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すごくなくていい。

欠けているくらいが、ちょうどいい。

頑張って完璧にこなさなくても、できないことがあっても、ちゃんと自分の居場所はあるし、大事な人たちに愛され、愛することができる。

自分に欠けているものがあるからこそ、自分にとって大切なものがすぐ側に見つかる。

私は学生の時から大学を卒業してからも、何年かパン屋さんでアルバイトをしていた。

神奈川に一店舗、東京の九品仏と雪が谷大塚に二店舗、合わせて三店舗ある、とても小さなローカルなパン屋さんだった。当時は等々力駅のホームにキオスクのような小さなお店もあって、最初はそこで働いていた。

何かとバイトが続かずに、たくさんの仕事を辞めていた私だけれど、唯一、数年続けてきちんと辞められたのがパン屋さんでの仕事だった。

パンの値段を覚えるのも、計算するのも、朝早くにお店に行くのも、私には簡単なことではなかったけれど、一人しか店舗に立てないくらい小さなお店だったから、人と複数人で仕事をするのが苦手な私にはちょうど良かった。

はんす

次のシフトの引き継ぎの時にパートのおばさんやお姉さんと顔を合わせていたけれど、皆とても優しくて、なにかと気にかけてくれた。社長もちょくちょく様子を伺いにきてくれた。何か間違えてしまったときは、みんなから「小さなミスをしても、みんなお互い様だから大丈夫よ!」と言ってもらえて、得意と不得意の差が激しい私はとても嬉しかった。

欠けているものがあっても大丈夫。

大好きなパン屋さんで働いたその時に、はじめてそう思えた。

欠けているものがあっても、よく理解しようとしてくれる居場所や存在はとても大きい。

唯一パン屋さんのバイトだけは、行きたくないと思った日は記憶にない。ミスをしても、ちょっと迷惑をかけてしまった時も、私のことを信頼して店番を任せてくれた。 

辞めた今でも、時々顔を出しに行く。クリスマスのシュトーレンは、必ず買うし、パンも買う。

欠けている自分を信頼してもらったことが、どんなにありがたいことか、今でも身に沁みる。

今ではもうひとり、私にはパートナーという味方もいる。彼も欠けている私を受け止めてくれる。私は彼にもとても救われている。

「すごい人にならなくていい」

そう感じさせてくれて、自分が飾らずに、無理をしないで生きていられる経験をたくさん積んでいこう。

※写真は働いていたパン屋さん。ベーカリーハンスローゼン 九品仏店

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