それぞれの修学旅行事情〜そら編〜

気がつけば前回の記事から1ヶ月が過ぎてしまいました。
続きの記事も下書きに溜まっていくばかり。
発信タイミングを逃してしまうというタイミング音痴の私でありますが、たまには一気にガーっと書いて発信するのもいいかも。
そんな気持ちにさせてくださったのが、いつもお世話になっている千世さんの記事。

確かに地域によっても世代によっても修学旅行事情は全く異なるので、読んでいてとても楽しい、ワクワクしました。
コメントしようと、ウン十年も昔の朧げな記憶を手繰り寄せていると、コメント欄には収まりきらない思い出が溢れてきました。
それならば記事にしちゃおう。
ということで、今回の参加条件はこちら。

必要条件〉
・お住まいの都道府県を記事中に明記
・ハッシュタグ「#修学旅行事情」
・当記事(千世さんの)のリンクを貼る

千世さん「それぞれの修学旅行事情」より 

あなたはどんな修学旅行でしたか?



私の修学旅行


私は北海道札幌市出身。大学までを札幌で過ごした。

北海道といえば、むしろ修学旅行の受け入れ先の一つでもあるだろう。本州(内地)の高校生がとても眩しく感じられたことを思い出す。特に冬、私たちがスキー場で体育の授業の一環として滑っているとき、お揃いのウェアを着た高校生くらいの集団が恐る恐る滑る姿があれば、それはほとんどが本州からの修学旅行生だった。いきなり雪山でのスキー体験は本当に楽しめるのだろうかと当時同世代だった私は内心心配したものだった。一番人目を気にし、カッコつけたい世代ゆえの余計な心配だったかもしれないが。

前置きが長くなってしまったが、私の修学旅行を思い出してみよう。

⚫︎小学校はニセコ

最近の状況はわからないが、30年前の札幌近郊の公立小学校の多くが修学旅行といえば洞爺湖、登別、昭和新山あたりをまわるのが定番コースだったと思う。同じ学校の私の一つ上の学年もそうだったはず。
定番のお土産はバター飴。あとは北海道観光っぽいキタキツネのキーホルダーなど、小学生にとっては同じ北海道内でありながらも「お土産を買う」という行為が嬉しくてお土産屋を物色するとどうしてもそういうチョイスになってしまうのだった。

上記定番を踏まえ、私の学年はちょっと異なる独自の旅程が作られた。今思えば担任の先生が熱心だったこともあり、さまざま思考を凝らしてくださっていたのだろう。しかし当時の我らは6年生になったら洞爺湖へ行くことを想定していたため、なぜかがっかりしたものだった。子供とは本当に残酷である。今思えば、オリジナル日程を組むだけでも大変なことだったに違いない。事実とても素晴らしい修学旅行だったと思う。

・海岸で地引網体験
 多分豊浦というところだっただろうか、噴火湾沿いの浜辺で地引網をし、とれた魚をバーベキューで食べた。
・宿は旅館ではなくホテルでフルコース
 夕食は洋食のフルコース。テーブルマナーを解説してもらいながら初のフルコース体験で、思い返せば食器を外から使うというルールはそこで学んだものだ。なんと画期的な企画だろう。
・早朝の牧場で搾りたての牛乳を飲む
眠い目を擦りながら連れて行かれた感が否めなかった。実にニセコらしい体験。
・有島武郎記念館
 実に渋い。よくわからないけれど、なんだか魅力的だったことを記憶している。
 今こそもう一度訪れた居場所の一つだ。
・SL乗車とリコーダー合奏
 もしかしたら逆に30年前は今よりもSLに乗る機会は希少なものだったかもしれない。なぜかSLの中でリコーダーを全員で演奏したのだった。しかし前日の慣れない夜更かしのせいで演奏直後速攻寝落ちしてしまったのだった。

小学生にとっての1泊2日というのはとても長く大冒険のような気がしたものだ。あぁ、懐かしい。

⚫︎中学校は八戸、函館

どうだろう、このコースは札幌近郊の定番だろうか。しかも記憶がかなり曖昧で2泊だったか3泊だったかすら定かではない。何を見たか、何を食べたかそんなことは忘れてしまったが、とにかく移動中、車窓を眺めることもなく友人とのおしゃべりが楽しかったということばかりが体感として残っている。修学旅行ってそんなもんだよね。
お土産の定番は男子は木刀。なんでだろう。あとは青森の一口サイズのりんご餅。

・苫小牧からフェリーで八戸へ
8時間近い長い船旅。北海道という島から船で脱出し本州へ渡るのはとても新鮮だった。当時笑っていいとも!を夕方に放送していた青森。船内のテレビで夕刻にそれを見たことで、全く別世界へ来たことを実感したのだった。
・小牧温泉
実は全く記憶がないにも関わらず、ここにこの名前をあげたのは、数年前に同級生と話していた時に、ここだったと教えてもらったからだ。渋沢栄一ともゆかりがある大きな宿だったというけれど、全く思い出せない・・・
・奥入瀬渓流
バスから降りることなく、景色を見ただけだったと思う。なんともったいない。
ただあまりにも美しくてポストカードをお土産に買ったことを記憶している。
・ねぶたの展示
あれはどこだったのだろう、展示館がありそこを見学した。同じ場所かどうかは定かではないが、現在ではかなり立派な施設があるとのこと。本物のねぶた、ねぷた祭りも観ずには死ねないと今では思っている。
・十和田湖
一瞬かすめた秋田県に「わー、秋田だ」と車内が盛り上がったことを覚えている。
・バスガイドさん
りんごの歌を歌ってくれたこと、青森訛りの早口言葉を話してくれたことをとてもよく覚えている。
北海道民もそれなりに訛っているけれど、青森のそれは全くの異次元で、騒がしい車内も皆圧倒され引き込まれたのだった。

「しゃべればしゃべったって、しゃべられるし
しゃべんねばしゃべんねって、しゃべられるし、
どうせしゃべられるんだば 
しゃべんねでしゃべったってしゃべられるより、
しゃべってしゃべられだって
しゃべられだほうがいって
しゃべってらってしゃべってけ」

青森の早口言葉


・青函フェリーで函館へ
帰りはルートが異なり、4時間ほどの船旅。津軽海峡冬景色の「連絡船」はこのルートだろうか。今はもう新幹線で繋がっている本州と北海道・・・感慨深い。
・函館自由時間
函館は大好きな街。家族旅行、友人との旅行で何度も訪れ、記憶が上書きされているのか、修学旅行でどこへ行ったかは覚えていない。半日自由行動で、男女2人ずつグループ行動することになっており、クラスの唯一のヤンキーくんと中立的な紳士くんと行動を共にしたことを今思い出した。彼らはどうしているだろう。

中学生にとっての本州上陸というのは遥か異国への大冒険のような気がしたものだ。あぁ、懐かしい。

⚫︎高校は京都、東京

高校となるとそれぞれの学校の特色が出てくるもの。当時海外への修学旅行はまだそれほどメジャーではなかったかもしれないが、それでもほとんどの道内の高校生は道外へ行っていたのではないだろうか。北海道王国は広すぎて、それこそ多種多様かもしれない。それでも札幌市内の多くの公立高校は飛行機で本州へ、もしくは行きは夜行列車、帰りは飛行機というのがオーソドックスだったと思う。
しかし我が母校は珍しく往復とも寝台夜行列車利用で、その分他の学校よりも一泊多く設定されていた。高校生にとってはそれはそれで得した気分だった。

・札幌駅から京都駅へ貸切寝台列車
寝台列車は初めて。北斗星だったのか、青い貸切臨時列車。日本海周りのルートだったと情報だけは記憶している。高校生の我らにとっては夜通し自由行動のようなものだ。美しかったはずの景色は見ることもせず、狭い寝台でひたすら喋り通し、初日から寝不足まっしぐらだった。朝を迎え、覗いた車窓から見えた瓦屋根にとても感動したのだった。トタン屋根が主流の北海道ではほとんど見ることができない景色だったからだ。
・奈良、京都で寺社見物
大仏見学、そして柱の穴をくぐり、鹿にも会った。法隆寺も行ったはず。
そうだ、確かにあれは奈良に違いない。京都では金閣寺も、銀閣寺も、平等院も、清水寺も行った。歴史に触れるのも楽しくて、真面目に解説を聞いていた気がする。
・京都自由行動
自由行動の時間には鈴虫寺、地主神社へゆき、錦市場なども歩いた。くずきりやみたらし団子といった定番もしっかり網羅した気がする。
・新幹線で京都から東京へ
私も初めて新幹線に乗ったのはこの時だった。道民にとって新幹線に乗るのはそうそう経験できることではな炒め、実は結構貴重な経験だった。現代でも飛行機には乗ったことがあっても、新幹線には乗ったことがないという道民も少なくないだろう。30年前ならなおのこと。
・ディズニーランド自由行動
関西圏から関東圏へ移動してきたものの、東京観光などは一切なし。行ったのは全員、東京ディズニーランド。そしてそこでの自由行動。言わずもがな高校生の我らには最高だった。
・東京駅から札幌駅へ
帰りもまた夜行列車。当時は特に気にも留めなかったが、おそらく東北本線を北上して帰ったのだろう。ディズニーランドの夢の世界を引き摺りながら、修学旅行最後の夜を再びおしゃべりで過ごした。オマケのような「もう一泊」は本当に楽しかった。

高校生にとって東京はテレビの中の世界、大都会だった。ほとんど観光はしていないけれど、降り立っただけで感動したものだ。あぁ、懐かしい。

こうして振り返ってみると、成長とともに、世界が少しずつ広がってきたのだと改めて感じた。高校卒業後は大学進学とともに地元を離れた同級生も多かった。
私は大学時代まで地元で過ごしたが、その大学にも日本全国から学生が集まっていて、鹿児島出身の先輩の言葉を聞いた気には、なぜか青森の早口言葉を思い出したものだ。
社会人となり、本州に住むこととなり地理的にも様々な場所を訪れやすくなり、たくさんの旅をすることができた。北海道にいた時には本州以南のちりはさっぱりわからなかったが、今ならおそらく47都道府県ほぼ配置を頭に浮かべることができるだろう。

そして今、世界地図もぼんやりではあるが、少しずつ場所がイメージできるようになってきた。これからどんな旅ができるだろう。期待は膨らむばかりである。


気づけば長い記事になってしまいました。ついつい書きすぎちゃうんですよねぇ・・・
でも、ダーーーっと書いて、ポンと発信するのも楽しいですね。

改めて、皆さんの修学旅行はいかがでしたでしょうか。
千世さんの記事にコメント欄にたくさんの方の声がありますので、お読みいただくと面白いと思います。

千世さん楽しいご提案ありがとうございました。



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