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マチュピチュ💛

「いや〜。大変やったわ〜。マチュピチュ。途中で何度も挫折しかけたわ〜」


と父母、叔母の三人の苦労話が延々と続いていたが、私の中では最初の一文字目で留まっていた。


マチュピチュ?


私の知らない間にペルーまで行ってきたというのか?アンデス登ってきたの?古稀越えチームが?脳内で?が交錯していた。


まぁ、この人たちならやりかねない、という思いもあった。


なぜなら、私が不意に実家に帰ると母上は居ないことが多い。やれ、オーロラを見にアラスカに行ってきただの、オーストラリアに2か月間滞在していただの。ご子息の私に何の情報も与えず、日本を脱出していることが多いからだ。


でもまさか、アンデスはないだろう。この人たちは、なかなかの病人っぷり、一人は癌と脊柱管狭窄症、一人は喘息持ち+痛風、一人は腰椎圧迫骨折+膝蓋骨骨折Ope後。


まぁ、年相応の病気持ちチーム。いやまてよ、平素、嵐山から銀閣寺まで徒歩で行っちゃうような人たちだ。じゅうぶんありうる。なんてアクティブな病人たちだろう。まぁ、そんなだからペルーに行っていても不思議はない。


しかし、よくよく話を聞いてみるとどうも兵庫県の竹田城に登ってきたという話だった。(和製マチュピチュと言われているらしい。彼ら談)


富士や御嶽を制覇している屈強な病人たちが大変だったと言うので、もうそれは、それは、険峻な山だったに違いない。城跡まで上ると雲海が眼下に見えるのだそうな。お武家さまの通勤苦労を思い描きつつ話を聞いていた。しかし、そんな場所に城があったなんて、にわかに信じがたい。

だって、だって大変でしょ!お武家さまが。毎日通勤する会社がそんな山の上だったら、嫌だよ〜。当然ロープウェーだってないし。私だったら武士辞めちゃうかも。自慢ではないが、私は山登りが大嫌いである。
(ブログの「登山なんて大嫌い」を参照してください)


だが、場所を聞いて意外に近かった事と、好奇心に勝てず、私もその竹田城とやらに登ってみたくなった。


なんたるご乱心。


山のぼりが嫌いなのでできるだけ楽したいと思い、完全登山スタイルで竹田城に向かった。


車を駐車場に止め、Wストックを握りしめ、いざ、鎌倉!!もとい、竹田城へ!


「竹田城 →」


という安っぽい手書きの看板にしたがって、歩を進める。


ゆるーいアスファルトの坂道を少し歩いたところで茶屋が見えてきた。茶屋には雲海に浮かぶ城跡の航空写真(90×60cmぐらい)やポストカードが所狭しと販売されていた。


こんな感じなのか〜。と心ときめかせ・・・


(いや、山登りは嫌いなのですよ。ほんとに。)


城門をくぐった。城門をくぐると、また、ゆる〜いアスファルトの坂道が続いていた。城はこっち。の矢印通りに進んでいくが一向に登山口らしきものが現れない。下りてくる人たちと言えば、ヒールをはいている女子やカジュアル―な格好の親子連れ等々。


安全靴を履き、Wストックなんてだれ一人いない。

おかしいなぁ。まぁ、アミューズ的なのがちょっと上にあって、そこからが本番なんだな。と一人で納得しながらゆる〜い坂道を登って行った。数十メートル歩いたところで「城跡入場料受付」と書かれた建物が見えてきた。
なるほど、富士山みたいなものなんだな。と思いつつ、中をのぞいてみたが人の姿はなく、窓にカーテンが敷かれていた。


時間が遅かったせいもあり、こりゃタダで登れるな、ラッキー。と、ゲートをスルーしていよいよ、登山開始。


ゲートを抜けると城の石垣のようなものが出てきた。よし、登るぞ〜。と意気込んだ次の瞬間。


天守閣跡についてしまった。


な、なに〜。これで終わり〜。雲海皆無!!!!


気合の登山はあっけなく終わったのだった。どこがマチュピチュやねん。槙尾寺の方がよっぽど登山らしいわ。自分の完全無欠登山装備を見やって・・・赤面。


恥ずかすぃ〜!!!やっぱり、登山なんて大嫌いだぁ〜!!!


心中で山彦がこだました。足早にそそくさと退散。帰り道、ふと両親の年輪をしみじみと感じるのだった。年取ったんね〜。あの人たちも〜。


・・・ はっ!!


もしかして、あいつら私を担いだのかも… 私の性格を知り尽くしている人たちだ、今頃、三人雁首そろえて、私の姿を想像してほくそえんでいるのか!!
もし、そうだったら、恐るべし生みの親・・・・


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