人生の意味とフローの話【ウェルビーイング手帳】

人生の意味とフローについての話。私達の幸福にとって重要な経験の一つにフロー(flow)があります。フローとは、目の前の課題や活動に高い強度で没頭している際の経験です。芸術家の創作活動時や、アスリートが高いパフォーマンスを発揮している際の経験を調査したところ、時間的経過の感覚が歪み、なめらかに事が流れるような感覚があるとの報告が数多くなされた事から、心理学者チクセントミハイがそうした心理状態をフローと名付けました。絵を描いたりゲームをしたりといった自分が好きな事をしている時、或るは、仕事に没頭している時などに経験されるのがフローです。フローを経験している最中は、不安などのネガティブな感情が減り、身体がリラックした状態となり、また、人生でフローを頻繁に経験している人ほど幸福度が高い事が分っています。目の前の「今・ここ」の経験に没頭している状態は、幸福の一つの形であるわけです。

他方で、人生の意味を模索していて、目の前にある課題や活動に意義が見いだせなくなっている時、人はフローとは対極に位置する心理状態にあると言えます。人生の意味の感覚(日本語における「生きがい」)は、幸福にとって大切な要素です。にもかかわらず、人生の意味を探している人の幸福度は一般的に低い事実が繰り返し報告されています。人生の意味は、微妙な、難しい問題であるわけです。フローが「今・ここ」への没頭であるに対して、意味の探求は「何処か遠くにあるもの」を目指している心の状態であると言えますが、人生の意味を掴むことは誰にとっても易しい事ではないのでしょう。

古典的な心理学では、人生の意味のこの難しい問題について、エリクソンが「アイデンティティーの探究」の過程として理論化しています。フロー経験に満ちた子供時代から、人は青年期において人生の意味(或いは自分)を探し始めますが、エリクソンが「青年の危機」と称したように、この過程にはしばしば苦しみが伴う。現代の幸福度の実証的研究からも、青年期は不安やストレスなどのネガティブな感情が多い時期である事が分っていますが、そうした不安が彼に人生の意味の探究を促す一つの要因でもあるのでしょう。アイデンティティーの危機と向き合い、これを乗り越えた人をエリクソンは成熟した大人であると考えました。また、自己をしっかりと確立している事が、他者と本当の意味で親密な関係性を築くために必要な条件でもあるともエリクソンは言います。

僕が思うに、その人が遠くを見ていればいるほど、人生の意味に関わる危機は深くなる。青年の問題で言えば、彼が自分の人生の意味なり価値の問題に真剣であればあるほど、理想と現実の乖離も大きくなるでしょうから、より大きな危機を経験しやすくなるでしょう。それでも、人生の意味の問題と向き合って、答えを決断する事ができればそれは幸せな事だと思います。僕自身、たくさんの学者達が語るそうした思想に支えられてきました(例えば、小林秀雄さん『人生について』中公文庫, 2019)。また、フロー経験には善悪の区別がなく、無意味だと思っている活動でも人はフローを経験できますが、持続的で生産的なフロー経験にとっても人生の意味は大切であるように思います。実証的な幸福度の研究では、人生に意味を求める人がそれを掴んだ際の幸福度はずっと大きくなる事が確認されており、また、そうした人たちはその後も人生の意味を深め続けていくようです。自分を確立する事が出来ている人にとっては、人生の意味の探求が幸福につながるわけです。僕自身も未だその途上であるわけですが、

いつも遠くを見つめながら、だからこそ目の前の一つ一つの経験に没頭していられるような、そんな人生が送りたいものですね。

遠くを見るための「眼」の話も一緒にブログ「幸福のヒント」の方では書いてます。文献も載せてますので、よければどうぞ。

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