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Netflixドラマ『離婚しようよ』を観て結婚を肯定する

面白くて、仕事終わりの2日間で見切ってしまったー。人生で観たドラマは片手で足りるほどの本数の人間なんですが。ちなみに片手の内容は大体ラブコメばっかりで、今回もラブコメ。

あまちゃんみたいな人気ドラマ女優が妻で、親との合計十四光の世襲国会議員が夫で、そのお互いが離婚したいって話。

全9話の結末は攻めてるというか、今らしいというか。
わたしは少女マンガ脳なので、すきなキャラ同士が好きあってるのなら二人で幸せになってほしいと思いながら観ていた。

二人の生い立ちや周りの環境、政治と色々考察したいが、今は、結婚、子育てしながら自由でいるって難しいなと考えている。

結婚は本当に墓場なのか?

「結婚したらおしまい」「結婚は墓場だ」
大人向けラブコメバリキャリ女は大体こう言う。

わたしもその気持ちはわかる。

結婚適齢期になってから友達を誘うのは気を使うし、会える人数も時間も減る一方だし。すきな時間にすきなことしにくいし、多方面へ気遣いは増えるし。
女は子どもを産みたきゃ寿司も酒もコーヒーも我慢だし、身体の構造上キャリアは大なり小なり止まるし。
働くママさんは起きてから寝るまで、寝てから起きるまで子どもに合わせてスケジューリングされているし。
子どもから見た両親は喧嘩しかしないし、じいばあになったらお互いの介護があるし………と、
挙げ始めたらいくらでも不自由が出てくる!出し過ぎた!!これは墓場に見えるぞ!!!

ただ、不自由に感じる事実はあるとして、愚痴も喧嘩も表現の一種だとは思う。
交友の場なら、自慢に取られかねない伴侶の惚気より、愚痴の方が安易だし盛り上がる場合が多い。
一緒にいて満たされるだけの日常ドラマよりも、愛憎模様が有象無象!の方がエンターテイメント。誇張した方が面白く伝わる。
罵倒し合う両親は、それでもお互いすきだし一緒にいたいらしい。

ロマンティックラブ・イデオロギーのおかげで現代は婚姻に至ることすら運ゲーで、不幸な結婚話には容易にアクセスできるのに、幸せな結婚話は他人には隠されがち、かつ難解だ。

言語メディアを通さない、二人にとっての結婚って、自分で経験することでしか感じられない。

結婚が墓場なのかの判断材料が少な過ぎる。そもそも墓場が生きた人間からしたらなんか怖いというだけで、悪い方の比喩に使われているのもどうかと思えてきた。

わかったのは、結婚は不自由に感じられることがあるということ。


結婚しながら自由でいることはできないのか?

結婚は制度だ。内縁でも夫婦の体ならば税制優遇がある。子が居るなら育てる責任がある。責任。
そう、伴う責任を果たすなら自由もあるはずじゃないか!

『離婚しようよ』妻のゆいは、ゆいにとって最適な答えを出したと思う。恋に落ちて、悩みもがいて、責任を果たしてすきを全部手に入れられた。最終話でゆいが「この形のままが良い」と言った気持ちははよくわかる。

ゆいは普通過ぎるって言うだろうが、わたしなら結婚相手とは出来るだけ平和に長く一緒に暮らしたい。だから相手に寄り添い、時には戦う。子どもがいるなら両親の幸せな姿を極力見せて育てたい。普通ってレベル高いよ。

でも…その、特に、寄り添う、という部分はやはり自由とは相反するのだろうか?
不自由な制約と誓約を楽しむのが、結婚なのだろうか?



違うと言いたくて何時間も考えてみたが、結局のところそうなのかもしれない。わたしの今の結婚観は。

不倫だって、制限があるからこそ燃えるって言う。まぁ制約と誓約なら不倫したら死んじゃうんだけどね。

伴侶が居るから、子どもが居るから、生まれる不自由。お互いがお互いを尊重しあって、大事にし続ける約束、良くない?わたしはすき。
別に、ロマンティックであれということではない。約束の実体は紙一枚のことなんだから。

今できることを今やってみたい、その延長に結婚があるだけ。

ここで思い出すのが、結婚した妻の象徴、想田豪の妻でございます。一歩引いて夫に添い遂げる、古い嫁の姿。名前を奪われて、時に不満を言いながら夫に付き従うだけなんて、今の価値観で見れば不幸だ。
でも描かれる彼女は、愚痴を吐きながらもどこか満たされて楽しんでいるように映った。自分で決めた理想の結婚生活を歩めているからじゃないか。相当な演技派の線は捨てきれないが。
叶えたい結婚は人それぞれ、自由だ。

結婚すれば、今までの人生は形を変えるだろう。
でも、それが幸か不幸かは自分で判断する。自由に責任が伴うのは、結婚に限った話ではない。
誰がなんと言おうと、わたしはわたしの結婚を楽しむんだ。





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