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【母方ルーツ#1】 53人もいる!

10年ほど前のドラマで「11人もいる」というのがありました。

も、いる!という語呂がちょうどいいので、ドラマを見ていないのにこのタイトルにしてみました。

「53人もいる」

では誰が53人もいるのかというと、母のいとこです。

これ、驚く数字ですか?
それともふーんという数字ですか?

私には、かなり驚愕の数字だったのですが、いかがでしょうか?

私自身のいとこは5人。
むしろ少ない方なのかもしれません。

世代というのもあるかもしれませんが、父のいとこは15人(くらい、たぶん)。

では、本当に母のいとこは53人なのでしょうか?

実は正確に53人かどうかは定かではなく、最低でも53人はいたということらしいのです。

せっかく母方先祖の戸籍も全て手元にあることですし、まずは祖父母の兄弟だけでも整理してみたいと思います。

母のいとこの正確な人数はわからなくとも、祖父母の兄弟の人数は戸籍から知ることが出来ます。

これまで父方ルーツを追いかけてきましたが、今回はちょっと気分を変えて母方についても触れていきたいと思います。


おじいちゃんは12人兄弟

母方の祖父は大正11年生まれ。

12人兄弟の9番目、五男として北海道で生まれており、その構成は男7人、女5人です。

長兄が生まれたのは明治35年、一番下の弟が生まれたのは昭和8年。

なんと、明治35年から昭和8年までその間33年にわたり、ひいおばあちゃんは子供を産み続けたということになります・・・

産めよ増やせよの時代。
当時は珍しいことではなかったのかもしれませんが、栄養状態も良くないその時代に出産と育児を同時進行で奮闘した曾祖母は、なんと逞しい女性なのでしょう・・・

ポンコツの私には想像もつかない、強靭な女性です。

(そんな逞しい曽祖母イヨさんについて、現在絶賛ルーツ調査中ですので今後しっかり追いかけていきたいと思います。)

12人兄弟のうち、2人は早世しており成人したのは10人とのこと。

祖父の兄弟には私が子供の頃に何人かお会いしたことがある方もいるけれど、みんな同じ顔をしていたなぁという印象が残っています。

おばあちゃんは11人兄弟


母方祖母は大正15年生まれ。

寅年ですから、もし生きていたら96歳、今年年女です。

11人兄弟の7番目で四女として北海道で生まれました。
構成は男4人、女7人。

祖母もまた、たくさんの兄弟がいたのでした。

長子は大正4年に、最末子が昭和11年に誕生していますから、こちらもまた兄弟で22歳もの年の差があり、祖父兄弟同様に大きな年の差です。

祖母の兄弟もまた幼い頃に亡くなる子が多く、女児7人のうち4人は早世しています。

祖母の話によると、兄弟はどの子も小さな赤ん坊でお乳も飲めないくらい弱かったそうです。

今も昔も子を亡くすことはとてつもなく辛いことですが、当時はそういうことがどの家でも当たり前だったのでしょう。

産んで、失い、産んで、失い・・・

そうして成人できたのは11人のうち7人。

祖母は四女にして成人できた初めての女児でした。

祖母もまた「この子も育たないだろう・・・」と心配されるほど痩せた赤ん坊だったようですが、その後は丈夫にすくすく育ったそうです。

おかげで今ここに私がいる。

命がつながるということが奇跡の繰り返しなのだということを改めて感じさせられます。

ちなみに祖母の妹2人に何度かお会いしたことがありますが、お二人も祖母そっくり。
どちらがどちらかわからないほど、同じような顔をしていました。

DNAってすごいですね。


ひいおばあちゃんの記憶

父方母方あわせ曽祖父母8人のうち、私が直接会うことができたのはたった一人。
母の母の母である曽祖母ミチです。

ミチは明治29年生まれ、昭和63年に92歳で他界しています。

離れた場所に住んでいたので、最晩年には会うことはなかったですが、私が5歳頃までに数回会ったように記憶しています。

まだ幼かったので何を話したかは覚えていませんが、絵に描いたような「おばあちゃん」という印象が残っています。

昭和も終わろうという時代でもなお和装姿で、背中が丸く小さな体で、動く時もゆっくりゆったり時が流れていました。
それが私の内側にある「明治時代」の空気に繋がっていたようにも思います。

「ひいおばあちゃん」というのがどういう存在なのかを体験させてくれたことは、今思えばとても貴重なことだったかもしれません。

これまで父方曽祖父母についての記事も書いてきましたが、実際には会ったことがないため、どうしてもイメージの中の人物でしかありません。

けれど、ミチさんは違う。
記憶は微かであっても、実際に会ったことがある確かな存在です。

おかしな表現かもしれませんが「生身の人間」として会うことができた曽祖母ミチの存在は、現実的な体験として確かに私の人生に刻まれているルーツそのものです。

おばあちゃんのお母さん、お母さんのおばあちゃん、そして私のひいおばあちゃん。

女、女、女、女の四世代の繋がりを体験できたこともまた不思議な縁を感じるもので、私自身を知るために大切な鍵となるようにも思えます。

結局母のいとこは何人?

成人できた祖父の兄弟は10人、祖母の兄弟は7人。

祖父母本人たちを抜いて、15人それぞれの子供が3−5人が母にとっての従兄弟となるわけですから、いとこが50人以上いるのもまぁ納得といったところです。

そんなたくさんの母のいとこのことを、私はほとんど知りません。

母はある程度わかっているそうですが、それでも正確な人数は把握できていない様でした。

なにせ上から下まで年の差がありすぎて、いとこなのか叔父なのかということも曖昧のようでしたから。

たくさんいる母のいとこの中でも、私がしっかり認識している方が数名います。

昔はよくあった親が決めた婚姻だからこそでしょう、祖父の弟と祖母の妹が結婚しているのです。

兄弟で二組の夫婦。
すでに述べたように祖父の兄弟は皆同じような顔、祖母の姉妹もまた同じ様な顔・・・

その兄弟が結婚したわけですから、その家のいとこは母の兄弟といってもいいくらい、よく似ているのです。

母もまた他のいとこたちよりも強く親近感がわく存在ということで、親しくしてきたようです。

最近すっかり母に似てきた私、そして祖母に似てきた母。

見た目もさることながら、たたずまいが似てくるんですよね。
DNAにしくまれた暗号の強かさに脱帽です。

今回は母方のお話をしてみました。

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。




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