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東京は二度焼けた 3/3:暗い未来と方丈記

「へんな経験」は鴨長明の「方丈記」を連想させるように書かれている!?


「へんな経験」において、水の描写はそうとうにしつこく繰り返されています。

水に関連した言葉を前から順にピックアップすると、下のようになります。短い文章の中でこれだけの数が出てきていますから、頻度としては相当なものです。

細かな霧雨、レインコート、銀色の水玉、細い一本の溝、二つの流れ、屋根は濡れ、びっしょりと濡れ、粉のような霧雨、雨に濡れた東京、霧雨の中に、雨の中に煙って、霧の中、深い湿気、濡れつくし、湿気の底、しめっぽい空気、雨に打たれている、冬の海、霧雨の中、一面の海、その海面から、海の上、雨空、海の下に、海の潮、満ちたり干たり、霧のような雨は、雨のむこうに、潮のように、大きな渦の中、水の分子、世の中を海や河に、雨外套が濡れて、雨に濡れて、目に見えない潮、潮の中の一つの水玉、チラチラと霧雨の、人間の上げ潮とか人間の引き潮

文学作品の書き方としてはあまり上手なやり方ではありません。

ですが、吉野はあえてクドクドしく書いているのではないのか、そこに何かの含意があるのではないでしょうか。

少なくともそう考えてみる事は、「君たちはどう生きるか」という特殊な作品を読解しようとすればどうしても必要になるのではないでしょうか。

(「ナポレオンと四人の少年」の章でも、高輪、品川といった地名がくどくどしく繰り返されていましたが、そこにもやはり特別な意味がありました。
「水谷くんのうちの大きな洋館」のモデル


コペル君の前に茫々と広がっている都会には、そのとき目に見えない潮が、たっぷりと満ちていました。コペル君は、いつのまにか、その潮の中の一つの水玉となりきっていたのでした――。
「君たちはどう生きるか」

潮の中の一つの水玉=よどみに浮かぶうたかた

あたかも東京が半ば冥界に沈み込んでいるかのような、こうした表現は、仏教的には「水月観」と呼ばれるものに相当します。

私のいう「水月観」とは、水に映る月を眺めるかのように、うつろいゆく世界を眺め見やる観じ方のことです。

「星空はなにを教えたのか」では、この水月観が強調されており、少しづつ表現を変え何度も繰り返されています。

君の知ってるとおり、ぼくは戦争にいって三年も中国のあちらこちらを歩きまわったが、山西省の運城というところにいた時だった。やはり冬の晴れた晩、黄河のふちで歩哨に立って、美しい星空がそのまま黄河の水にうつっているのをながめていたら、おとうさんといっしょに星を眺めたあの晩のことが急に心によみがえってきたことがある。
「星空は何を教えたのか」

水月観といえば、鴨長明の「方丈記」がとても有名です。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまるためしなし。
「方丈記」

「うたかた」とは、水の上に浮かぶ泡のことだそうです。

河のよどみに浮かぶ泡沫は、「水の分子」のように、互いにくっつき合ったり、そうかと思ったらふっと消えてしまったり。

鴨長明は、そんな儚い「うたかた(=泡沫)」の有り様は、人の有り様そのものであるといいます。また、人の住まいも同じだと彼は考えました。

関東大震災→コペル君が立った「復興の象徴」の銀座のデパート→東京大空襲

たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き卑しき人のすまひは、世々を経て尽きせぬ物なれど、是をまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或いは去年焼けて今年作れり。

(宝石を敷き詰めたように美しい都の中に、棟を並べ、屋根の高さを競っている、身分の高い者や、低い者の住まいは、時代が経ってもなくならないものではあるが、これは本当にそうなのかと調べてみると、昔から存在していた家というのはめったにない。あるものは昨年焼けてしまい今年造っている。)

「方丈記」

朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただの水の泡にぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。
「方丈記」

毎朝、東京の外側から、たいへんな人数が押しかけてくる。そして、夕方になると、それがまた一時に引き上げてゆくんだ。
「君たちはどう生きるか」


「方丈記」は、冒頭部分がとにかく有名で、さまざまな所で引用されています。ですが、逆に言えば、冒頭部分以降は、あんがい知られていなかったり、また、読んだことはあっても忘れてしまっているかもしれません。冒頭部に続くのは、1177年に鴨長明が23歳の時に実際に体験した、都での大火の生々しい描写です


風はげしく吹きて静かならざりし夜、戌の時ばかり、都のたつみより火出で來りて西北に至る。はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部の省まで移りて、一夜のうちに塵灰となりにき。火本は樋口富の小路とかや。病人を宿せるかりやより出で来たりけるとなむ。吹きまよふ風にとかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如くすゑひろになりぬ。遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすらほのほを地に吹きつけたり。空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じてあまねく紅なる中に、風に堪へず吹き切られたるほのほ、飛ぶが如くにして一二町を越えつゝ移り行く。その中の人うつし心あらむや。あるひは煙にむせびてたふれ伏し、或は炎にまぐれてたちまちに死しぬ。或は又わづかに身一つからくして遁れたれども、資財を取り出づるに及ばず。
「方丈記」

東京大空襲の被害

そのころ(引用者注:1938年ごろ)私は、ニューヨークの社会学研究所の報告で、当時日本を去ってこの研究所にいたレーデラー教授の、日本経済の分析と日本の動向についての判断とを読んで、強烈な印象を受けたことを覚えています。そこには、私たちの日本が戦争への道を辿って、やがて恐るべき破局に落ち込んでゆくという予見が、鋭い論理で語られてありました。中日事変で浮足立った新聞の記事を毎日見ながら、私は日本の行く末に暗澹たるものを感じずにはいられませんでした。(吉野源三郎)
「岩波新書の50年」

こよなく日本を愛した親日家レーデラーの貢献は,水沼知一
(1978)が指摘したように,大正期以後の日本の危機について的確な懸念
を日本に残したところにあった
「昭和の恐慌と『商工省準則』の形成」千葉準一

ナポレオンの行き先には、どうしても勝てない不幸な運命が待っているのに、ナポレオンは、やっぱりそこへ向かって攻めかけてゆかずにはいられなかったんだわ。敵に打倒されるまでも、敵に頭を下げて降参することができなかったんだわ。
「君たちはどう生きるか」

かつ子さんの語るナポレオン、それは、大日本帝国のカリカチュア。


吉野源三郎は、「君たちはどう生きるか」を執筆していた頃、正式な入社はしていないながらも、既に岩波書店での「新書」の発刊の企画に大きくかかわっていたものと思われます。

記念すべき岩波新書のナンバリング1と2に選ばれたのは、

「奉天三十年」(上・下)

でした。

奉天とは満洲国の首都。
スコットランド人のクリスティーの自伝的回想録で、
クリスティーの「無私の奉仕」の精神は、
「力による制服」という現実に対する何よりの批判でした。

つづくナンバリング3に選ばれたのは、
「支那思想と日本」
でした。

そしてナンバリング4は

「天災と国防」
でした。

言論の自由が甚だしく制限されていた当時の時代状況の中で、日本の敗戦を睨んだ上での出版ではないでしょうか。


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