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なんでもくれた祖母が、手放さなかったもの

私は昔からおばあちゃんの服をよく着ている。おばあちゃんはとってもおしゃれで、「あなたムカデなの?」と言われるくらい靴を持っているし、服の量も半端ない。持っているのを見たことがないカバンもたくさんある。(最近はだいぶ母がメルカリで売っている)

おばあちゃんの家に行くと、それらを物色するのが私と妹の楽しみで、たくさんの「お宝」をもらって、自分の服と合わせて着ている。

どんなに高級な服も、カバンも、靴も、「あげるよ〜」と未練ゼロで渡してくれるので、私たちも清々しい気持ちで身につけている。むしろ、地球にもおばあちゃんにも優しいね!と一種の孝行だと思っている。

ある時、私の友達もおばあちゃんの家に泊まりにきたことがあった。すると、次の日友達にも鞄をあげたのだ。太っ腹とはこのことか。友達は今でもその鞄を大切に使ってくれている。

そんなおばあちゃんから、私はある大きなものをもらう予定だった。

ピアノだ。2ヶ月くらい前から、急にピアノを弾きたくなった。小さい頃に弾いたことがって、一時期は「天才!」と言われていたらしいが、その後先生が合わなくてやめてしまった。高校生の時にまた急に弾きたくなって、弾き出したらこんなに楽しいことが人生にはあるのか!と思うくらいどハマりして、1日に何時間も練習した。

そこからまた忙しくなって、今まで一切弾いていない。ただ、あの時の感動を体と心は覚えていて、今自分に必要なものだ、という直感があったのだった。

しかし、マンションに住んでいて夜型の私はヘッドホン付きのものでないと、難しい。電子ピアノを探そうとした。2021年乗り切った自分へのご褒美として買おうと思った。

その話をたまたまおばあちゃんにしたら「うちの使ったら?ヘッドホンついてるよ」とまたいつもの調子で言うのだ。おばあちゃんはピアノの先生だった。おばあちゃんの家にアップライトピアノがあることは知っていたが、まさかヘッドホン付きだったとは!

運命とはこういうことか。ピアノが欲しいと思うと、その直感が正しければ、自ずとピアノから私の方へ来るのだ!わっはっは!と思いながら、その奇跡に感動した。もちろん、答えはYESで、すぐに運送の手配をした。

運送業者から日付の調整の連絡が来て、ちょうど受け取れるのが12月25日しかなかった。なんと、クリスマス。まるでサンタからのプレゼントじゃないか。こんなドラマチックな展開はあるのか、とこれもまた自分に酔ういい理由になっていた。

そこから、何を弾こうか、どの先生に学ぼうか、など妄想が膨らむ日々である。早くあの鍵盤に触りたい、自分の思いを音に乗せたい、早く表現者になりたい!と思いは募る。ピアノがない人生を思い出せないくらい、弾きまくりたかった。

ピアノが運ばれるのがいよいよ来週という今日。おばあちゃんから着信があった。折り返し電話してみると、少し弱々しい声のおばあちゃんが出た。

「ありちゃん、あのね、ピアノのことなんだけど、やっぱりね、あのピアノが家からないと思うと、寂しいのよ」

それは紛れもないおばあちゃんの本心だった。本当に言い出しにくそうに話していた。私は完璧な道ができていた自分の世界的ピアニストへの道(この辺で妄想がいき過ぎていることにお気づきだろうか)が断たれたかもしれない、とショックを受けた。

しかし、すぐに我にかえり、あのなんでもくれたおばあちゃんがここまで言ってくれたことに感動を覚えた。大好きな孫になんと伝えればいいのか、おばあちゃんはかなり悩んだのだと思う。その気持ちも嬉しかったし、何よりおばあちゃんがおばあちゃんにとって大切なものをきちんと伝えくれたことが心から嬉しかった。

きっとあのピアノは、おばあちゃんの一部だったんだと思う。

人が正直に心を打ち明けてくれる瞬間、人が好きなものを好きだという瞬間、その一瞬一瞬が美しいと思っている。

「正直に話してくれてありがとう。大丈夫だよ。私もおばあちゃんが大事に思うくらいのピアノを見つけるね!」

と伝えて、電話を切った。それが私の本心だった。



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