見出し画像

16歳の夏、檻の中で小説を書いていた

4ヶ月前の話。
"まだ"4ヶ月前なのか、"もう"4ヶ月前なのかはわからない話。
わたしはインターネットから消え、閉鎖病棟に幽閉されていた。

割と大きめな絶望(抽象的な表現)があって、入院初期はずっと自殺を検討していた…訳でもなく、早い段階で小説を書こうと決めていた。
描いていたものが現実では実現不可能になってしまったのなら、創作として再現すればいい、現実で行った場合と比べると喜びは少ないのかもしれないけれど、似たようなものが感じられるのではないか…という試みだった。

"小説を書く"という目標ができてからは、1つ拠り所というか、生きる希望ができた気がした。
結局未だ誰にも見せることはできていないけど、この小説をいつか完成させてだれかに読んでもらえたら、今の自分の生存は認められるのではないかと、考え続けた。

描きたいものが決まっていたからか、書き進めるのはそこまで難しいことではなかった。
何より閉鎖病棟は娯楽が少なかったから、自分が書いたばかりの文章が娯楽となった。自給自足。
根拠は何もないけど、この小説が完成する頃には退院できる!全部大丈夫になる!などと勝手に決めて、それを信じ自分を誤魔化しながらメンタルを保ったりした。

初めて筆を握ってから1ヶ月経たないくらいで、小説は完成した。
創作物としてはまだ修正が必要だと思うし手書きなので修正が困難だが、ひとつの長編小説にピリオドを打った時は純粋に嬉しかったし、今後創作をやっていく上での自信になる…と思う。
逆に小説を完成させたことによりやることがなくなってしまい虚無になったりもした。
完全に偶然だと思うがそれから数日で退院が決まり、苦しかった(?)入院生活は終わった。

当初の、目標が自殺から小説執筆に変わった段階の予定では、ノートにシャーペンで書いた文字を都度修正を加えながらPCに打ち込む作業をやる予定だったのだが、未だその作業に入れていない。
退院して最初の2ヶ月はまともにネット環境が無かったりその後も忙しかったりなど外的要因もあったと思うが、4ヶ月も経った今小説に手をつけられていないのは何か別の理由がある気がした。

この小説を、創作的な意味で"完成"させるのが怖い。
あの時のわたしが書けるすべてを、あの時のわたしはこの小説に込めたのだから、それに手を加えるのは違う。
この小説は未完成なところも含めて完成なのではないか。
あの時のわたしは、これを創らないと自分を、自分の命さえも保てなかったから、この小説は当時のわたしにとっての呼吸器のような存在だったのではないか。
創作としてはベストとは思えない成果物だが、"成果物"で終わらせてはいけないくらい、わたしにとってこの小説は大切なものなのではないか。
だからわたしは、この小説を完成させることができない。

ーーーーーーーーー
幽閉されたこととか、書かないと自分を保てなかった弱さとかを抜きにしても、小説を書くのは楽しかった。
いつか創作物として、自分一人のためじゃない理由で小説を創りたいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?