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月白thukishiro #03

十三代李参平 こと 金ヶ江義人(かながえよしと)は大正9年3月3日生まれ。金ヶ江家の次男として生まれ育ち、尋常小学校、高等小学校では陶磁器の細工を学んでいました。青年になったころ 時代が大きく動きます「第2次世界大戦」です。

この時、先代は金ヶ江家の将来のことを考えたそうです。
「お国のために戦争に出ることは大事、だけど、家のためには私が命を落とすわけにはいかない」先代は、自ら志願して人を輸送する部隊へ配置を希望、機関士として戦争を乗り越えることになりました。ベトナム・マニラ・松戸、戦争の状況によって様々な地域を走ったそうです。その後、終戦を迎え 社会がまだマヒしている中で そのまま国鉄職員となり、機関士としてSLを動かしていたそうです。機関区は下関、唐津、伊万里だったと聞いています。
 
それから55歳で早期退職をし、10代で成しえなかった陶磁器の道を進む決意を固めます。金ケ江家での操業は四代目から閉ざされていたことから、200年以上途絶えていた窯の火を再興させるという一大決心でした。

そこにはある韓国人女性の熱い想いが先代を動かしたのですが、それはまた後程の物語で書くとします。

操業を始めたばかりの頃は練り込みや色釉薬、染付、青磁と様々なものを試作していました。しかし、青年の時に勉強していた白磁+陰刻ほど心動かされる技法に出会えなかったのです。それは「白く透き通る月のように美しい」白磁の白が引き立つ技法で、初代が目指したやきもんを作りたいという想いが日に日に強くなっていったと聞きます。


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月白 tsukishiro 展 開催中
期日 2020年8月7日~16日23:59まで
オンラインショップにて

本展ではsummer-saleのひとつとして、先代の白磁作品をオンラインショップの新規登録いたしました。 白い透き通った月のように涼やかで繊細な作品たちをご覧ください。 また、有田をのせる「白磁彩菓」や 令和2年7月佐賀豪雨災害 応援企画も実施しております。
 
佐賀豪雨災害 応援企画01


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