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地獄の夏合宿とうるさい比喩【5】(完)

地獄が行き着く果てとは

(※このエッセイは第5話です。第1話から読むことをおすすめします)
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発達していた台風が進路を変えたのは、合宿2日目のことだった。午前中は昨日と同じように走らされ、いよいよ天に召されるのではないかと危惧していた時、我ら東方の顧問と西方の顧問が話し合いを始めたのだ。本州を通らないとされていた台風が進路を変え、僕らのいる西日本に直撃するようだ。

僕たちは顧問には気づかれないように歓喜した。先ほどまで見えていた三途の川で水浴びをしたい気分だった。午後になると雨まで降り出した。いいぞいいぞ、もっとやれ、そう心の中で雨を応援した。外ではなく室内で練習を行うことになった際は、思わず雄叫びを上げてしまいそうだった。室内でできることなど高が知れている。僕は余裕の笑みで校舎の中に入ったのだった。

10分後、僕は赤ん坊のように泣きたい気分だった。いや、実際に泣いていたかもしれない。僕たちは、中に水の入った10kgの重りを肩に担がされ、高校の階段を上らされていた。この時ばかりは我らが母校の3階建てのボロ高校が懐かしかった。5階建ての私立高校の校舎は上っても上っても最上階に辿り着かなかった。昨日、初めてこの校舎を見た時は六本木ヒルズのように見えたものだが、今や六本木コロスと化していた。

僕らがなかなか階段を上れない原因は、重りの中の水にある。片足を上げるたび、水はそれとは反対側に移動する。体幹を使って中の水を水平に戻すと、やっと足を階段に着くことができる。そしてまた片足を上げてバランスを崩す、その繰り返しである。ジェンガよりもジェンガしている人間、それが僕だった。全く楽しくはない。

それが終わると僕らは雑巾がけレースに参加させられることとなった。下手なショッピングモールよりも綺麗な校舎を雑巾がけすることは、せっかく来た沖縄旅行でマクドナルドに入るくらい意味のないことだった。

長すぎる廊下を5往復すると膝がマントヒヒの尻くらい赤くなった。階段を上り下りさせたり、廊下を行ったり来たりさせたり、今朝食べた焼き鮭がこの光景を見たら、自分はこんなことのエネルギーになるために生まれてきたのかと、星空のもとできらりと光る涙を浮かべるだろう。絶対に成仏などできない。鮭専門の霊媒師を知っていたら教えて欲しい。一度祓うのにイクラ払えばいいだろう。くそつまらない。

上記のギャグで笑えるくらいに疲弊した僕たちは、体育館の一画にあるジムに連れて行かれた。ダンベルやバーベル、ランニングマシンなどが置かれた部屋であった。もう一度言う。ランニングマシンだ。

なーんだ走れるジャーン☆ 雨でも意味無いジャーン☆

高速で回転するコンベアの上、僕たちは前世を恨むくらいには走らされた。西方の部員たちは機械を操作し、さらに速度を上げていく。マジでボタン押すのやめてくれ。殺人未遂罪が適用されかねない押し様である。足腰が限界に近づいたところで、やっとマシンが停止した。息をついたかと思うと、またマシンが起動する。僕は喘ぐ。もはやそういうプレイである。全然エロくない。あまりにもグロすぎるそれは40分ほど続いた。

2日目の練習から解放され、僕は体育館の床に倒れ込んだ。右足の先が異常に痛い。靴下を取り去ると、親指の付け根に10円玉サイズの皮膚がぶら下がっていた。血は出ていないが、厚い皮が取れ、中から限りなく赤い内皮が露出していた。空気に触れるだけで痛い。僕はその場でのたうちまわった。

こんにちは!僕の名前はキズだよ!よろしくね!と言わんばかりの怪我に、各所からバンドエイドが寄贈された。それを貼って空気を遮断することで痛みは引いたが、地面に足をつけると、痺れるような痛みが僕に再来した。

1番辛かったのは風呂である。一緒に入ったAも、僕ほど重症では無いが、足の裏に血豆ができており、湯をかけるたび、2人で痛さに喘いだ。風呂の外にいる人に何かの誤解を招きそうな状況である。

このキズと戦いながら、明日も練習に行くのかと、憂鬱な気分で布団に入った。最終日ではあったが、乗り越えられそうな気配は皆無である。それはAも同じなのか、ぶつぶつと不安を口にしている。
「俺、はやく帰りたい」
Aが天井を見上げながらそう言った。
「絶対に美味いもの食うんだ。ゲームもしたい」
僕は頷いた。
「死なないようにがんばろうな」
僕は力無くそう言い、布団に潜り込んだ。

朝、Aの歯軋りで目が覚めた。目を開けた僕の前にあるのはガラスの窓だ。その向こう側を、いく筋もの影が通り過ぎていく。うるさいのはAの歯軋りだけではなかった。地面が削れるくらいの雨が降り注ぎ、幾多のゴミが風によって空中で弄ばれていた。

台風だ。台風が来たのだ。

部長たちが慌てて帰宅を呼びかける様子を、僕は半ば上の空で聞いていた。僕は生きて帰れるのだ。その時の気分と言ったら、新品のシャツにコーヒーをぶっかけられても、博物館の恐竜が全て蘇って人類が淘汰されても怒らなかっただろう。

朝ごはんも食べず、僕たちは忌まわしき高校を後にした。心境としては、クズ男に三股された彼女の気持ちに似ている。恨みを超えていっそ清々しい。京都駅に着くと、顧問が新幹線の座席を確保するために忙しなく動き始めた。僕たち部員はその間、30分ほどの自由時間を与えられた。仮出所である。

僕はAとともに京都駅の中を駆け巡った。行きの時は高校に直行したため、僕たちは京都駅の新幹線乗り場しか知らない状態だ。通路の両側に立ち並ぶ飲食店を見ると、ディズニーランドの開園よりもワクワクしたものだ。もしも、この時の僕らがディズニーランドに行こうものなら、あまりの幸福によって血圧が跳ねあがり、ワールドバザールの手前で心臓マッサージを受けるはめになるだろう。

僕とAはとにかく甘いものが食べたかった。合宿中に食べた最も甘いものはカロリーメイトだ。血眼になって甘味を探した。不意に、Aがある場所を指さした。その先にあるのは「辻利」の二文字だった。宇治茶を売りにしている、京都随一のスイーツ店である。抹茶のソフトクリームの看板がでかでかと掲げられている。僕たちは辻利に飛び込んだ。メニューの中で最も高い、1500円ほどするパフェを一人ひとつずつ、迷わず注文した。頂上に盛られた生クリームと抹茶ソフトを大量にスプーンですくい取り、口の中に放り込む。

あまりの疲弊度に、ホコリを食べても美味しいと感じるであろう僕たちにとって、辻利のパフェは殺人級の美味しさだった。猛烈な甘みが舌を通じて髄を駆け抜ける。Aは軽く白目を剥いていた。人は、人生で最も美味しかったものを聞かれた時、母親の料理を挙げるものだが、僕は親不孝にも、この時の辻利のパフェをぶっちぎり1位にしたいと思う。オカン、ほんまごめん。

それから三時間後、僕は自宅の最寄り駅に着いた。電車内で爆睡していた僕は、隣のおばさんに起こされた。
「終点ですよ」
その言葉は、僕に安心感を与えてくれた。地獄から逃れることができたのだ。駅のメロディーが懐かしく感じられた。日常が、僕をやさしく包み込む。

僕は一段一段を踏みしめるように、改札へとつながる階段を上った。足の裏にあるキズが、とてもとても痛い。

(完)

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