肩書きや役割りではなく
肩書や役割は分かりやすいものだ。しかし自分が自分であるということを忘れさせてしまうものでもある。
それだけに目の前の肩書や役割よりも、自分がどうありたいかということを考えたほうがいいと思っている。
大人になると「〇〇として」という考え方が増えてきて、自分が本当に在りたい姿を考える時間が無くなってゆく。たとえば「自分は母親としてどうしようか」とか「上司としてどうしようか」というように。
「〇〇として」という考え方を続けていると、肩書や役割を踏まえてつくり上げた自分と本来の自分がだいぶかけ離れて苦しくなる。
本当はもっと違う自分でありたいのに、肩書や役割に自分を合わせているから。
しかし、もしふとしたきっかけで自分の肩書や役割が無くなったら、何が残るだろう?
目先の肩書や役割は、飾りのようなものだと思う。自分がどうありたいかを考えていない限り、それがなくなってしまうと何も残らない。
肩書や役割は持っていてもいいけれど、自分という人間をつくることだけは忘れてはならないと思うのだ。
本来の自分を持ち、自分を育てて生きることで、虚しさを感じることは無くなる。自分の気持ちが分からなかったり、孤独を寂しく思ったり、誰かに流されたりすることが無くなる。
肩書や役割は持っていると安心だけれど、それに頼りすぎていたり、どこか生きにくさを感じていたりしたら、一度肩書や役割を取り払った自分を見てみるといいかもしれない。
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