですよ。

林田 くっつくことの大切さに気がつくきっかけになれば、まだいいかもしれませんけどね。

豊田 コロナ後にも残るものをするなら何をするかということを考えてほしい。いろんなアイディアはあるだろうし、みんないろんなことを考えているとは思うんですけど、やっぱりいまのオンラインの試み、インターネットをどういうふうに使うかということは、ひとつのキーポイントになると思うんです。たとえば、オンラインで聴けるようなアーカイヴづくり。コロナが終わったあとも、むしろ今後まちがいなく重要になっていくことだと思うんですよね。
 そういう意味から見ても、いまベルリン・フィルがやってるデジタル・コンサートホールというのは、まさかコロナの時代を見据えてやってたとは思えないけど、かなりの時間をかけてつくられたもので、結果的にあそこがいちばん成功してるような気がするんですけどね。

林田 そうですね。発信力をもつことがどれほどそのオーケストラのブランディングに寄与するかという意識は、カラヤンとベルリン・フィルの時代からすごくあったと思いますけど、それだけじゃなく発信力そのものが音楽にもよい影響を与えていたのかもしれませんね。

豊田 いま生の音が聴けなくなった、それこそオンラインの配信だけになっちゃったって言いますけど、考えてみればコロナの前でもずっと、生を聴いた人よりも圧倒的にたくさんの数の人が、レコードやCDで録音された音楽を聴いてるわけですよね。僕もさっき生意気にもクリーヴランドのジョージ・セルがどうのこうのと言いましたけど、僕はジョージ・セルの生を聴いたことがないんだから。

林田 それをいったら私もそうですよ。自分が生で聴いたこともないものについていろいろ思ってるわけですけれど。でも、生で聴いてなくても、それなりのものはたくさん受け取ってきたということでもあるわけですよね。

豊田 たぶん、じっさいの日常の生活において、録音で聴いた音楽、それから生で聴いた音楽をくらべると、もちろんどっちがインパクトが強いとということもあるでしょうけど、少なくてもトータルでどれだけの自分の中に入ってきてる量でいったら、録音から聴いたほうが圧倒的に多いよね。

林田 そうですね。体験の時間で考えたら10倍、100倍くらいは──もっといってるかもしれない。

豊田 で、生を聴いて良かったから、じゃあレコードも聴いてみようとか、あるいは逆にレコードで聴いて良かったから生で聴いてみようとか、そういう関係もあるじゃないですか。コロナがどうのこうのいう以前から録音というものは重要だった。それが、いまコロナの時代になってひじょうにクローズアップされている。ベルリン・フィルがそれを考えていたかどうかは別として、あれだけのアーカイヴをデジタル・コンサートホールで配信していて、カラヤン時代のものも含めると膨大な数でしょ。僕も今回こういう時期だから、まあ1回くらいはと思って買ったわけですよ。そしたらアーカイヴが全部見れる、すごい数が揃ってるわけですよ。

林田 質と量と両方すごいですよね。

豊田 ほかのオーケストラがやらなきゃいけないのもこれだな、と思った。でも、同じように音源を揃えただけではベルリン・フィルに負けちゃう。とにかくネットで聴けるということになれば、こんどはベルリン・フィルもN響も同じになるわけです、お客さんにとっては。

林田 同じ土俵に乗らなきゃいけなくなりますよね。

豊田 そうするとやっぱり、どういうアーカイヴをつくって、どういうものを揃えたらいいかという議論がもっとあっていいと思うんです。
 いま世界中のあらゆるオーケストラの個々の奏者が、個別にソロで演奏したり、あるいはアンサンブルを組織して、それをYouTubeに上げてるんですね。たぶん、とにかく何かやらなきゃという意識の表れだと思うんですが、それをYouTubeでただ無料配信するだけで──一部には有料もあるみたいだけど──、なんか無秩序にだーっと出てきているだけという印象があります。やっぱりオーケストラという枠の中でやったほうがいいんじゃないか。たとえば東京フィル[東京フィルハーモニー交響楽団]なら東京フィルの人たちが、いまオーケストラで生の演奏はできないけど、室内楽ならできるから──ほら、オーケストラの人たちも室内楽やったほうが勉強になるという話は昔からあるじゃない──、あくまでもオーケストラの枠の中で、室内楽をどんどん演奏して、録音して、これは良いという演奏は音楽監督が推薦を付けたりして。それをYouTubeに上げて誰でも聴けるようにするんじゃなくて、オーケストラのサイトに来た人がそれを観られるようにするとか……。

林田 アメリカのオーケストラで、それをじっさいやっているケースはあるんですか?

豊田 LAフィルなんかはそれに近いことをやっています。ただ、LAフィルも昔のアーカイヴまではまだできてませんね。たぶん、いま一生懸命考えているんじゃないかと思うけどね。そんな何カ月くらいではできませんよっていう答えが返ってきそうですね。

林田 ベルリン・フィルにしたって、あれを構築するまでにやっぱり10年はかけていましたから。

豊田 でも、たとえば、自分が東京交響楽団が好きだとしたら、その中のコンサートマスターがやる弦楽四重奏を聴いてみたいとか、そういう気持ちってあるじゃないですか。

林田 室内楽にかんしては私もまったく同感で、いまコロナ時代に、オーケストラがなにをやるべきかといったら、大編成で密に演奏できないんだから、いまこそみんな室内楽やろうよと。豊田さんがおっしゃったように、昔からウィーン・フィルでもベルリン・フィルでも、すぐれたオーケストラはみんなメンバーが室内楽をやりたがるということはよく知られていることで、日本のオーケストラももっと、それぞれのメンバーが室内楽をやる良いチャンスととらえて、それをオーケストラのホームページの中で、個々の奏者の顔がちゃんと一人ひとり見れるように、アピールに使うといいと思いますね。

豊田 オーケストラの事務局として室内楽をやるべきだと思うんです、いまみたいに一人ひとりがばらばらにYouTubeに上げるんじゃなくて。たとえば音楽監督がいろいろ曲の説明をしたり、かつてやった演奏会のエピソードなどを自分の口で説明して提供してくれたら、ずいぶん興味が湧くじゃない。自分自身の声でしゃべってくれれば、音楽監督にも親近感がわくしね。若手の指揮者もYouTubeでいろいろしゃべったりしてるじゃない。彼らもいろいろ発信しようと努力してるんだけど、それをオーケストラはもっとうまく使わないと。

林田 ひとつ問題があるとすれば、日本のオーケストラってかなりの割合で外国人の音楽監督、首席指揮者をトップにおいていますから、日本の聴衆に向けて語りかけることが、やはりあまり得意とはいえないんじゃないですか。

豊田 そうですね。でも、音楽監督がやれればいちばんいいけど、必ずしもそうじゃなくてもいい。そういう意味では、ベルリン・フィルでしょっちゅうマイクを持って出てくるのは、3番ホルンのサラ・ウィリスですね。

林田 あの人、素晴らしいですよね。話がじょうずで、明るいキャラクターで。

豊田 うん。彼女プロだから。ラジオ番組をもってるんです。たまたまラトルの最終公演に行ったら、サラがマイクを持って出てきて、もうラトルを食っちゃうくらいの司会をしてました。ピエール・ブーレーズ・ザール[2017年開場]ができたときに、僕もサラから自分のラジオでインタビューしたいって言われて。オーケストラも80人、90人いれば、そういうキャラクターの人がひとりくらいいそうじゃないですか。
 やっぱりキーポイントはオンライン、インターネットをどういうふうに使うかですね。考えてみればそれはコロナの前だってあったし、コロナの後にも残っていくものです。オンラインあるいはインターネットがどんどん盛んになっても、生はなくならない。ようするにこんどは配信するものを録音する場所が必要だから、やっぱコンサートホールは必要なんですよ。だから、生かオンラインかっていう議論にはならないから、オンラインのアーカイヴをつくることを、もう安心して各オーケストラは考えていったほうがいいと思います。

◀ 1.オーケストラにとって〈密〉とは?
▶ 3.〈密〉を取り戻すのが難しいなら、いまやるべきことは?

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