生きる、それは非常に難しい。難しいが、難しいことばかりではない。

新年ともなれば書くことは決まっている。そう、『新年の抱負』である。
………………………なんかある?
毎年のことであるが、目標なく人生を生きすぎているため、抱負とかが全くない。全然ない。考えるのでちょっと待っててください。

いや、やっぱり当面の目標は「生きる」で良い気がする。結構難しいと思うんだ、生きることって。普通に生活できればそれでいいや。

とはいえ、なんかこう、今年やるべきことは多い。就職活動に卒業論文。2022年にできなかったことすべてが今年襲い掛かってくるのだ。困る。非常に困る。どうしよう。
1年のうちにふたつも大きな課題をクリアしなきゃいけないのは、結構きつい。体力的にも精神的にも。でもみんなやってるんだよな。すごいなぁ。

就職活動、既に路頭に迷っている。何と言っても、やりたいことが分からないのだ。かといって別に躍起になって自分探しをするわけでもなく、ただダラダラと時間を過ごしている。非常に、まずい。
私の実家には、お金がない。本当にない。だから家に頼れるなんてことはなく、必死こいて、少なくとも新卒の平均年収程度は貰えるような会社に行かなくてはならないのだ。自分の生活は自分でまかないながら、実家にお金をも入れなければならない。本当に家にお金がなさすぎて、一人暮らしをする自由さえないのだ。
あー。どうしよう。就職できんのかな本当に。そもそも大学卒業できんのかな本当に。卒論書けんのかな。
卒論のテーマなんて決まっていない。決めるのすら億劫だ。頭を使いたくないのだ。シナプスがプツプツと途切れてしまって、なんだか上手く思考ができない。そんな状態がもう半年以上続いている。なんだかね。

もう2023年になったらしい。私の犬が亡くなったのは、2022年2月の頭だった。1月ごろから徐々に衰弱していって、ご飯を食べなくなった。ちゅーるを舐めてすらくれなくなった時、本当に悲しくて泣いた覚えがある。今こうやって思い出すだけでも涙が溢れてきてしまう。この間だって、犬のことを思い出して泣いた。正直、まだ全然悲しいのだ。1週間に1度は必ず泣いている。別に日課とかじゃなくて、自然と思い出してしまって、涙が止まらなくなってしまう。家にいても、愛すべき1匹の家族がいない。「いない」という現実をまだ受け止められていないのだ。
だから却って、家から出てペットショップなんてところに行って可愛いワンちゃんたちを見ている方がよほど落ち着くというか、現実を忘れられる。ある意味これがアニマルセラピーというやつなのかもしれない。「犬を見ること」は辛くない。なかなか不思議なものである。
この間は偶然立ち寄った地元のペットショップで、愛犬によく似たマルプーに出会った。運命だと思った。本当に、そこに立ち寄ったのは偶然だったのだ。でもやはり動物も値上がりの余波を受けている。私のお小遣いをかき集めても手が届かないお値段だった。具体的に言うと、43万円だった。高い。高すぎる。犬って「高級品」なんだな。うちは貧乏だからとても無理だ。飼っている以上はごはんやらトリミングやらの諸経費だってかかる。たぶんもう、そういうお金は、うちには残っていないのだと思う。
それでも、定期的においおいと泣く私を見て、母は「犬飼う?」というようなことを言ってくる。見るに堪えないくらい泣くこともあるからかもしれない。私自身、定期的にブリーダーのサイトを見たりする。でもやっぱり高いし、何より愛犬の面影を探してしまう。またいずれお別れしなきゃいけないのだと思うと、それでまた泣けてくる。難しい問題だ。
愛犬は6歳だった。がんで余命宣告をされてから、半年生きた。持って2,3か月と言われていたのが、半年。数字だけ見れば上々だろう。でも、6歳だった。犬の平均寿命は14歳前後。半分以下だ。まさか7年も経たずに別れることになるなんて思いもしなかった。世間にも若くしてこの世を去る犬猫は少なからずいるだろうが、きっとその家族はみんな思うだろう。「まさかうちの子が」、と。
平均寿命なんて、足して割っただけの数値に過ぎないのだ。そこまで生きることは決して「当たり前」じゃない。そのことを私はもう嫌というほど知っている。だから、何が言いたいかというと、怖いのだ。長生きする保障なんてどこにもないのに、動物を飼うということが。
動物を飼うという覚悟ができていなかったわけではない、と思う。ただ、あまりにも早すぎた。こんなにも引き摺っているのは、そのせいだと、思う。

ね。2023年になったんだなぁ、と言って犬の話を始めるのはまだ全然立ち直れていない証拠である。全然未来志向じゃない。未来なんて見えないのだ。
新年の抱負もろくに思いつかない。正直、「生きたくない」とさえ思っている。だからこそ抱負は「生きる」なのである。今年の目標も、生きること。人間だって、いつ死ぬか分からないからね。生きるって難しいんだ。
だから、生きているだけで偉いという言葉は意外と的を得ている気がする。今日も生きてて、えらい。

私のお正月は非常に味気なく、三が日の楽しみの全ては箱根駅伝に凝縮されている。(とんねるずのスポーツ王は俺だ!も観たかったが、あいにくバイトと被ってしまった。これを書いている現在放送中である)
今日も箱根駅伝のために早起き(当社比)をした。今までは全然起きれなくて見れて3区くらいからだったのが、今年は初めて1区と花の2区を見ることができた。が、しかし寝っ転がりながら見ていたため眠気に襲われ、肝心のゴールシーンの時にはもう爆睡していた。青学と中大と駒大の熱いデッドヒートはギリギリ見ていたが、微睡みすぎてあれはもう何区だったか覚えていない。「これがエースが集う花の2区か……」と思った記憶があるので2区かな。ちなみにヴィンセントの4区60分切りもギリギリ見た。
駒大の田澤くんも東京国際のヴィンセントももう4年らしい。時が経つのは早いなぁ。大学4年って同級生じゃん!すごいなぁ。
「すごいなぁ」で終わってしまうのも良くないのかもしれない。「私も頑張らなきゃ!」くらいの気概があっても、いいのではないか。そう思わなくも、ない。
ま、いいや。
箱根駅伝が終わったら次は春高バレーである。4日から!不肖わたくし、今年の春高バレーは全部見るくらいの勢いで臨みたいと思い全休にさせていただきました。はい。いや~、楽しみだな。
新年からスポーツたくさん、良いですね。春高バレー楽しみに1年過ごしてきたようなもんだし。
スポーツはやはり生きる活力を与えてくれる。すごく元気をもらえると思う。やってる人たちがみんな元気だからね。気兼ねなく楽しめるというか、うん、やっぱり活力を貰えるってやつだと思う。スポーツ賛歌。生きるのは難しいけど、苦しいことばかりじゃないと思わせてくれる、かもしれない。スポーツにはそういう力がある。明日も頑張ろうと思わせるような力が。
そんな感じで、それじゃあ今年も盛り上がっていきましょう。


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