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バイオリンしかないと思っていた大学時代から臨床心理士になるまで

こんにちは、2、3年後に開業する臨床心理士のarisanです。
この記事では私が臨床心理士になるまでの道のりを書きたいと思います。

どんな背景の人間が「人生に納得感をもてる人を増やしたい」と言っているのか知ってもらえればと思います。
今、人生の針が止まって動けなくなっている方に役立てば更に嬉しいです。

バイオリンと絵が好きだった子ども時代

私は日本生まれの日本育ち。5歳からバイオリンを習い始めました。体育は苦手。勉強は得意。たまに絵や粘土で賞をもらう子として小学生時代を過ごしました。
公立中学校が家から30分、自転車不可、教科書等の持ち物は全て毎日持ち帰りという謎の校則に耐えられないだろうという母の助言もあって、中高一貫の進学校の女子部に入るべく中学受験し、合格します。
中高ではガリ勉グループにも、生徒会にも、テニスやダンスといった華々しい部活にも所属することなく、帰宅部として一人でバイオリンを弾いておりました。

中学生で人生をかけた決断を迫られる

中2くらいのとき、身体も大きくなり成人用のバイオリンに代わるタイミングで、本気でプロを目指すのか否かの決断を迫られることになります。

その頃には芸術や目に見えないものや終わりのない探求への憧れが強まり、将来仕事につくならば、一生をかけて深められて、生涯成長できるものにしたいと思ってました。

音大か、勉強か悩んだ思春期

プロでも通用する楽器を購入する話が先生と親の間で交わされ、大阪や東京へ、めぼしい楽器があると聞けば新幹線で出かけていって試し弾きをさせてもらいました。
でも私は、当事者なのに払えるはずもない高額なお金を費やしてもらう価値が自分にあるのか、投資してもらった分だけ結果を残せるのか、というかまずは途中でやめない自信があるのか、ずっと不安でした。

楽器を買って貰える嬉しさもありながら、身に余ることをしてもらう大きなプレッシャーを抱えたまま、自分で自分の未来を決断する勇気も、他の道を迷う余裕もないまま、時間だけがただ過ぎていきました。
とうとう見かねた母が「父にちゃんと楽器の購入をお願いするように」促し、私はある日曜日の朝、家の前で車を洗車している父に声をかけ、震える声で「大人の楽器を買ってください」とお願いしたのでした。

そこからはもうあとに引けず、ひたすら楽器に見合う自分になるために練習。毎日5、6時間は練習していたと思います。
週1回近所のバイオリンの先生とピアノの先生、ソフフェージュの先生に通い、月1回は東京の大学で教えている先生の所に新幹線で行かせてもらい、そこで音大受験も視野にいれた別の視点で師事をうける。そんな生活をしていました。

フランスで受けたインスピレーション

夏にはフランスの講習会に2週間ほど行かせてもらい、パリオペラ座の奏者でもある先生方から師事を受けました。

日本と違う色彩にびっくり

思春期の私にとって、フランスの真っ青な空も、絵本に出てくるように真っ白でくっきりした雲も、鮮やかな緑の葉の色も、青い目でブロンドの背の高いフランス人のチェリストも、ロシア人の先生のお香の香りも、気高い(ちょっと怖い、声低めの)大人の雰囲気たっぷりの女性も、全てが新鮮でした。

そこで仲良くなったフランス生まれの日本人の女の子が「あなたはどんなバイオリニストになりたいの?」と聞いてくれました。同い年の子からそんな質問をされたのがカルチャーショックでした。
日本でたまに発表会のときに合う同門の子たちからは「今、なんの曲弾いてるの?」と言われることはあっても、こんな素敵な質問は飛んでこなかったから。本質をまっすぐな見つめるフランス文化に魅了されました。

あのときの感覚は今も自分の中にあります。

音大に合格!そして孤独な暗黒時代

いろんな人に支えてもらいながら師事していた先生の教える音楽大学に無事入学できました。そこから私の(ある意味)暗黒の時代が始まります。 
一人暮らしは楽しく、思い切り練習できる環境は最高でしたが、とにかく他の子に比べて下手で、楽器を自分のものにできませんでした。オーケストラの席は自分がどの位置にいるのか自分の目にも他者の目にも一目瞭然。毎回席次の発表が辛かったです。

アンサンブルやバイトにも呼ばれず、先生とのレッスンもうまく活かせず、友達はいたけれども、孤独でした。「どんなバイオリニストになりたいか」という問いを思い出すこともなくなり、ひたすら現実から目を背けて練習をすることに救いを求めていました。

けれど、身体を使う楽器の演奏は心と直結しています。自信のなさや緊張感はそのまま音に出てしまい、その音を聞いては落ち込む…の繰り返し。
こうして私は挫折を認められないまま、4年を迎えることになりました。

今思えば、なぜ、ここで私は挫折を認められなかったんだろうと思います。
なぜ、方向転換を考えなかったんだろう。
なぜ、この道は自分の道ではないと思えなかったんだろう。

きっと自分の才能をまだ諦められなかった。
そして楽器も買ってもらって音大にまで行かせてもらって、自分にどれだけ投資してもらっているかを考えると途中でやめるなんてとても言えなかったんだと思います。

今、思えばちょっとおかしかった

次第に、心の中がいつもざわざわして、不安で、何かにしがみつきたくて、食べるものも食べなくなって、交通事故にもあったりしました。

助けてほしいけれど、自分が困っていることやうまくいっていないことも恥ずかしくて認められない。お金を無駄にしている罪悪感もあって、自分がどういう状態なのかさえも、親にも言えずにいました。
ちょっとおかしかったと思います。

自分の人生にはバイオリンしかないのに、それが上手くいかないなんて自分には価値がない。そう思ってる自分から目をそらしていました。

人生に納得感を持てる人を増やしたいと思った原点

今、思えば音大以外にも大学はあるし、まだ若いし、いくらでも方向転換できる。

「あなたの知っている世界の外には、めちゃくちゃ広大な世界が拡がっているよ」

誰かにそう言ってもらったら、私はもっと早く変わったかもしれません。

そもそもその前に、心と身体が噛み合わなくて自信が無くなり始めた時に、とことん話を聞いてくれる人に出会い、自分としっかり向き合う時間をもてたら、不安な気持ちや悔しさを空っぽになるまで吐き出して、人と比べずに「どんなバイオリニストになりたいか」という問いに立ち戻ることができたかもしれません。辞めるにしても納得して次の道に進めたと思います。

この時の経験こそ、私が人生に納得感をもてる人を増やしたいと思うようになった原点だなぁと思います。

その後、授業で音楽療法に出会い、人の心へ音楽が与える影響に関心を持つちます。
でも、ずっとバイオリンと向き合って練習ばかりしていた私は、そもそも人の心がどうなっているのかわかりません。どういう心の状態に対してどういう影響を与えることが人の役に立つのか、どんな影響を与えてはいけないのか、一からちゃんと知りたいと思いました。私のオタク癖の発動です。

音大を卒業と同時に、総合大学の心理学科に学士編入し、大学院まで進んで資格試験をうけ、臨床心理士になりました。
さらに、もうひとつ、私を心理療法の道に進ませた大きな転機があるのですが、それはまた別の記事で書きたいと思います。

おわりに

これが、私の臨床心理士になるまでの道のりです。
この記事が、今も、一流になることを目指してひとつの道で必死になって戦っている人、音大生、芸大生、アスリートの人たち、自分の未来に不安を抱えているのに方向転換するのが怖くて動けなくなってしまっている人に届きますように!
そして、こんな想いをしているのは自分だけではないんだと思えたり、そもそもなぜその道を選んだのか思い出すきっかけになったり、少しでも役に立ちますように!

長文、読んでいただきありがとうございました。

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