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3年間連絡を閉ざす娘に、シャワーヘッドを贈ろうとする父親

2歳ごろの記憶がまだ残っている。

当時、父親の転勤で家族でインドネシアに住んでいた。一軒家に女中さんと家族と猫とウサギと蟹と住んでいて、時々ネズミも住んでいた。絵を描くのが大好きな私は、寝室にあった母親の口紅を手に取り、白い壁に笑っている女性を描いた。とっても上手に描けたと満足していると、雷が落ちた。母親だ。

今までにみたことのない表情でこっちを見ている。私は「あ、死んだ」と赤ちゃんながらに思った。(生まれてきたばっかりなのにね)まだその恐怖は残っている。

一通り怒られて、私は大泣きをして、二人とも疲れ果てた後、シャワーを一緒に浴びた。すると、父親が帰ってきた。出張と転勤でほとんど家にいなかった父親がたまに帰ってくると、私は救われた気持ちになった。さっきの怒りの雷雨は一気にどこかへいき、一面花畑のようになる。

父親は私にとって、スーパーヒーローだった。好きなおもちゃや雑誌を手に抱えて、思いっきり遊んでくれる。父の日には必ずプレゼントを渡すほど、そんな父親が好きだった。

ヒーローでいてほしい

「だった」と書かないといけないほど、私と父親の関係は、その後ひどくなる。父親の犯した過ちによって、家族が崩壊の危機に陥り、私と妹は父親と国交を断絶した。もう3年になるだろうか。

その間も、何十通もメールが来て、電話も来て、LINEも来て、ありとあらゆる手段で私と連絡を取ろうとしていたが、その度にブロックをしていた。脳内にその存在を消したくて、「父親」と呼ばずに「母親の彼氏」と呼ぶようになった。

この世に「完璧な家族」なんてほとんど存在しないことは十分わかっていたし、家族と仲良くならないといけないことが神話だということも理解していた。だから、自分の人生の中で「父親を消去する期間」があってもいいと言い聞かせてきた。

妹に聞かれたことがある。「もしお父さんが病気になったら、会いに行く?」。その答えに即答できない自分がいた。それくらい深く深く傷ついていたんだと今ならよくわかる。でもその傷はどこからくるのか、よくわからなかった。

父親の犯した罪が嫌なら、真正面からそう言えばいい。なぜ対面しないのか。対面するのが怖くてたまらなかった。

受け入れる

何が怖いのか。それは父親がスーパーヒーローではないことを認めることになるからだ。誰がどう見ても、父親が悪いのに、私の頭の中にはまだ小さい頃に「スーパーヒーロー」の父親がそこにはあった。それくらい小さい頃の記憶が私を大きく形作っていることがわかった。

私はそのことを妹が泊まりにきたときに話した。すると、涙が止まらなくなった。2歳の時みたいに大粒の涙は出なかったが、ポロポロと大人のような涙が頬を伝った。

私の頭の中にあった理想像が、一気に崩れ、気持ちが落ち着いた。もしかしたら、今だったら父親に返信できるかもしれない…と思えた。

シャワーヘッドラブ

父親はそれを見越していたんじゃないか。涙を流した次の日に、メールが届いたときはさすがにびっくりした。久しぶりの連絡だった。

「社割でシャワーヘッドが買えるけど、いりますか?」

という、どうでもいい内容だった。シャワーヘッド?3年間連絡していない娘になんてメールだ。笑えてくる。よくわからないけど、きっとシャワーヘッドを買えることがわかったときに、私に連絡できる良い言い訳だと思ったんだろう。

そう考えると、とってもコミュニケーション能力の低い愛あるおじさんに思えてきた。今まではそんなメールが来ても、不器用な父親に怒りとか憎しみしか湧かなかった。でも、今の私にはそれがどう見てもラブレターにしか思えなかった。

人気アーティストは、ファンからのラブレターをどうするか。返信はしなくても、受け取るだろう。私はひとまず父親のシャワーヘッドラブを受け取ることにした。そして、3年ぶりに返信をしたのだ。

ありがとう

まだ私は父親に会うのが怖いし、父親の過去を許すことがうまくできない。許すべきなのかもわからない。でも、その愛と存在を受け入れることができるかもしれない。

「シャワーヘッドはいりません。気にかけてくれてありがとう」

私は自分の中で大きな、それはとっても大きな一歩を踏み出した。スーパーヒーローでも、理想の父親でもないかもしれないが、愛はそこにある。過ちは許されないかもしれないが、存在はしてもいい。父親を受け入れると、なぜか自分を受け入れるような感覚になった。

すぐに父親から返信が来た。

「返信ありがとーーーーーーー😭」

なんだ、そのギャルみたいなメールは!!!と、つっこむのは、今度にしよう。

まぁこれも実験。いつかは親の呪いを解かないといけないのだ。

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