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何者でもない自分を

何かになろうとしても、どんな人でも自分が何者かになることはない。人それぞれ、自分は自分にしかなれないから。どんなに名の知れたひとつだってそうだ。マザー・テレサはガンディーにはなれないし、ブッダがイエス・キリストにはなれない。

何者でも無いということは、裏を返せば自分であるということ。何者でもない自分そのものを愛せているだろうか。

生きるということは、何かになろうとすることや何かになることではなくて、自分が自分でいられるようにすることだと思う。自分という人間を作ることだ。

だから自分でいるために、自分以外の何かの真似をする必要もないし、自分のことを否定しなければいけない理由はどこにもない。

何者かになることが特別だと思われているけれど、そうではない。自分であることが特別なのだ。ほかの誰も真似できない存在でいられるのだから。自分自身を育てて、自分を極めていくと、何者かになったように見えるだけで、本人はひたすらに自分であることを実践しているだけなのだ。

生まれた時からずっと、ただここに存在しているという理由だけで、ひとりひとりが自分にしかない宝を持っている。

どうかそのことを忘れないで生きていてほしいと思う。自分に対しても、人に対しても。

何か苦しいことがあっても、自分という宝が生きている。そのことを思い出して。そして、何者でもない特別な自分であることを楽しんで生きよう。


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