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道は比較して選ぶものじゃない

01 カンボジアに関わる理由

昔の縁がありまして、現在カンボジアNGOに所属しています。なぜカンボジアなのか、他の国じゃなくて世界的には理解度の低いカンボジアだったのか。初めてNGOからカンボジアへ渡航したのはもう20年以上前のこと。

私の場合、後から考えるといろいろ理由はあげられるのですが、あくまで結果的な解釈だと思います。例えば、

・ちょうど時間があった大学生のときに検索してたら出てきた
・ただ単に発展途上の国がどんなものか知りたかった
・他の国は正式な資格が必要だった
・有名な機関(JICAなど)はスケジュールや採用内容のハードルが高かった

そんなところだと思います。当時の自分に聞くならばどこでもよかったのだろうと思います。でも直感的に知らない世界を見たかった、未発展な国を感じたかった、というだけのことだっただろうと思います。

02 次世代

ちょうどカンボジアNGOの理事会や食事会で、カンボジアのボランティアに興味のある大学生(カンボジアNGOにも所属しようとしている大学生)とお話しする機会があったので、同じ質問をしてみました。当時の自分に聞くように、「なぜカンボジアなのか?」という質問。もっと他に色々な選択肢があっただろうに。

共通して得られた回答は、本人たちが意識しているかどうかはさておき、国際協力、国際支援に興味があり、特に都会ではなく貧困国や精神的エネルギーに溢れた国に興味があるといった感じでした。そしてその大学の場合は、カンボジアボランティアサークルがあり、そこでは海外にいけるという触れ込みに魅力を感じていたようです。そのようなきっかけは20歳前後の人たちにとって非常に重大なきっかけだっただろうと思います。人によっては、大学に入る前のオープンキャンパスの時点でそのカンボジアサークルに入ることを決めて入学したということでした。

自分も、一緒にカンボジアNGOに関係している人たちは、みんなそんな無鉄砲さがあって、好奇心だけがあったんじゃないかなと思います。ボランティアという言葉とは少し違うマインドだっただろうと思います。

この大学生たちの話も、行き着くところは本能的なものだなと。ここで気付いたのは、別に色々な国や、活動を比較して決めたわけではないとうこと。
そこに山があるから山に登るというような、何か周りの情報に触れて火がついたり、潜在的な興味が周りのリコメンドで目覚めたり、そんな感覚なのだと思います。だから、なぜカンボジアと聞かれても、後付けの理由はあるものの、別に比較にしているわけではないので(そもそも他の国を知っているわけではないので)明確には答えずらいのです。

20年前の自分と重ねながら、大学生がこういう団体の会合にに飛び込んで来てくれるのは尊敬ですし、きっと大人たち以上に勇気がいるものだと思います。

03 初代校長から広がる世界

同じ会合に80歳になられたカンボジアNGOの初代校長もいましたが「大学2年生がお話を聞きたい」と乗り込んでくる目つきにこちらも嬉しくなりました。私自身も初代校長からアジア奮闘記を聞くと改めて世界の広さを感じました。私たちも偶然でもいろんなきっかけに出会えたなら幸運ですし、自分の興味に火がついて行動に繋がればもっと素敵なことだと思います。なぜなら、いろんな世界が繋がって拡がって、また続いていくからです。

自分の道はあらゆる選択肢を比較して進むものではなく、たまたま火がついた興味で進んだ結果、気付いたら広がっている世界なんだと思います。だから、道は比較して選ぶものじゃない、そう感じた日でした。