マティスがマティスになったのはいつ?上機嫌な色彩あふれる「マティス展」から探る
東京都美術館で始まった「マティス展」は、日本では約20年ぶりの大回顧展ということで注目されている方も多いのではないでしょうか。世界最大級のマティスコレクションで有名なポンピドゥー・センターの所蔵品を中心に初期から最晩年までの約150点が集結しています。
今回特に印象的だったのは、マティスならではの明るい色彩とその調和が輝く作品が多いことです。おかげで、展覧会を一巡してミュージアムグッズコーナーに到達する頃には、みんなの顔がとても明るい!会話も弾み、すっかり上機嫌になっていました。このマティスアートの秘密はいかに?
網羅的に時系列に展示してある大回顧展だからこそ気がついたのは、この上機嫌な色彩に磨きがかかって頻出するのが、マティスが50歳になって以降だということです。第1次世界大戦が終わってニースのアトリエで制作するようになってから、84歳で亡くなるまでの期間です。
本展の監修者でポンピドゥセンターのチーフキュレーターであるオレリー・ヴェルディエさんは、「マティスがマティスになる道程を示すことを目指した」と語っています。
私はこの展覧会で、マティスがマティスになったのは、50歳になった時からだと感じました。主要な出来事と作品を織り交ぜながらご紹介します。
27歳で早くも国家買い上げ
法律の学位を得て代訴人の仕事をしていたマティスが、ギュスターヴ・モローの教室に出入りするようになったのは23歳ころ。それから5年も経たないうちに、国家買い上げになる作品を描いてしまったのですから、すごい才能です。それがこの《読書する女性》ですが、まだ、「いかにもマティス」という特徴はそれほど現れていないようです。
35歳の点描画をシニャックが買い上げ
1904年の夏に新印象派の中心人物ポール・シニャックの招きで南仏に赴いたマティスがパリで仕上げた実験的作品がこちらです。
ただちにシニャックが購入するところとなった傑作とのことですが、やはりマティスらしさよりはシニャックらしさが濃厚。
名声を上げつつ第一次世界大戦期へ
さらに研究を続けて、純粋な色彩同士が共存する強烈な印象を引き起こす作風が「フォーヴィスム」と評されるなど話題に上り続けたマティス。36歳の時には、あのガートルード・スタインが彼の作品を購入したことでますます知名度が上がります。37歳で生涯良き友人でありライバルとなるピカソと出会い、セルゲイ・シチューキンら大コレクターに支持されるなど幸運に恵まれつつも、マティス45歳の時に第一次世界大戦が始まります。
その頃の作品は、全体的に冬のような鎮静感はありますが、パリジャンシックといった感じでおしゃれな雰囲気があります。落ち着いた色彩の中に、キラリと光る緑や紫や赤など、美しい差し色が入っていて惹かれます。しかしながらやはり、戦争中の暗いモードを反映した色調からは逃れられなかったようです。
これらの作品を、後ほど出てくる第二次世界大戦中の作品と比較してみてください。「マティスがマティスになってから」は、戦争中であっても、画面全体が輝いていることに気がつくでしょう。
マティスがマティスになったのは50歳から?!
「待ってました、ザ・マティス!」と私が思わずつぶやいたのは、<4章>人物と室内のコーナーです。第一次世界大戦が終わり、マティスのニース時代の幕開け。
先ほどの、パリ時代の色調が夜明けの薄明かりだとすると真昼になったような明るさです。
しかも隅々まで軽やかな色彩に溢れています。フランスを旅行したことがある方は、南仏の陽光がパリに比べてひときわ明るく、同じ花や草木であっても、南仏で見たものの方が明るく鮮やかだと感じた経験があるのではないでしょうか?ニースにアトリエを構えたことで、マティスの目に映るものも明度が高くなったことは容易に想像できるのですが、戦後の開放感、そして何よりも、それまで重ねてきた色彩、形、構図の実験の成果が一気に開花したように思われます。私がマティスと聞いて思い浮かべてきた大好きな作品のイメージは、彼が50歳になって以降の作品だということが分かりました。
私が思う「ザ・マティス」を、今展チーフキュレーターであるオレリーさんの言葉を借りてお伝えすると次のような感じです。
線と色彩が絡まり合って終わりのないダンスを踊る! そのハッピーなアートが続々と 登場 し始めました。
第二次世界対戦が迫る1930年代後半から40年代前半でもこの明るい色彩と軽やかな模様は勢いを失いません。この頃になると、マティスは、無限に心地よい色彩と線を自由に操る術を身につけたのではないかなと感じました。色は必ずしも 実物の色ではなく、隣合う色としてピンとくる色や、この花はこの色でなければとこだわりを感じた色を施したそうです。マティスは、色彩の理論も相当重視したのでは?と推測したのですが、どうやらそうではなさそうであったことに驚きました。
マティスの覚書には「私の色選びは、いかなる科学理論にも依拠していない。それは 観察、感情、私の感性の経験に基づいている」と 書かれているそうです。(「マティス展」公式図録2023年より)。
もちろん色の研究は相当したと思うのですが、膨大な経験を積むことで、 直感的に色を生み出して組み合わせることができるようになったのでしょう。
そう言われてみると、マティスによるとことん上機嫌な色使いは唯一無二で、魔法の領域に達していると感じます。
手術で寝たきりになっても日常に美を見続けた!
1941年に、マティスは重度の十二指腸癌を患い大手術を受け、2年にわたり概ね寝たきりでの療養となってしまいます。そのように心身ともに大変な時期に描いた絵がこちら。
可愛らしい色彩の静物たちが、大理石のテーブルの上で遊んでいるようです。寝たきりでも、目に入るものは全て美しい日々!こんな鮮やかな作品も同年に描いていて驚きです。
女神のように神々しい一輪のマグノリアは、お見舞いのお花でしょうか。
周囲を囲む陶磁器や鉢植えも楽しい色合いで空中ダンスを踊っているようです。
70代で直面した第二次世界大戦もなんのその
第二次世界大戦が始まる前年の1944年に描いたゴージャスな女性はこちら。
白い毛皮に横たわる女性と背景の赤い壁が華やかに調和していて、戦争の足音とは無縁のエレガンスを感じます。
そして今度は、ブレることなく強度を増すマティススタイルに、戦争のダークな色が影を落とす事はなかったようです。
戦争が終った翌年の1946年から48年にかけては、祝祭のようにウキウキした色彩が冴え渡ます。マティスが78歳から手がけ始めた最後の絵画連作「ヴァンス室内画群」です。シリーズ最初の1枚はこちら。
ああ、このジューシーな黄色と青だけの部屋に入ってみたい!
ここから色を取り去ったら、モニャモニャの線でインテリアを描いた落書きっぽくも見えるのだけど……。魔術師マティスが黄色と青をざっくりまとわせたところ、あら不思議!強烈なインパクトと魅力にあふれたスーパーファインアートになってしまいました!
テーブルの上にあるスイカとレモン、このお部屋で食べてみたいな〜。
シリーズ最後の絵にして、マティス最後の油彩画はこちらです。
マティスレッドを背景に、大きな窓、鉢植えの花たち、毛皮のマットレスなどなど、絵に描かれた全てのものが最高の笑顔で登場しているような集大成。平面的に開かれた部屋の中で、神が細部に宿るように隅々まで美がきらめく傑作です。
訪れる人々の心が軽くなるように創る
マティスが最晩年に手掛けた最大の総合芸術はヴァンス・ロザリオ礼拝堂です。
79歳から82歳(1948-51)にかけて、建物の設計、装飾、什器をマティスが手掛けるという巨大プロジェクト。デッサン、彫刻、切り紙絵、などあらゆる技法と技術を駆使して光、色、線を一堂に調和させたこの礼拝堂は、この世のものとは思われない美と多幸感に満ちあふれています。私は、マティスがこの礼拝堂について言った言葉に惚れ惚れとしました。
ありがとうマティス!
なぜ「マティス展」を訪れるとみんなが上機嫌になるのかが分かりました。
マティスが私たちに浴びせてくれる天国のようなアートのきらめきは、
「人々の心を軽くする」ために生涯をかけて磨き抜かれたものだからなのです。
【展覧会 基本情報】
マティス展
会期:2023年4月27日~8月20日
会場:東京都美術館 企画展示室
住所:東京都台東区上野公園8-36
電話番号:050-5541-8600
開館時間:9:30~17:30(金~20:00) ※入室は閉室の30分前まで
休館日:月(ただし、5月1日、7月17日、8月14日は開室)、7月18日
料金:一般 2200円 / 大学生・専門学校生 1300円 / 65歳以上 1500円 / 高校生以下 無料(要日時指定予約)
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