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なぜ女性たちはボーイズラブにハマるのか?

矢野経済研究所は、2016年の日本におけるボーイズラブ(BL)の市場規模を220億円としている。

なぜこれほど多くの女性たちがBLにハマるのだろうか?

ご存知ない方のために説明しておくと、BLとは「主に女性の書き手が女性の読み手に向けて書く、男同士の性愛物語(ラブストーリー)」である。

これまでにも多くの研究者や評論家がこの問いに挑んできたが、今日ご紹介するのは、心理学分野からの出来立てほやほやの仮説である。

あれ? ーー心理学?

そう思ったあなたはBLについての評論を読みなれている人かもしれない。

これまでBLの研究や評論といえば、社会学的な分析が主流だったからだ。この件に関する限り、心理学は出遅れてきたと言っていい。

なぜ心理学にこだわるのか?

かれこれ6年も前になるが、当時私は教育分析を受ける心療内科医であり、同時にBL愛好家でもあった。

そんなある日、私は自分がBLにハマる理由を自分で心理学的に説明できないことにふと気づいてしまった。

正直これにはかなりの職業的敗北感を覚えた。

「お前は一体何年教育分析を受けてきたんだ?」

誰も面と向かってそんなことを言いはしないのだが、一旦そう思い始めるとタチが悪い。私はこの声から24時間365日逃れることができなくなった。

だから、関係すると思われる本は片っ端から読んだし、自分の考えを世に出すためにあらゆる努力を重ねてきた。

しかしその成果は? というと、正直に言ってまだゼロに等しいというていたらくなのである。

しかし、この間にわかってきたことがある。それは、1970年頃までは観察者の主観的な観察や対象者の内省的報告に頼るほかなかったーーつまり理系分野の研究者からは見向きもされなかったような人文学分野の知見が、最近になって方法論の進歩により続々と実証されるようになってきたということである。

だから私も今後はBLについての実証的研究を志すことにしたのだ。実証的研究とは、簡単にいえば、実験や調査を基に、ある仮説が正しいのか間違っているのか、白黒をつけるタイプの研究のことである。

だから、今から私が紹介する仮説は、今後私が「実験で白黒をつけたい」と思っている仮説ということになる。

だったらどうして白黒ついてから発表しない?

という意見は至極もっともであるが、もしあなたがBL愛好家で、「自分はなぜBLが好きなのか?」という問いと真摯に向き合ってきた人だとしたら、私は実験をする前にあなたの意見を聞いてみたいのである。

お恥ずかしい話、私はこの仮説に出会った時、一瞬で恋に落ちてしまった。

それまで自分が積み上げてきた仮説を捨てさせるほどの魅力をこの仮説に感じたし、その残響が今でも心の中で鳴っているのだ。

そして、私はこの残響も交えて山岡重行氏の元の仮説を大幅に脚色してしまっているので、元の仮説をそのまま読みたい方は、「産みの親」である氏の著書に当たられることをお勧めする。

本題に入る前に、まずはこの仮説を理解するためのキー概念である「ジェンダー・ステレオタイプ」という用語を噛み砕いて説明しよう。

「そんなことわかってるよ」と言う方は次の項を読み飛ばしてもらって構わないーーと言いたいところだが、ジェンダー・ステレオタイプを重力にたとえるのがどうして適切なのか? をご理解いただくため、少しだけお付き合い願いたい。

地球へようこそ 〜ジェンダー・ステレオタイプは重力のようなもの〜

私たちが地球のどこへ行こうとも重力は私たちに付いて回る。

それと丁度同じように、私たちは多かれ少なかれ、誰でもどこにいてもジェンダー・ステレオタイプの影響を受けている。

ジェンダー・ステレオタイプとは簡単に言うと、「男性は力が強い」「女性は優しい」などの性別についての単純なイメージのことである。

多くの人は、現実はこれらのイメージほど単純ではないことを知っている。しかしステレオタイプを持つことにより、私たちは十分に情報を吟味する余裕のない時やそもそも情報がない時でも、簡単に「とりあえずの答え」を得ることができるのだ。

例えば、「あるところにおじいさんとおばあさんがいました。ある日おじいさんは……」という出だしを聞いたなら、それがたとえ初めて耳にする物語だったとしても、私たちはその続きを「山へ芝刈りに行きました」と予想するだろうし、「おばあさんは……」と聞いたなら「川へ洗濯に行きました」と予想するだろう。私たちがその物語中の「おじいさん」や「おばあさん」についてまだ何も知らないうちから、こんなふうに当たりをつけるのはジェンダー・ステレオタイプの働きである。

読者の中には「そんな偏見と自分は無縁」と主張する人もいるだろう。

しかし次のような心理学の実験結果を聞けば、その主張は眉唾と言わざるを得ないことがわかる。

これは色についてのジェンダー・ステレオタイプを浮き彫りにした実験である。

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日米の成人男女が、ピンク色の男性マーク(男性マークと女性マークについては写真を参照のこと)を見て、男性であると認識できるまでにかかる時間は、ピンク色の女性マークを見て女性であると認識できるまでにかかる時間と比べて、0.05〜0.06秒も長かったのである。(北神慎司他「トイレのマークは色が重要?(2)〜トイレマークの認知におけるストループ様効果の比較文化的検討〜」

この実験に参加した人の中には、もし個別に質問をすれば「男性がピンク色の服を着たっていいじゃないか」と答えるような「自由な」人も大勢いたのではないだろうか?

しかしその人たちの潜在意識においてもなお、「女性であること」とピンク色とは強く結びついていたということになる。

このように、いくら本人が「性別についての偏見から自由になりたい」と願ったとしても、無意識の反応まではコントロールできないのである。

BLが女性たちに必要とされる理由

ポルノやラブストーリーといった、性愛に関するフィクションの作り手もまた、無意識にジェンダー・ステレオタイプの影響を受けるため、いくら想像力を自由に羽ばたかせたいと願ったところで、自ずと限界がある。

他方、20世紀以降、様々な調査結果から、多くの女性がオナニーをする際、次のような「女性らしからぬ」空想をしていることがわかってきた(小倉千加子『セクシュアリティの心理学』)。女性自身の快楽のための「強姦幻想」に始まり、女性を性的対象として興奮したり、男性をサディスティックに征服する幻想に至るまで、その内容は多岐にわたる。

しかるに、このような「決して少数派ではない」少女や女性たちにとって、既存の少女マンガや少年マンガ、男性向けポルノやレディースコミックなどが、どの程度その欲望の受け皿となることに成功してきたかと言えば、「常に」とは言わないまでもかなりの確率で失敗してきたと言わざるを得ないだろう。

このような需要と供給のギャップを埋めるために発明されたのが「BL」であると私は思うのだ。

BLの秘密は心理学的なトリック?

BLの魅力の秘密は、作者と読者にとっての無ジェンダー・ステレオタイプ状況を作り出す心理学的なトリックにある。

宇宙飛行士の訓練生は、自由落下する飛行機の中で無重力状態を体験することができる。しかし、当然ながら飛行機の外では重力が消えているわけではない。

同じように、いかに社会の中に、そして作者や読者自身の中にも性別に基づく偏見が溢れていたとしても、それはもはや関係ないーーBLという形式を利用しさえすれば、物語を書いたり読んだりする際にトリックの力でステレオタイプの影響を取り除くことができるのだ。

このトリックについて、心理学者の山岡重行氏は次のように述べている。

BL作品を読む腐女子は、男性キャラクター同士の恋愛という物語の持つ意味と、疑似異性愛的な絵柄の示す意味が干渉し合って、ジェンダー・ステレオタイプに従った自動的な情報処理を抑制するのではないだろうか。(『腐女子の心理学2ーー彼女たちのジェンダー意識とフェミニズム』2019年、福村出版)

これはどういう意味かというと、BLの読者は、物語のヒロイン的位置付けの登場人物ーー「受け」が「男である」ことは最初からわかっている。それがBLの「お約束」だからである。しかし一方で、そのキャラクターの見た目はと言えば、女性と見間違えるくらい顔が可愛かったりするわけである。ここで先ほどの「ピンク色の男性マーク」を思い出してほしい。「ピンク色の男性マーク」では、ピンク色という「女性」を示唆する情報と、図形が示す「男性」という情報が脳内で交錯した結果、性別認識に遅れが生じたのであった。

これと同じように、「男性である」という事前情報のある、女性のような顔をしたキャラクターを目にした読者(そして作者も)は、性別についての相反する情報が脳内で交錯する結果、昔話の例で示したような性別に基づくストーリー予測が困難になるだろう、と山岡氏は述べているのである。

この「先の展開の読めなさ」には利点があり、作者にとっては、ジェンダー・ステレオタイプから逸脱した物語の創作が容易になるということであり、読者にとってはそのような物語の受容が容易になるということなのである。

男性向けポルノやレディースコミックに出てくる男性には感情移入できないという女性であっても、BLの「攻め」には比較的簡単に感情移入できるというのもこのトリックの効果であるし、「もし同じストーリーの男女物があったらドン引きしてしまうだろう」と思うような「何でもあり」の物語を、BLの読者がポンと受け入れられてしまうのもこのトリックの効果なのである。

前の例では、男女モノのストーリーであれば、女性読者の自動的な女性キャラへの感情移入が起こるところを、トリックによって自動的な情報処理が停止させられているので、読者も作者もより意識的にその時々で感情移入するキャラ選ぶことができるというわけである。

また、後の例では、「このようなストーリーの物語を読んだら自分は辛くなってしまうだろう」「入り込めないだろう」というような先入観がトリックにより停止させられているので、真っさらな状態からストーリーを受け入れることができるのである。

山岡氏は、原作の少年マンガで友情関係にあった男性二人の恋愛を描くBL二次創作もまた、読者の脳を混乱させ、性別に基づくストーリー予測システムをダウンさせるトリックの一つであると指摘する。

この場合読者は、原作では二人が「性愛関係にはなかった」ことを記憶している。その情報と二次創作中で「(その同じ二人が)性愛関係になっている」という矛盾した二つの情報が脳内で干渉する結果、「先の展開の読めなさ」がアップするというわけである。

これらのトリックにより、BLでは作者が「楽々と」自由な物語を創作できるのに対し、もし男女モノで同様の効果を狙うとしたら、よしながふみ氏の『大奥』(男女の役割が逆転した江戸時代の大奥を描いた物語)のようにかなりの力業が必要となるのである。

無重力装置の中では誰でも簡単に宙に浮かぶことができる。ーーしかし重力下で、空中で静止して見えるほどの跳躍をものにしようとすれば、バレエダンサーの強靭な肉体が必要となる道理である。

「書くことと読むことの両方を手軽にする」このトリックの効果があってこそ 、BLは多くの女性たちの心をつかむことができたのではないだろうか。

この仮説が指し示す地平

この仮説から、さらに次のようなことを私は連想した。BLに女性が出てこないこと、萌えオタクが好む「萌えコンテンツ」と呼ばれるジャンルで性的に成熟した大人の女性よりも幼女や少女が好んで描かれることもまた、読者と作者のジェンダー・ステレオタイプに沿った情報処理を抑制する効果があるのではないだろうか? 

つまり、大人の女性、特に大人の女性の裸体の描写は、見る人のジェンダー・ステレオタイプに沿った情報処理を活性化する作用がある故に、オタク的コンテンツから排除されるのではないか、という仮説である。

旅立ちへの決意

ご紹介した仮説はお気に召しただろうか?

私は目下、BLに関する研究活動を行うことができる環境を求め、研究室の開拓や大学院入学に向けての受験勉強に勤しむ身である。

もしこの仮説についてのご意見・ご感想があれば、今後の研究の参考にさせていただくことをここにお約束したい。

以上、「BL研究者の卵」がお伝えした。


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