「へんな経験」は鴨長明の「方丈記」を連想させるように書かれている!?
「へんな経験」において、水の描写はそうとうにしつこく繰り返されています。
水に関連した言葉を前から順にピックアップすると、下のようになります。短い文章の中でこれだけの数が出てきていますから、頻度としては相当なものです。
文学作品の書き方としてはあまり上手なやり方ではありません。
ですが、吉野はあえてクドクドしく書いているのではないのか、そこに何かの含意があるのではないでしょうか。
少なくともそう考えてみる事は、「君たちはどう生きるか」という特殊な作品を読解しようとすればどうしても必要になるのではないでしょうか。
(「ナポレオンと四人の少年」の章でも、高輪、品川といった地名がくどくどしく繰り返されていましたが、そこにもやはり特別な意味がありました。
→「水谷くんのうちの大きな洋館」のモデル)
あたかも東京が半ば冥界に沈み込んでいるかのような、こうした表現は、仏教的には「水月観」と呼ばれるものに相当します。
私のいう「水月観」とは、水に映る月を眺めるかのように、うつろいゆく世界を眺め見やる観じ方のことです。
「星空はなにを教えたのか」では、この水月観が強調されており、少しづつ表現を変え何度も繰り返されています。
水月観といえば、鴨長明の「方丈記」がとても有名です。
「うたかた」とは、水の上に浮かぶ泡のことだそうです。
河のよどみに浮かぶ泡沫は、「水の分子」のように、互いにくっつき合ったり、そうかと思ったらふっと消えてしまったり。
鴨長明は、そんな儚い「うたかた(=泡沫)」の有り様は、人の有り様そのものであるといいます。また、人の住まいも同じだと彼は考えました。
「方丈記」は、冒頭部分がとにかく有名で、さまざまな所で引用されています。ですが、逆に言えば、冒頭部分以降は、あんがい知られていなかったり、また、読んだことはあっても忘れてしまっているかもしれません。冒頭部に続くのは、1177年に鴨長明が23歳の時に実際に体験した、都での大火の生々しい描写です。
かつ子さんの語るナポレオン、それは、大日本帝国のカリカチュア。
吉野源三郎は、「君たちはどう生きるか」を執筆していた頃、正式な入社はしていないながらも、既に岩波書店での「新書」の発刊の企画に大きくかかわっていたものと思われます。
記念すべき岩波新書のナンバリング1と2に選ばれたのは、
「奉天三十年」(上・下)
でした。
奉天とは満洲国の首都。
スコットランド人のクリスティーの自伝的回想録で、
クリスティーの「無私の奉仕」の精神は、
「力による制服」という現実に対する何よりの批判でした。
つづくナンバリング3に選ばれたのは、
「支那思想と日本」
でした。
そしてナンバリング4は
「天災と国防」
でした。
言論の自由が甚だしく制限されていた当時の時代状況の中で、日本の敗戦を睨んだ上での出版ではないでしょうか。