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本当はいない方が良い場所で出会ったひとたち

それなりの数の人間と出会っているはずだが、その場所で仲良くなった人とこれからも仲良しであることがあまり良いとされない環境で育ってきたので、かつて友達だったひとたちの現在を知らない。

児童精神科病棟にいたとき仲が良かったあの子は退院して元気にやっているのだろうか?
一時保護所で懐いてきた小学生の子はどこで暮らしているのだろうか?
そういうことが、気にならない訳ではない。

でも、お別れのときにこっそり連絡先を聞いておいたところで、その後わたしが関わることが良い事だとも思えない。
そこでできた友達と、"その場所"で遊んだり生活したりするのは楽しいし、一緒に外で遊べたらどんなに楽しいだろうかとその瞬間は思う。
でも、実際に"その場所"以外で、外とかで遊ぶとなると、価値観とか、お互いの今までとか現在の生活などが違いすぎて、なんか違うねってなって、微妙な空気になる。

それに、出会った場所が"本当はいない方が良い場所"だったから、そこに居たことはわたしにとっても相手の子にとっても都合の悪い黒歴史というか、経歴として残したくないことというか、そういうものになるから、そこで知り合ったわたしがいつまでもその子と一緒にいるのは、今後その経歴を背負って、時には隠して生きていかなければいけないその子にとってマイナスになる。それは相手から見たわたしも同じ。

もう関われない、居場所も知らない、記憶の中でしか生きていない友達が増えていく。
記憶の中の友達はいくらわたしが歳を重ねても成長しても、さよならをしたあの日のままで、わたしだけ大人になっていくから、あんなに近かった心理的距離も少しずつ離れていくような気がして、寂しいな。

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