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「アート」は反射だと思う。

いくです。noteをはじめました。
前から、自分が考えてることをどこかにまとめたいと思っていて、記録を兼ねてようやくnoteを作りました。

このnoteは「最近話題のアート」への言及が多くなる気がしています。
何が「アート」なのかは私にはよくわかりませんが、私が「アート」と思ったものについて、書いていこうと思います。
同時に、「アート」自体に対する考えも書いていこうと思います。よろしく。

どこからが「アート」なのか

最近は「アート」というものが注目されるようになり(昔からな気もしますが)、社会と生活に至る所に「アート」が見られるようになりました。

一方で、何が「アート」かは定まっておらず、世間一般で持て囃される割には、「アート」が何かは人によって解釈が別れているように思います。

例えばキャンバスの上にゴッホのひまわりが書いてあったらそれはアートでしょうか。多くの人はアートだと答えると思います。
では、キャンバスに色がたくさん塗ってあって、でも何を示しているかわからなかったら?さっきよりはアートだと答える人は少なくなると思います。
では、キャンバスにちょっと書いてやめてしまったら?
みなさんはアートと答えるでしょうか。

この3つの違いはなんでしょうか。
作業量?情報量?モチーフが完成しているかどうか?
中には3つ目をアートと答える人もいると思います。
どうして意見が割れるんでしょうか。
皆さんは、この3つのどれがアートで、なぜそれがアートだと思いますか?

「アート」が何か定まっていない理由は、アートの評価が伝統的に感性に由来してきたからではないでしょうか。

長い間、アートの評価軸は「美しい」や「感受性を揺さぶられる」というものだったと思いますが(根拠はありません)、それは主観によるものなので個人差があります。

主観や捉え方は個人や時代とともに変化するため、昔は評価されなかった絵が作者の死後評価されるようになったこともあります。
ポスト印象派のセザンヌとかはそうだったらしいですね。


ちなみに、先ほどの3つの絵ですが、私は1つ目はアート、2つ目は多分アート、3つ目は違う、と感じています。

という画像を用意したら、なんだか急にそういうアートに見えてきました。
見えてきませんか?一体、なんでなの?

というか、「絵」ってなんだ

「この絵はアートか?」という議論の前に、絵ってなんだと思います?
これも定義がないですね。
線を何本描いたら絵なのか、そういうことじゃないと思います。
デジタル大辞泉によれば、

絵[名]
1 物事や情景を、色・線・形などによって、平面上に写し表したもの。絵画。
2 ある情趣を感じさせるありさま。光景。
「母が乏しい髪を工面して、何うか斯うか髷に結い上げる様子は…夫程見栄のある―ではないが」〈漱石・彼岸過迄〉
3 テレビなどの画面・映像。「音声だけで、―が出ない」

となっています。私の言ってる絵は1番に近そうですが、「物事や情景を、色・線・形などによって、平面上に写し表したもの。絵画。」と言われると、さっきの2番は絵ではなさそうです。

でも、私はこれが絵な気がするので、とりあえずこれが「絵である」と仮定して話を進めます。
それにしても、絵自体が何かわからないのに、アートのことなんかほんとに議論できるのか?だんだん絵という字がゲシュタルト崩壊してきました。
どうやら、「絵」という概念も、人によって解釈が分かれそうです。

当然ながら、アートは絵だけでもない

今までは意図的に絵の話だけをしてきましたが、絵だけがアートだと思いますか?彫刻は?イラストは?演劇は?踊りは?音楽は?
映画はアート?映像は?アニメはアートですか?
一体何がアートで、何がアートじゃないんですか?

アートに、正しさはなく

ここにきて梯子を外すようですが、アートは主観で判断するものなので、答えはありません。
アートの評価に「正しい」とか「間違っている」とかはなく、せいぜい「多くの人はこう思っている」とか「こう思っている人は少なめ」とかぐらいの人気差があるぐらいですかね。
アートに正しさなど、ありません。
「私がアートだと思うものがアート」ぐらいの雑さでいいんじゃないですかね。
「自分はこれはアートだな」と思うものに出会ったら、なんで、これがアートだと感じるか、言語化してみると結構面白いですよ。

「アート」は文化や社会を反映している

さて、その上で、私がアートを何だと捉えているかを書いておきます。

私はどうやらは「なんらかのモチーフが描かれている/なんらかのコンテクストを感じるもの」をアートだと判断しているようです。


急にややこしい言葉になりましたが、コンテクストは大雑把にいうと文脈のこと。
アートの「作品そのものとしての美しさ」ではなく、そのアートが「歴史や文化の中でどういう位置付けであるか」、あるいは、「作者がなぜそのアートを作ろうと思ったか」「そのアートに込められた意味」などです。

この作品はアンディ・ウォーホルが作ったキャンベルスープ缶の絵を大量に印刷したアートです。

単に右だけを見れば、スープを入れる工業製品の缶が並んでいるだけです。これは「アートとは珍しくて貴重なものであり、同じ作品は二つとしてない(大量生産できない)」というそれまでの常識に対して、「いやいや、本当に大量生産できるものがアートじゃないんですか?アートかどうかを決めるのは作品の珍しさなんですか?」と問いかけたものになります。


どうやら私はこういった”コンテクスト”を含めてアートだと認識しているようで、これを内包しているものは、(好みはあれど)割と絵画とか彫刻とか映画とかインスタレーションとかジャンルを問わないでアートだと感じます。
コンテクストは、パッと見てわからないものも多いため、説明を受けて初めて、「アートだ!」と認識が変わることもあります。

コンテクストを持つ、ということは、それは文化や社会、歴史、作者といった諸要素となんらかの強い結びつきを持っている、ということであり、必然的に、アートにはそれらの要素が如実に反映されています

「アート」に対する解釈は受け手を映し出す

一方で、何を示しているかわからないアートを目の前にした時、人々が考えることも違います。
例えばこの絵から何を感じるかは人それぞれで、何が正しいということもありません。

アートに対する解釈が人それぞれというならば、その解釈には、受け手側の価値観や人生観が現れています。
だから、解釈は受け手を映し出していると思うのです。

私は、「アート」は反射だと思う

二つをまとめると、私は、「アート」には文化や社会が反映されており、アートの解釈を通じて受け手がありありと映し出されていると考えています。

まるで鏡のようです。
だから私は、「アート」は反射だと思います。

おわり

ちなみに私は「芸術」と「アート」が指し示すものも違うと感じています。
後々、こういうのも解き明かすことができたらいいですね。
一点補足ですが、アンディ・ウォーホルのキャンベルスープ缶に対する解釈だって、ウォーホルや私個人のものなので、それを聞いたうえで、「私はここがアートだと思う」とか「いやいや、これは認めねー!」と言ってほしい。解釈は自由です。時には作者の主張さえ、無視してもいいのです。

「アート」を見る、というのは、こういう風に思考を掘り下げて考えることを内包しているのだと思います。
自分にとってこれはアート、これはアートじゃない、どうしてアートだと感じる、どうしてアートじゃないと感じる、自分はこれが許容できない、自分はこれが好きだ、それは一体なぜどうして………………。
そうして一つ一つ考えていった先にあるのが、自分だけの「アート感」。
「私はアートをこう捉えている」という塊です。

あなたにとって、アートとは何ですか?

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