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人を責めていると自分を見つめなくて済むから 自分を責めたくなくて人を責めていた

先日、【プライベート無料相談】
のご案内をしたところ、
1時間で定員となりました。

その後、
「定員になりました、受付締め切ります」
のご案内をFBではしたのですが

このnoteや公式LINEでは
していなかったのでご予約は8名に。



今回の無料相談は
本当にこれで締め切ります。

おそらく季節の変わり目ごとに行うか
と思いますので

またタイミングが合う時に
お申し込みいただけたらさいわいです。



お話をきかせていただいて思うのは
本当にお一人おひとりに物語があるなぁ
ということ。

自分の話を
「たいしたことない」
とおっしゃるんですけれど

どこまでも、人と比べることが
身についてしまっている私たちは


大変な人と比べて

(たとえば難民となってる方々)

「私のはそこまでじゃないし」
と思ってしまったりしています。


感情は、誰かと比べての「相対」はなく
あなたの中で「絶対」。

私が感じていることは
誰かと比べられません。

私が痛いと言えば
間違いなく痛いし

悲しいと言えば悲しいんです。


もし私が
どなたかの話を聞いて
「あなたの話は大したことないわね」
と言ったら

お相手は、悲しくなったり
気を悪くしますよね。

ムッとしたとしても

「何てこというの?」
と私には言わず

もうチエさんには相談しない

ってことになると思います。


実は、「私の悩みなんて大したことない」
と言ってしまうのって

自分で自分に
それをやっちゃっているのと
同じことなんですよね。


自分の中の傷ついた自分に

「大したことないよ」って
言っちゃってるんです。


本当は悲しいけれど
大したことないって
私から言われて

もう、あんたには何も言わんわ

となっています。


自分のことがわからない
って、そういうことです。



私たちは、五感を通じて
情報を脳にインプットしています。

つまり、目や耳などから
入ってきた情報によって、
「世界」を理解しているということ。


それをもとに、身の周りの状況を記憶したり、
それを伝えて周りの人と
コミュニケーションを取ったりしています。


私たちは、これらの五感を通した
知覚システムによってしか
「世界」を把握することができません。



自分が感じていることを
知る必要があります。


誰かの話を聞くように
自分が感じていることにひたすら
目を凝らしたり、耳を澄ませたり、
感じたりして言葉にしていくこと。


日々に忙殺されたり
他に正解があるんじゃないかと
外にばかり意識に向いていると
ますます自分からは離れるばかり。

正解は自分の中にしかありません。


やりたいこと
やりたくないこと
本当にはどうしたいのか


誰からもジャッジされないところで
好き放題、書いたり話してみること。



全部出し切ってみると
また違う側面が見えてきます。


ドラマ「だが、情熱はある」
にも出てくるエピソード。

南海キャンディーズ結成より前、
足軽エンペラー時代のやまちゃんは、
うまくいかないことを
相方の和男くんのせいにして責めたり
ダメ出しばかりし続け、その結果、
和男くんをブチギレさせるの。


その後、やまちゃんは


「人を責めていると自分を見つめなくて済むから、自分を責めたくなくて人を責めていた」

という述懐をします。




やまちゃんという人が
呆れられながらも愛される理由は
よくもわるくも、
どこまでも自分を出し切るからだ
と感じます。

(それまでにも大概やまちゃんはひどいんだけど、それでも相方で居続けた和男くんはすごい。もちろんしずちゃんも。これぞ、愛だな。)




私もたいていひどいんですけれど

そんな自分がいることを認めると
誰かの話を聞いても

「それ、私にもあるわ」となって
お互い、ここまでよぉがんばってきたよね
という気持ちになります。



自分を知る、そのお手伝いをしています。

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