食べられないことを透明にしない
このnoteでは、自分の仕事の本質って何だろう を言語化するために書きます。
ヴィーガンandグルテンフリーのお菓子屋をはじめて早数年、私が経営者する(株)TREASURE IN STOMACH のビジョンはone table for everyoneです。
体質や考え方などによらず、みんなが同じテーブル同じお菓子を囲んで楽しいティータイムを過ごせますように なんて思いが込められています。
one table for everyoneは、本当に本当に、叶えたいことです。
これが普通の世の中にしたいのです。
原動力は、私が、当事者 だからこそ感じる憤り。
食べられないものがあると、不均衡や不必要な不便に巡り合うことがたくさんあります。
ありとあらゆる環境や状況の設定が、何でも食べれる を前提にされてしまってるので、何か食べられないものがある場合は、ある側がひたすら我慢しなくてはいけないことが多いのです。
私はそれを嫌だと思うし、少しでも減らしたい。
自分が感じている「嫌だな」を未来の誰かに残したくない。
それが私の仕事の根幹です。
実体験を書きます。
私は、自分だけ食べれるものが一個もない という食事の席によく出くわしてきました。
ちょうど、昨日、とある団体の交流会として、小籠包のお店に行くと案内がありました。
しかし、私は小麦アレルギー。小籠包だなんて、小麦だらけの環境、アナフィラキシーショックを起こす可能性があり、泣く泣く断念。
食事の席とコミュニケーションは切っても切り離せない仲なので、食べられるものの種類によって、誰かと交流し仲良くなるチャンスを逃すことが、今の日本では本当によくあります。
無理して行って、枝豆と烏龍茶だけに4500円払うことも1回や2回ではありません。
こういった、機会や金銭的不均衡が、食べられないものがある というだけで発生するのは、本当に残念なことです。
この、嫌の気持ちの根っこには、食べられないものがあるだけで、社会的に無視されているという感覚があります。
なんで、日本は、誰でもなんでも食べられる ということが前提で物事が進むのだろう?
何でも食べられない
たったそれだけのことで、私は透明でいないことにされている。
すごく気持ち悪い嫌な感じ。
私と同じそんな気持ちを、10年後の誰かに感じてほしくない。
事業の原動力はこれです。
例えばですが、日本には、今、アレルギーで食べられないものがあったり、親の教育方針でヴィーガンの食生活を送っている子どもがいます。
今は親の保護下にあるし、守られているのもあり、本人が直接的に強く憤りや悲しみを感じることはないかもしれません。
でも、成長するにつれて、友達と一緒にSNSで話題のパフェを食べに行けなかったり、デートする時に相手にすごく気を使わせて気まずく感じたりすることが、今の食に対する社会の状態が何も変わらないと、きっと起こってしまいます。
私が感じてきた、嫌だな と思うことが、何も変わらず未来の誰かに起きてしまうのです。
それは変えたい。
と、強く思います。
自分が感じた「嫌だな」を未来の誰かに残したくなくて、頑張ろうと決めています。
さて、実は、このone table for everyoneは、誰しもに関係があります。
長い人生誰しもが、思考の変化や健康などの理由により食事制限がどこかのタイミングで発生する可能性があるからです。
今は関係なくとも、数年後は自分ごとになっているかもしれません。
よく、私たちがやっていることがよくわからないよ〜という方には、10年後痛風や糖尿病予備軍で食べるものがないと悲しんでいるかもしれない自分を思い浮かべてほしい と伝えています。
そういった意味では、すべての人に関係があるお仕事なのです。
多様性に関わる仕事をする上で大切なことは、結構先の未来の社会で、今ある課題をそのままにせず解消する努力を最大限することです。
「今も見るけど、本当に見ているのは先の世界。」
それが、多様な社会を考える上で大切な仕事の進め方だと、今は思っています。
10年後20年後、アレルギーやヴィーガン、グルテンフリーなど何かしら食事に制限があったとしても、そこに対して、特段お金や時間、精神的なコストをかけなくても、住んでいる場所が都会でも地方でも普通の状態で過不足なく中庸に生活していける世の中を作るために事業を進めています。
食べない/食べられない状態であるがために、不便や不均衡を感じなくちゃいけないのは間違っている。
この憤りにも似た嫌だなと思う気持ち、なんか気持ち悪いなという不快感の種。それを未来に残さないことが私の仕事です。
画一的じゃない、もっと多様な選択肢が尊重される社会になっても良いのじゃないか。と思うのです。
だから、明日も明後日も未来の自分や誰かのために、粛々と目の前のことと向き合います。
向き合うのは大変だけど、嫌だなの種を見過ごさないで、深掘りして、その本質を頭の中で反芻し、言語化します。
それが、サービスに息づいて、周りを巻き込み、事業として社会に影響を与えて、少しづつ嫌だなの種がなくなって、今よりも息が吸いやすい未来になりますように。そんな祈りにも似た気持ちで、仕事をしています。
今の私にとっての仕事の本質は、「嫌だな」を未来に残さない というおはなしでした。