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肩を組んで歩いている

一匹狼。

私はそう言っていいくらいには、ずっと1人だったことがありました。

でも最近はひとりで気ままに過ごすことを大事にしながら、誰かと一緒に歩くこともできるのかも、

人は結局はひとりなのかもしれないけれど、肩を組むことはできるんだ、とそう最近思うようになりました。

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一匹狼だったころから、人が大好きでした。

「一匹狼なのに人が好きってどういうこと?」と思われるかもしれません。

私も自分で自分を理解するのに少し時間がかかったくらいです。

人の気持ちに触れてみたり、人の考えに触れてみたり、そういったことがとても好きだったんです。

好きだけれど、相手に合わせすぎてしまって自分が無くなってしまうような、そんな感覚でした。

そこで、なんでかなー、と色々と考えました。

考えた末に人と一緒にいても、自分を持てる方法を発明したんです。

それは私にとっては「書くこと」でした。

自分の気持ちとか、考えたこととかを書くことで、人と一緒にいるときも自分のことも話せるようになりました。

ここからはじめて、私は人と肩を組んで歩いていくことができる、ってそう思ったんです。

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肩を組んで歩くということって、私にとっては協力し合うとか、そういうことではなくて、もっと深いことです。

うまく言葉で説明することはできないけれど、心がなんとなくつながっているような気がする、そんな状態のことです。

「きっと大丈夫さ」って言い合って笑いながら、歩いていくことです。

そういったなんだか淡くて、でもとても前を向ける、そんなことが、肩を組んで歩くことだと思っています。

見たり触ったりできないけれど、こういうことができるように最近なれたかなぁ、と思うんです。

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肩を組んで歩けるようになった今は、「私たち/僕たちはひとりじゃない」という言葉の意味が分かるようになりました。

「僕らはひとりじゃない、ってなに?人って一人だよね?」って、昔は全然分かりませんでした。

でも今は、ひとりじゃないんだと本気で思えています。

「大丈夫さ」と笑いながら、前を向いて歩いている人たちが周りにいるから。

それだけで、ひとりじゃないってこういうことなんだな、と腑に落ちました。

肩を組んで歩くこと、これをシェアしてくれた人たちに、たくさんのありがとうをここに。


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