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社会の枠組みが作る、"不適合者"というレッテル

定型的な社会に適合できないからという理由で、自己を社会不適合者だと嘆き苦しむ人たちがいます。でも、社会が変われば彼らだって企業の中で業績貢献ができる得意分野を持っていたりもするんです。定型的な社会に適合できないこと=仕事ができない、ではないはずなんです。

私も転職エージェントなどに希望条件について、環境依存だとか散々言われてきました。しかし、定型的な社会に適合するには色んなものを犠牲にしなければならない。例えば人間らしい清潔な暮らしとか。健やかに生きるための環境を求めることのどこが悪なのでしょうか。

手に職をつけて、必死で環境や条件を選べる人材になるために血反吐を吐く思いで期間を決めて必死で働きました。その結果、今はだんだんと選択肢が広がってきています。でも私は色んな運や人に恵まれてきたので現状は実力というより奇跡の上に成り立っていると思っています。嘘偽りなく、死と隣り合わせのギリギリの日々でした。

私は発達の特性があることもあり、とても変わっていると周りに評価を受けることが多くありました。そんな私のそばに居てくれる友人たちもとてもユニークで、私にとってとってもとっても心優しい素敵な人たち。そんな友人たちは繊細で、色んな物事を広く観察し深く考える人達でした。それぞれに得意なことがちゃんとある。それでも、度々定型的な社会からこぼれ落ちてしまうことを繰り返している人は多かったんです。だからこそ、そんな人達が適合しやすい社会を、会社を、私は作りたいんです。

繊細な人達は一日に受け取る刺激が多く、感性の豊かさから一日にたくさんのことを考えます。仕事ができないのではなくて、仕事をして、評価をされても、継続ができないんです。定型的な社会に属することで、ずっと無理をしているから。世界に対して敏感なアンテナを持ち、疲れてしまいますい体質で、定型的な環境での労働には無理があります。

彼らや私たちは、大真面目に必死で生きていて、色んな人の仕事を巻きとったりして色んな貢献しているのに、決まりきった働き方じゃなきゃ生きていくのに足りるお金が稼げなくて、継続できないからという理由で働きが評価されにくく、その評価は闇に消えてなかったことになる。そして自ずとキャリアも積み上がらないからずっと安く買い叩かれる。障害者は当たり前に安い賃金で働かされる。サポートや支援が必要でも、働く時間や日数を調整するとか、自宅作業にするとかフレックスにするなどの環境が整えば、健常な人と同じ働きができたりもするのに。

だから、私は、"社会不適合者"とは、たかが社会の仕組みが産んだレッテルでしかないとそう考えています。彼らが仕事を継続できない理由は、労働環境にあります。社会が、受け皿になる会社が変われば、"社会不適合者"なんてレッテルを貼る相手は、貼る自分は、いなくなっていくはずです。

光るものを持って希望に満ち溢れて生まれてきたこと、疑わないで健やかに生きたいし生きて欲しい。これは私の勝手な願いですが、社会で自分は社会不適合者だと自分を肯定できないあなたへ、私は定型的な社会が得意ではない人たちに向き合い続けて、共に健やかに暮らせる社会を、会社を創ってみせます。

時間がかかるかもしれないけど、模索しながら、たくさんの社会適合に苦しむ仲間の声を聞きながら、たくさんたくさん考えて、いつかきっと形にしたいと考えています。

本当の心身の健康を100%願ったとき、そこにあって欲しい会社やその環境はどんなものですか?
たくさんの声を聞かせていただけるとうれしいです。

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一緒に日々闘って生きてるすべての人へ。
生きてるだけで万々歳!
一緒に変えましょうね。こんなレッテルのない世界に。

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