見出し画像

地獄の夏合宿とうるさい比喩【1】

コスメ目当てに韓国旅行に行く女子高生のキャリーバッグのごとくぎゅうぎゅうな電車内で、僕はこれからのことを思っていた。

湘南新宿ライン。小田原に着けば、すぐに新幹線へ直行だ。そこには日本中の太田胃散が在庫切れになるくらい神経質な顧問が待っている。怒ると地球上にあるどの楽器よりもうるさい。

これは僕の高校時代の話だ。青いジャージを身にまとった陸上部一行は、青を通り越して白くなった顔を見合わせていた。これから地獄の京都合宿が始まるのだ。おおきに、死になはれ。といった感じである。

小田原に着き、友人たちと新幹線乗り場へと向かうと、すでに部長をはじめとする真面目な女子一行が顧問の前に陣取っていた。これから合宿に向かうのに、なぜあんなにも精力的な顔をしているのかは謎だ。麻薬取締官に、女子の部室のガサ入れをお願いしたい。きっとなにか出てくるはずだ。

「あーいよいよ合宿かぁ」
隣に立つ友人Aが小声で言う。手にはコンビニのビニール袋をぶら下げている。新幹線の中で食べる朝食だ。吐かないことを祈る。

現在時刻は午前7時半。京都に到着するのは午前10時ごろであり、到着するや否や、僕たちは練習の奴隷になる。経済が発達した現代にも人身売買はある。世界の中心でジャーナリズムを叫びたい気持ちで乗り場へと向かう。

東京発地獄行の東海道新幹線は僕らの気持ちなどよそに、すぐに来た。幽霊のような足取りで乗ると、Aとともに、顧問から1番遠い後方の席に座ることができた。これからの不幸を10とすると、数値にして0.26くらいの幸福であった。

人間というもの、常に元気でいるのも疲れるが、常にナーバスでいるのも疲れる。新幹線が発車して20分、心のどこかで覚悟が決まったのか、僕らは急に元気になった。
「なんか練習いけそうな気、しない?」
隣のAがぼそりと言った。僕は軽く頷き、こたえた。
「まあ2泊3日だしな、意外と一瞬じゃね、たぶん」
「俺飯食うわ、着いたらすぐ練習だべ」
そうしてAはおもむろにビニール袋からコンビニ弁当を取り出した。エビフライなどの揚げ物がたんまり載っている海苔弁だった。

「おい、それやばいんじゃねーの」
僕はAに言った。顧問は食に関して厳しく、常にバランスの良い食事を心がけるよう言われている。大会で菓子パンを食べている生徒を、山崎パンとフジパンから民事で訴えられそうなほど叱った過去がある。
僕の指摘にAは得意げな顔でこたえた。
「今日くらい抵抗させてくれよ、これから俺らの人権は凌辱されるんだぜ」
そう言ってAは弁当にがっつき始めた。その横顔からは顧問に対する殺意さえ感じ取れそうだ。Aはエビの尻尾まで口に含むと、排水溝のようにスポーツドリンクを流し込んだ。

午前10時を少し過ぎた頃、僕らは京都にある私立高校の正門の前に立っていた。建設途中に大工に逃げられたのかと思うくらいボロい僕らの公立高校とは違い、宿泊施設も完備された5階建ての校舎は、ほぼ六本木ヒルズで通った。

「神奈川のG高校さんですかぁ⤵︎」
耳慣れないイントネーションを発したのは坊主頭で日焼けした筋肉隆々の男子であった。舞妓さんが丁寧に迎えてくれるといった夢は抱いていなかったが、白粉が塗ったそばから焦げて灰になりそうな熱血男子がいざ出てくると引いてしまうものだ。

盆地の京都はただでさえ暑いが、その男子の汗で濡れたシャツを見ると、火を使わずに炒飯が作れそうだった。
「泊まる施設を一度見てもらって、それからすぐ練習の方はじめるんでぇ、グラウンドの方来てください⤵︎」
炒飯男はそう言うと僕らを先導していった。
僕の足が、地獄の門をまたいだ。

……練習編へつづく。

続きはこちらから↓

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?