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だれも死なない日 ジョゼ・サラマーゴ

 その国ではある日を境に、人がだれも死ななくなる。
 そんな局面からこの小説は始まった。

 だれ一人死なないのだが、死にそうに弱っている人が回復するわけではない。死にそうなまま死なず、いつまでも命があり続ける。
 病院のベッドは病人で溢れかえり、葬儀屋は仕事をなくし、死亡保険は意味をなさなくなる。
 生きることに堪えられず、人々は死にたいと願い始める。あるいは、大事な人が死にそうに苦しみ続けることに堪えられなくなってくる。隣の国では変わらず人が死に続けているので、死ぬためにこっそりと国境を越える人が続出する。
 この非常事態に、一国がどう対していくのかが語られていく。

 小説の序盤、人が死ななくなった国の首相が、枢機卿から電話を受ける場面がある。さっそく宗教が出てくるのかと、確たる信仰を持たない身としては少し驚いた。
 そうか。死がなければ復活もないのか。確かにこれはキリスト教の根幹を揺るがす由々しい事態だ。
 ヨーロッパ出身の著者が、ヨーロッパと思しき場所を舞台に書くからこの物語はこうなる。人が死なない国が日本人の手で日本を舞台に書かれたら、まったく異なる姿を見せるのだろう。当たり前だけど。

 死とは、命が存在しなくなること。むりやり簡単に言うとそういうことなのだと思う。
 しかし、生死にどう線引きするのか。そこにつける意味や意義は。考えれば考えるほど、それは人それぞれに違う。
 死ぬのは怖くて仕方がないけれど、いつまでも生きるのもきっとしんどい。死とは、ひとつの僥倖には違いない。これが個人的な今のひとつの結論ではある。

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