握りしめた藁のカカシにうつった顔
「携帯番号、4つの数字だけでなりたつよね?僕もそうなんだ」
8桁のバラバラの数字。私の番号はたしかに、4つしか使わないから、覚えやすかった。
携帯番号とメールアドレス、そして名前。出会った時、その3つの情報しか知らなかった私たち。彼はその中から共通点を見つけた。私は最初それが嬉しかった。
これは短いラブストーリー。ろうそくの火を消すように過ぎ去った。
でも、なんとなく書き留めておきたくて、キーボードを叩いている。あれは一体何だったんだろう。彼は一体誰だったんだろう。ろうそくの煙はまだ私の手首にまとわりついている。
1年ぶりに人を好きになった。久しぶりの恋愛に心は浮き足立っている。世界が急に極彩色に変わる。麻薬を吸っているような(吸ったことはないんだけど)、極上の露天風呂に浸かっているような、バンジージャンプに挑戦しているような、初めてイルカをみたような、プチプチの感情が毎日のように弾ける。
遠距離の彼に会いたくて、会う日が待ち遠しくて、私のカレンダーは会う日を軸に数えられた。
今から振り返れば私たちは何もかも違っていた。
彼はSNSを一切やっていない。私はそれで仕事や日常を送っていた。
彼は家に人をよんだことがない。私は毎月誰かしら家に来て、自然に飲み会が開かれる。
彼はずっと同じところでしか働いたことがなくて、私は今年5社目に転職しようとしている。
彼は海外に住んだことがなくて、私は人生の半分近くを海の向こうで過ごした。
彼は朝ごはんを毎日しっかり食べて、私は朝はほとんど何も口にしない。
私はその違いさえ美しいと思っていた。もっと彼の世界を知りたいと思った。彼を形作るパズルのピースを拾うような気持ちで彼の話す彼の世界をいくらでも聞いていられた。
きっと彼も同じだろうと思って、私も自分の話をした。私のことももっと知って欲しいと思った。
「僕はあなたに宇宙くらい興味があります」
その宇宙を埋めたくて、とめどなく自分のことを話した。彼の心の広さは宇宙くらい大きいと思いながら。
「僕たちが付き合うかどうかは、僕が答えを出しますね」
このあたりから、私の視力が落ち始めたんじゃないかと思う。恋は盲目というけど、怖いのはどの時点からみえなくなっているかわからなくなることだ。
私はなんとなく「私も答えを考えますね」と付け加えた。私たちの関係が彼の手の平にだけ残っているのに、どうしても違和感を覚えたからだ。でも、それは小さな違和感だった。すぐにその違和感に蓋をして、見ないことにした。
彼が答えを出したのは、2回延期されたあとだった。
私は10日間のスリランカへ旅立った。彼と出会う前から自分へのご褒美として一人旅を予定していた。こんなに好きな人に出会うと思わなかったから、3週間くらい会えなくなることを寂しく思いながらも、新たな冒険に胸が沸いた。
「僕のことは一旦おいて、楽しんできてください」
嫌な予感がした。でも、引き返せない。日本をあとにした飛行機に乗りながら、私は後ろを向かないことにした。
帰国した次の日に私たちは会う予定だった。その日が彼が答えを出す日だった。
10日間のハードスケジュール、そして8時間の睡眠不足のフライト、そして日本でも結局うまく休めないまま、当日を迎えた。
私はわかっていた。彼と会うのは今日が最後になると。でも、わからないふりをした。
いつものように彼に甘えた。未来の話をした。明日の話をした。「明日」なんてないことはわかっていた。
家につくと、彼は涙を流し始めた。泣きたいのはどっちやねん。
なぜか私は彼の背中をさすっていて、どんな最後やねん、とツッコミをいれたくなった。
「あなたとは将来のパートナーになることはできません」
ティッシュとハンカチで乾かした目で私をしっかりみながら言った。用意していた台本を読むように彼は言った。私は台本通りに言ったんだと他人のような気持ちで聞いていた。
心を守るために、自分の視点が観客側にうつったんだと思う。当事者として受け止めたくなかった。
「僕は今の時代にあわないかもしれないけど、亭主関白でいたいと思う。主導権を握りたいと思っている。でも、あなたと一緒にいるとそれができない。あなたと一緒にいると僕は自信がなくなる」
TEISYUKANPAKU
昭和でゴミ箱に捨てられて焼却されたはずの言葉が令和のいま、目の前につきつけられる。なにより、TEISYUKANPAKUという言葉を発する彼に、「この人は誰?」と言いたくなった。私が知っている彼はそこにはいなかった。
私が知っている彼はその言葉から程遠かった。私の突拍子も無い言葉やアイデアに笑いながら、「本当に面白いね」と受け止めてくれていたあなたはどこ?私の居心地の良さは、脆く崩れた。私は彼と一緒にいて、楽だった。私のちょっと変なところも、彼は当たり前のように受け止めてくれていたと勘違いをしていたのだ。
彼はだいぶ無理をしていた。最後にそれを知ることになった。
私は自分のちょっと人と違うところに自信がなかった。日本に帰国した時、大学に入った時、大企業に勤めた時、人と違うことでいろんなことを言われたからだ。今はもうあまり気にしない。大事な人たちに本当の私を理解してもらえているから。
でも、その鍛えた強さがあっという間に崩れた。大事になりうる人が、ありのままの私を拒否したからだった。きっと相性が悪かったんだろう。その程度の話なのかもしれない。しかし、私は「私らしさ」がウィークポイントだった。自分自身を否定されてきたトラウマが一気に蘇る。
「あなたにとって、相手は僕じゃない」
私の両肩をもって、まっすぐ言われる。でも、それはあなたが決めることではないはずだ。
たしかに握っていたはずの彼の手は、砂になり、私の指の隙間から消えていく。私が握っていたのは藁でできたカカシだった。何度握り返しても、それはキシキシと揺れるだけだった。
お別れをしてから1週間が過ぎようとしている。実際に涙がでたのは次の日くらいで、たくさんの友達に支えられて私は2日目から日常生活を無理なく過ごせるようになった。彼の顔も忘れそうになっているくらいだ。
でも、やっぱり頭をかすめる。私は自分らしくいられると思って、大きく羽をのばし、腕の中であくびをした。それが彼にとって牙を突きつけられるような脅威だったのではないか。
私に何ができたのだろうか。
そしてもしこれが男女逆だったら?魅力と感じてもらえただろうか。頼もしいと思って、一緒にあくびができただろうか。
はっきりとした答えはもう聞くことはないし、私はもう次のフェーズに動こうとしている。
彼との最後の日、私が出会ったのはまだトラウマを癒していない自分自身であった。自分らしくいると、人に嫌われてしまう。私は友達は多い方だし、どの人とも割と心の奥深いところまでつながることができると自負している。でも、さらに奥底では本当の私をずっと出していると嫌われてしまうのではないかと怯えている自分がまだいることに気づいた。
脅威に怯えていたのは彼ではなく、私だった。藁のカカシに描かれていたのは私の似顔絵だった。さて、この感情をどうしよう。それは2024年の宿題になりそうだ。
1月早々の大?失恋は私に難題をつきつけた。でも、きっとこれは解ける。だってそうやって生きてきたから。何かを失ったら、そこには新しいギフトが待っている。リボンを解くのをいまかいまかと待っている。
最後に残した彼のプレゼントは、自分で開けよう。
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