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卒業論文をやり直す会③|2022年4月

4月下旬の第3回オンラインミーティング(飲み会)では、前回発表したテーマを踏まえ、各自進捗を発表しました。前回のミーティングでじっくりと質疑応答をしたので、今回は改めて方向性を相談する回となりました。

進捗発表

あさの|ルネ・ラリック つむじ風

ルネ・ラリック《つむじ風》1926 大一美術館蔵ほか

ルネ・ラリック《つむじ風》のモチーフについて、ラリックのウェブサイトではシダの花(の動き)/movement of the fern blossom」とありました。これはラリック社やラリック美術館の見解であり、コゴミやゼンマイのようにシダ植物の若芽は渦を巻いた形をしています。
ただ、「似てるからそうだろう」では主観ですし、すでに事実だろうとされている事柄を証明するのは、私の研究になるのだろうかと悩みました。

コゴミ

植物が渦を巻く図像は珍しくなく、アカンサスや唐草文様は極めてスタンダードなものです。シダに注目すると、19世紀ヴィクトリア朝のイギリスでシダブームがあり、テラリウムのようにガラス張りの小箱の中で栽培され、装飾模様としても盛んに採用されたことがわかりました。さらに、ラリックはシダをモチーフにした香水瓶も製作しており、何か特別な意味を込めたのではと考えました。
しかし、シダにこだわったところで、本作の何がわかるのだろうか……。

私が本作に魅力を感じているのは、メタリックにもみえるガラスの輝きと鋭いモチーフの造形であり、他の作品と比較して深彫り(プレス成形なので彫りではありませんが)であることも特徴的です。
その点で一歩踏み込んで、本作の技術面での評価や価値付けを考えてみることにしました。

《つむじ風》の魅力を、客観的にわからせてやるぜ……っ!(ビッグマウス)

TTR|グスタフ・クリムト メーダ・プリマヴェージの肖像

グスタフ・クリムト《メーダ・プリマヴェージの肖像》1912–13 Gift of André and Clara Mertens, in memory of her mother, Jenny Pulitzer Steiner, 1964

『「子供」の図像学』(東洋書林、2008年)によると、子供はかつて「小さな大人」、つまり大人のミニチュア版のように扱われていました。ただ、子供の描かれ方=扱われ方ではないそうです。
芸術作品の作例では、古代エジプトの幼いホルス神は指をくわえ、髪を三つ編みにして片側に流した姿で表現されています。また、今ほど医療が発達していなかった時代には幼児の死亡率も高く、幼くして亡くなった子供を描いて哀悼の意を表現する「死せる子」という主題もありました。
というところで行き詰まってしまいました。

ハルポクラテス像、プトレマイオス朝(紀元前6-1世紀)、銅合金、大英博物館
※古代エジプトの幼ホルス神をギリシアナイズしたもの
クリムト《亡き息子オットー・ツィンマーマンの肖像》1902年
ディータード・レオポルド・コレクション

TTR氏が本作で一番気になったのが、ポーズや手の仕草。正面を向いて少し足を広げて立ち、両手を体の後ろに置いています。手が描かれていないことに意味があるのではないか。
こちらを重点的に調べることにしました。

Kちゃん|アモルとプシュケの図像

ウィリアム・アドルフ・ブグロー《アムールとプシュケー、子供たち》1890、個人蔵

前回までは、アントニオ・カノーヴァ(1757-1822)の《アモルの接吻で蘇るプシュケ》をメイン作品にすえ、本モチーフの流行の流れを掴むために年表をつくることを目標としました。

「アモルとプシュケ」の作品は、古くは2世紀にローマの作家アプレイウスによる『変身物語』(通称『黄金の驢馬』)、17世紀にラ・フォンテーヌの詩を原作にモリエールが舞台化と、時代に開きがあることが判明しました。中世にキリスト教が台頭したことで異教弾圧にあったのではないかと推測されます。

しかしながら、すべての時代を鑑みるには紀元前からと長く、空白期間もあるため、次回からはKちゃんの興味・関心のある作品を中心に同時代の作品を比較するなど、図像学の方面で研究を進めます。

M氏|鴨居玲にみるゴヤの影響

鴨居玲《1982年 私》1982 石川県立美術館蔵

前回は、フランシスコ・デ・ゴヤと鴨居玲をきっかけに、美術と社会のつながりを論じるということでしたが、テーマを鴨居玲にみるゴヤの影響に絞りました。

鴨居玲のパトロンであり親交も深かった日動画廊の長谷川智恵子さんの著書『鴨居玲 死を見つめる男』(講談社、2015年)には、昭和20年代に国立西洋美術館でスペイン絵画(おそらくゴヤの作品)に出会ったとあります。当時、日本の美術界では抽象絵画がもてはやされていました。鴨居はその傾向に馴染めず、写実的に具象を描くスペイン絵画に光明を見出し、1959(昭和34)年にヨーロッパへ渡ります。

本研究では、この西美でのスペイン絵画との出会いから、鴨居とゴヤの影響関係を明らかにすることにしました。また、当時の美術教育、美術動向についても考えます。

5/29訂正:日本でのゴヤ展は鴨居の出立後、プラド美術館に行ったという記述はあるので、そこでゴヤを見たか?

総括

さっそく行き詰まったり方向転換をしたり、ワインディングロードな我々の卒論リベンジ。けれど、早めに切り替えた方が修正が小さく済みますし、むしろグッジョブ!
卒業がかかったガチの卒論ではないので、楽しんで取り組めることを第一に課題やハードルを設定し、何より自分たちが納得いくようなものにしていきたいと思います。

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