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やりたいことはやったほうがいいよ星人にさらわれた話

「あ、やっぱりあなたたちはいたのね」
さらわれながら、頭の中でぼんやりと思った。

なんとなく気づいていたんだ、彼らの存在を。
それでも輪郭はぼやけていて、はっきりと見えていたわけではない。だから気のせいかなって、最近疲れているしなって言い訳のようにみてみぬふりをする。

でも、あの日だけは彼らを無視することはできなかった。浅草にある鷲神社の酉の市。前も後ろも右も左も人人人。久しぶりの人混みの中で、その2人だけ私をじっとみていた。焼きそばに並んでいても、じゃがバターに並んでいても、どこか視線を感じる。自ら大勢の人々の中に溶け込もうとしても、彼らがどこにいるのかはっきりとわかるのだ。

あっという間だった。目があったと思ったら、大きな私の手を引っ張りながら、彼らは楽しそうに笑いながら小道を抜ける。古い瓦屋根の家が並ぶ静かなそして空気が少し生ぬるい一角で止まった。目の前には場違いなピンクの古いビル。床にはレコードが落ちていた。

息つく間も無く男性っぽいほうが私の背中を蹴り、私をビルの中へ突き落とした。底なしの真っ黒い穴に吸い込まれた。落ちる感覚はなく、むしろ浮上している。後から来た2人がまた私の手をそれぞれにつかみ、何もないところに着地する。

「やりたいことはやったほうがいいんだよ、の星へようこそ」

恥ずかしそうに男性っぽい方が挨拶する。

「私たちはその星の住人。今からこの星を案内するね」

女性っぽい方が落ち着いて話す。

やりたいことはやった方がいいんだよの星。略すと、やーやー星。やーやー星のルールはひとつだけ。「やりたいことをやる」。

そんなのみんなわがままになって、無秩序な社会ができあがるんじゃないの?と思う。しかし、そこに住んでいる人たちは、やりたいことをやっている人たちへのリスペクトが半端ない。お互いを思いやるからこそ、やりたいことができると知っている。

そしてなかなかやりたいことが被らないから、競争もあまりない。自分のやりたいことに向き合うことに必死で、他人を批判したり、蹴落としたりしている暇がない。いたって、情熱的で平和な時間が流れている。

やりたいことをやっているふりをしている時だけ、警察が出動するが、一番苦しいのは本人だから罰する必要もない。警察は「それはフリなんじゃないですか」と誰もが言いにくいことを言って気づかせてくれる役割をになっている。だからこの星でも職質されるとドキッとするらしい。

私をさらったカップルのような2人は一時期この星を離れて、地球に戻ってきた。だけど「やっぱりやりたいことをやった方がいい」と気づいて、やーやー星にUターンした。

本当はみんなやーやー星で生まれたらしい。だけど、やーやー星でうまれたほとんどが地球という新しい星に憧れて、移住してしまう。でも、最近また戻ってくる人も増えている。きっと同じ場所にずっといる必要がないってみんな気づき始めている。

やーやー星から地球に行くことは簡単でも、やーやー星に戻るのは実は難しい。それは距離とか方法とかの問題ではない。大きく邪魔をするのは「心」だからだ。怖くなってしまうのだ。地球でさんざん楽しい思いをしたから、やーやー星にいくと、全部失ってしまうんじゃないかって。もう自分じゃいられなくなるんじゃないかって。

だからやーやー星の政治家は、地球に人口を奪われてしまう問題をどうにかしたくて、やーやー星に少しでも興味のある人たちを少しだけさらってくるように命じる。やーやー星に実際にきたら、ちょっとは不安が解消されるかもしれない。全然怖くない場所だってことがわかるから。

私はその1人として、この場所に連れてこられた。やーやー星に興味ある人はやーやー星人が見える。私の素質がいつの間にか認められたらしい。

さらって何をするのか。ちょっとの間、やーやー星人と時間を過ごす。勧誘は禁止。恫喝も拷問も禁止。

わたしをさらったカップルのような2人は、彼らの住んでいる家を案内してくれた。やかんで沸かしたお湯であったかいお茶をふるまわれる。こうしていると景色は地球と変わらない。植物も電気もお茶も畳もある。

男性っぽい方が押し入れをガラッと開けて、「ピアノ弾いていい?」と聞いてくる。押入れには大量のレコードが並べられていて、その前に電子ピアノがちょこんと置かれている。返事をする間も無く、ポロポロと電子音が鳴り響く。心にスッと入ってくるメロディーに「なんの曲?」と聞いてみる。

彼は笑って答えた。「曲じゃないよ。今つくった音楽だよ」

わたしも地球でピアノを弾いている。初級者向けの楽譜を一から練習している。私はピアノがうまくなりたいけど、彼は純粋にピアノの音で遊びたいんだって気づいた。彼のピアノに「練習」はない。だって、今弾きたい音を奏でているだけだから。今が全部本番だから。

彼のピアノを聴きながら、私はゆっくりとソファによこたわる。まるでソファに飲み込まれていくようだ。女性っぽいほうの顔がどんどんぼやけてくる。私はいつの間にか瞼を閉じていた。


目を覚ますと、酉の市に戻っていた。熊手に乗っている動物や七福神が何もなかったかのようにこちらに微笑みかける。あれ、夢か。彼らの姿や気配もないようだ。

すると、前のほうから別のカップルらしき人たちが駆け寄ってくる。彼らの服装がとってもカラフルで、アニメから飛び出てきたみたいだ。ピンクの長靴を履いた小さな彼女っぽいほうが私の腕を掴んで話しかける。

「ねーね!焼きそば買えた? あそこに私たちのこと気づいているひとがいるの。さらいにいく?」






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