「不意打ち」の英会話に弱すぎる
2020年5月26日(火)
【Day 68】
英語というものは、習得するのにおよそ3000時間を要するというのが一般的な定説らしい。これにはもちろん、1日中英語漬けの中に身を置いた場合、という前提がつく。
長女のイギリスからの帰国子女だった同級生は、約1年で授業についていけるようになったという。それを定説に照らし合わせると、1日6時間を学校で過ごすとして、週5日で30時間、1ヶ月で120時間、1年で1440時間。3000時間のおよそ半分だが、まだ若くて脳が柔らかいからこそ、そのぐらいで可能だったのかもしれない。
なぜこんな話をしているのかというと、果たして45歳も半ばを過ぎた僕が、さしたる切羽詰まった状況もなしに英語を習得することは可能だろうかと考えているからだ。
せっかくオーストラリアに来ているのだからと、毎日小一時間ほど勉強(というか、NetflixやYouTubeのコンテンツでシャドーイングする、気になった言い回しをメモして覚える、という程度)はしているものの、これだけではなかなか難しい。
僕の場合、中途半端で効率が悪い細切れ状態で英会話を学んで来てはいるものの、まとまった時間を集中的に英語に捧げているわけではないため、上達の速度は車道を走るトラクター並みと言わざるを得ない。
面と向かってゆっくりと会話できて、なおかつ相手が僕の英語力レベルを知っていて、さらに相当辛抱強いという状況なら、それなりに会話は成立するが、もちろんそんな場面は日常生活の中には存在しない。教習所の中でしか運転できないドライバー、訓練でしか戦ったことがない兵士、それが僕の英語力である。
そして、オーストラリアの人は結構な確率で初対面の人間に話しかけてくる気さくな人種であるがゆえ、突然声をかけられた時に、圧倒的な英語力の弱さを思い知らされるのだ。
……とまあ、そんな能書きはどうでもよくて、以下、そんな未熟な僕が突然声をかけられ、恥ずかしかったシーンを挙げる、というのが本日の趣旨である。
ハリスファームマーケットにて
それは、レジカウンターでのことだった。
基本的に、スーパーでは定型のやり取りで済む。聞かれるのは「バッグ(レジ袋)いる?」と「レシートいる?」のみ。僕はいつもマイバッグを持ち運んでいるから、それらに対して答えるのはいつも「ノーサンクス」だ。
しかし、その日、ハリスファームのレジカウンターを担当していた大柄の女性は定型文ではなかった。
「もうパックしていいわよ」
多分、彼女はそんなことを言ったのだと思う。
「bag」と「pack」の発音はよく似ている。それはもう実によく似ている。そんな訳ない、と思うだろうが、定型のやり取りしか頭にない場合、確実にそう聞こえるのである。そして僕は答えた。「ノーサンクス」と。
次の瞬間、彼女は、一緒に買い物に来ていたアッコに向かって大げさに両手を広げ、さもおかしそうに店中に響きそうな大きな声で語り始めた。
「What?『パックしてもいいわよ』、『ノーサンクス』。どうやって持って帰るの?あなたの旦那さん、眠ってるの?」(→これはあとでアッコから聞いた)
ちなみに、彼女には全く僕に恥をかかせようという悪意は感じられず、単に本当にウケただけだったようであることは付け加えておく。……めちゃくちゃ恥ずかしかったけどね……(;´Д`A
バス停にて
それはコラロイへ向かうバス停でのことだった。
我が家の最寄りのバス停からは、144番のマンリー方面行き、あるいは257番のバルモラル方面行きに乗り、ニュートラルベイジャンクションでB1ラインに乗り換える必要がある。
次に来たバスは257番だった。
バスが近づいてくるのに合わせて僕らがバスに乗り込む準備をしていると、突然、同じバス停で待っていた70代半ばと思しき老人が僕に向かって話しかけてきた。
「このバスはバルモラルビーチ行きだよ」
この老人は、おそらく僕がサーフボードを抱えていたのを見て、親切心でそう声をかけてきたのだろう。なぜならバルモラルビーチには波がない。
しかし、不意を突かれた僕には、その言葉は「このバスはバルモラルビーチに行くかね?」と聞こえていた。
そして思わず出てきた応答は「アイドンノウ」であった。
なんて間抜けな答えなのか。しかも、冷静に考えれば、僕はこのバスがバルモラルビーチに行くことを知っているのだ。
いや、仮に力強く「イエス」と答えていたとしても、爺さんにとっては「バルモラルには波がないのに何ドヤ顔してるんだコイツは」という反応にしかなり得ない。何れにしても間抜けすぎる。
困惑した表情の僕から「アイドンノウ」と返された爺さんは、もっと困惑した顔で同じことを再度アッコに忠告していた。
「このバスはバルモラルビーチ行きだよ」
「ええ」
「マンリーには行かないよ」
「ニュートラルベイで乗り換えるから大丈夫。コラロイに行くの」
「おお、そうかそうか」——
——3000時間、遠い道のりである。
分からなかったらちゃんと聞き返しましょうね、オレ
これらのミスは、もちろん僕のリスニング力に大きな問題があるのが一番の要因だと思うが、もう一つは、やはり場面ごとでの実践経験が浅すぎることに起因しているのではないかと推測する。
日本語だって、ほとんどの場面で、ちゃんと音が聞こえているわけではないだろう。全て文脈で、「この場面なら相手はこういうことを話しかけてくる」という予測が会話を把握する土台になっているはずだ。そして、日本語でだって、自分が想定する文脈の外側から会話を切り出されたら、聞き返すことは普通だ。
したがって、今後は焦ってトンチンカンな返事をせずに、わからなかったらちゃんと聞き返しましょうね、と自分に言い聞かせる。
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