見出し画像

その旅の行き先を決めたもの

旅の行先を決めるものにはいくつもの理由がある。

雑誌や旅番組でたまたま目に留まった場所、食べたいものがある場所、会いたい人がいる場所・・・

私の場合、とりわけここ最近はルーツ関係の旅をすることが多かった。
あとは会いたい人に会いにゆく旅、これは実家帰省も含まれるかもしれない。

そんな私が約20年前、新婚旅行に選んだ場所は北京だった。
新婚旅行の場所に選ぶには渋過ぎただろうか。
ハワイとかヨーロッパとかフィジーとか新婚旅行でのんびり過ごす場所にすればよかったと後々思ったものだ。

しかも行ったのは極寒の2月。雪はないものの、昼間でもマイナス10度、大陸の乾燥した空気、そして強風による強烈な寒さは今でも忘れられない。

そんな過酷な北京を選んだのはいくつかの理由がある。

1つ目は単純にその時仕事の都合で長い休みが取れなかったから。

2つ目は当時仲良くなった友人の一人が、北京に留学経験があり観光目線とは少し異なる北京の話をたくさん聞き、とても身近に感じられる場所となったから。
おそらくそれは彼女の目線を通し、青春の空気をまとったキラキラしたものだったという底上げ効果があったことも大きいだろう。

3つ目は当時2008年の北京オリンピックを目前に、開発前の北京の古い街並み胡同フートンが残っているうちに見ておきたかったから。
オリンピックでそれらが消えてしまうという話を耳にし、今しか見られないその街を見ておかないと後悔する気がした。いつか、ではダメだな、と。

4つ目、これが最大の理由。
それは「紫禁城」へ行きたかった、つまり映画ラストエンペラーに影響されてのことだった。

1406年に建設が開始された紫禁城は明、清歴代皇帝が暮らした古城で、1924年には故宮博物院となり、広く市民に開かれた場となっている。そして1987年にはユネスコの世界遺産に指定されている。

⭐︎

映画「ラストエンペラー」を初めて観たのはテレビで放送された時だったと思う。
当時私は小学校高学年だったと記憶している。

どのシーンも、圧倒的な重厚感と、妖艶さと、孤独感と、絶望感が漂い、トラウマになりそうなほど恐ろしく感じていたのに、何故か釘付けになってしまったのを覚えている。
感動や美しさへの感銘というよりもむしろ強烈な恐怖体験だった。
そして美しく切なく時に恐ろしく不穏感が漂う映像とそれに呼応する音楽に、心がざわついた。

ストーリー自体を理解するには当時は十分ではなかったものの、強烈なインパクトだけが心に残った。
その後大人になってからも何度か観る機会があり、少しずつ理解を深めることができた。

若き皇帝、溥儀が乳母を追いかけ駆け出すものの、ことごとく固く閉された扉に阻まれ、結局は自由のない紫禁城に閉じ込められているというシーンは、涙が止まらなかった。それはいつの間にか嗚咽を伴うほどの号泣に変わった。
そのシーンの背景に流れていたのもまたラストエンペラーのテーマだった。

それは今思い出しても、不思議な感覚で、自分自身の感情とは少し異なるものに揺さぶられたようだった。

⭐︎

日本を発つ直前、たまたまNHKで坂本龍一さんの演奏が放送されているのを目にした。
スタジオにはピアノが一台、痩せ細った姿が奏でるピアノの音色は静かな中にも鬼気迫るようだった。

音楽はそれぞれの記憶と溶け合いながら、新たな物語を作り、心の中で生き続けていくのだろう。

旅の行先を選ぶことは、人生の選択肢選ぶことに少し似ている。
時に直感に従い、時に熟考し、時に流れに任せる。

意識的に影響を受けたものもあれば、無意識下で影響を受けたものもある。
音楽や言葉や映像や人との関わりや環境、数え上げればキリがないそれらからたくさんの影響を受けた集合体として今の私が存在している。

きっとそんなふうにして坂本龍一さんの音楽が私の中にも流れているんだろう…

“Ars longa, vita brevis.”
Art is long, life is short.
芸術は長く、人生は短し



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?