遅れてきた新年度 コロナが息子に残した爪痕
6月になりました。
世間の流れに沿って、息子の通う幼稚園も、6月から休園が解除されました。
休園解除といってもいきなりもとのようには戻りません。
分散登園で、決められた日に、決められた時間、少人数のお友達との園生活を始めることになりました。
ちなみに息子は療育にも通っています。
療育の方は一足早く5月から、分散登園が始まっていました。
今日は、2月末の緊急事態宣言からはじまった、コロナ渦が息子に残した爪痕について書こうと思います。
コロナで変わった息子の日常
息子は中等度知的障害を伴う自閉症です。
5歳ですが、言葉を全くしゃべりません。
そんな息子ですが、これまで幼稚園と療育の併用生活を、大きな問題もなく順調に、何より本人がとても楽しく過ごしていました。
息子は、幼稚園も療育も、大好きだったのです。
時々癇癪を起こすことはありましたが、幼稚園も療育も、「家より楽しい、早く行きたい」そんな気持ちがいつもにじみ出ていました。
しかし、息子のそんな日常は、ある時突然終わりを告げました。
2月の最後の日、緊急事態宣言による休園発表、まず、幼稚園が突如次の日から無くなりました。
幼稚園がなくなりましたが、療育はまだ続いていました。
療育(児童発達支援)は、保育園と同じような経緯でコロナ渦の中の対応が進んでいった気がします。
息子は一週間のうち、家で過ごす日が突然増えましたが、その理由がわかりません。
定型発達の子は「コロナにかからないために休園になった」と理解したと思いますが、知的障害のある息子にそれを求めるのは、とんでもない無理難題です。
息子は明らかな異変に気づき、でもそれがなぜ起こったのかわからず、なんとなく周りの大人がいそいそ、ざわざわとしていることにも不安を感じ、一気に精神不安定のジェットコースターに乗り込みました。
奇声そして奇声の日々
息子の精神不安定さの一番の現れは、奇声でした。
日常が変わったことに対する不安、幼稚園に行けないストレス、外に出られないイライラ、その全ての発散として、奇声をあげることしかできなかったのだと思います。
そんな中、療育も春休みに入り、そのまま休園が決定しました。
息子は完全に家しかいる場所がなくなりました。
我が家には、よちよち歩きの娘もいます。
夫は仕事が忙しく、完全なワンオペ育児。
娘と息子、二人を連れて公園や散歩に行こうとしても、二人とも一秒たりとも目を離せません。
娘は何もわからず公園から脱走しようとするし、息子は子供が増えてくるとパニックになって癇癪をおこしました。
息子は突然歩くのを拒否したり、怒って急に車道に飛び出した事もありました。
私は、二人の安全を確保しつつ外で運動させる自信が全くなくなり、もう私一人では一切子供を外にださず、毎日をひたすら家で過ごすことにしました。
息子のストレスのはけくちは無く、奇声の応酬。
私は耳栓をして一日をしのぎました。
それでも、そんな生活が2か月も続くと、5月に入るころには息子の奇声も落ち着いてきました。
コロナによる「非日常」が「日常」になったのです。
新たな日常を認識し、息子の気持ちは落ち着いていったように見えました。
遅れてきた新年度
5月に入って少し経ち、まず療育が、分散登園で一日2.3人の超少人数で再開されました。
先生方も、私たち障害児の親の負担をとても心配して下さり、かなり徹底したコロナ対策の上、頻度もとても少なかったですが、少しずつ登園することになりました。
息子は療育が再開され、喜びを体じゅうで表現して小走りで登園しました。
でも、いざ療育につくと急に不安になったようで、突然足がすくみ、イヤイヤしだして手を焼きました。
そして、療育の間は楽しく先生と過ごしたようなのですが、帰る時間になって私が迎えにくると、もう絶対に帰りたくないという強固な意思を示して暴れました。
たぶん、久しぶりに療育で過ごす時間が楽しすぎて、気持ちが切り替えられなくなってしまったのです。
どのくらい暴れたかというと、地面に寝転んで両手両足をばたつかせ、施設中に響き渡る声で30分くらい、もうどうにも手がだせないような暴れ方でした。
それでもなんとか気持ちを落ち着けて帰るので、家に着いた時には私のライフはほぼゼロです。
そんな、遅れてきた新年度のはじまりでしたが、それでも少しずつ少しずつ、回を重ねるごとに、息子は「慣れ」を取り戻していき、落ち着いていきました。
行きはよいよい帰りはこわい
6月に入り、今度は幼稚園が再開されました。
幼稚園も分散登園になりましたが、療育より在籍園児の人数も多いからか、療育以上に短い時間の保育に限られました。
園児みんなが、公平に同じ頻度で、少人数で登園、保育を受けるようにしなければなりません。
一日のうちでも時間を分けて、日によっても分ける、これは致し方ない事です。
息子の初登園の日も、幼稚園にいられる時間はとても短く、私は、息子が遊び足りなくて暴れることが怖くてしかたがありませんでした。
実際、息子は普段より短い時間での保育だと、いつも激しく怒りました。
幼稚園に行くときは、スムーズに登園できた息子。
幼稚園で過ごす時間も、とても楽しそうで機嫌がよかったようです。
でも、帰る時間になって私が迎えに行くと、「悪魔が来たぞ!!」と言わんばかりの拒否を見せました。
私が触れることすら許さなかったので、先生たちにご協力頂きながら、なんとか園の外に出し、汗だくになって帰りました。
息子のつんざくような悲鳴が、幼稚園の近所にこだましました。
これでも、療育で慣らしが進んでいたおかげで、私基準では随分スムーズな方でした。
息子の登園スタイルは行きはよいよい帰りはこわい・・・とうりゃんせか!!って感じです。
自閉症児にとって「いつもと違う」はこの世の終わり
息子は極端に、「いつもと違う」に弱いです。
これは、息子と同じ自閉症の子にはよくある特性だと思います。
ただいつもの日常に戻っただけなのに、息子にとっては「いつもの日常」が緊急事態宣言下の状況にアップデートされてしまい、今の緊急事態宣言解除後の生活もまた、「いつもと違う」になってしまいました。
家より幼稚園や療育の方が楽しい!でも、なんかいつもと違う生活でドキドキするな、ソワソワするな、そんな不安定さから、やたらと気持ちのふり幅が大きいのです。
しかも、時間や行く曜日も不規則。
息子にとっては、「なんか今日は行くことになったけど、いつこの楽しい時間が終わるんだろう?」という先が読めないモヤモヤが常にあるのかもしれません。
何から何まで、「いつもと違う」の連続です。
私たちにとってはたいしたことない変化も、息子にとっては一大事、コロナ騒動のような大きな変化だったら、もはやこの世の終わりです。
本当に「この世の終わりかな?」ってくらい泣き叫ぶので、そんな言葉が浮かびました。
コロナも今後まだまだどうなるかわかりませんし、息子の「いつもと違う」を、私の力では完全に取り除くことはできません。
それでも、少しずつ今の生活に慣れていって、遅れてきた新年度を充実したものにしていってほしいと、願わずにはいられません。
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