また会ったときに 恥ずかしいからね~アニメ「葬送のフリーレン」は最終話もヒンメル構文
今回のnote記事はアニメ「葬送のフリーレン」の最終回(第28話)についてです。
サブタイトルは「また会ったときに 恥ずかしいからね」
note記事でも何度か書いていますが「葬送のフリーレンのテーマの1つは記憶とか思い出」なのだと思います。
最終話もやはり記憶(思い出)がテーマになっていると思います。
ネットでおもちゃにされている「ヒンメル構文」。
「ヒンメルなら~」というセリフはフリーレンがしっかりとヒンメルのことを記憶しているから出てくるわけです。
そして「ヒンメルなら~」が何十年過ぎた後になってもフリーレンの行動に影響を与えています。
最終回のサブタイトル「また会ったときに 恥ずかしいからね」の元ネタもヒンメル。
「ヒンメルならこうした」ことをフリーレンはやっています。
まさに「ヒンメル構文」。
ヒンメルの言葉や行動はフリーレンに良き思い出として記憶され、何十年後にフリーレンが実際に人と別れるときの行動を決めています。
ヒンメルはフリーレンの記憶にあるだけではなく、フリーレンの行動にも大きな影響を与えています。
自分のことを振り返ってみましょう。
今ま出会ってきた人たち。
彼らの中で自分の行動に影響を与えた人は何人いるでしょうか?
家族を除けば「極端に少ない」「ほぼいない」というケースが多いのではないでしょうか?
特に10年以上前に別れてしまった人たちだったらどうでしょうか?
「自分の行動に影響を与えている人はいない」という人の方が多いと思います。
私も45年生きてしまいました。
若者たちと違って無条件に人生を楽観視することができなくなってしまいます。
別れるときに「また会ったときに 恥ずかしいからね」と思ったとしても「また会うことはほぼない」。
これが残酷ながら人間社会の現実です。
そして「別れた人が私に何も影響を及すことはほぼない」。
やはり残酷な人間社会の現実なのです。
そんな残酷な人間社会を生きている私たちは第2期でフリレーンたちに会うのを楽しみにしましょう。(まだ第2期制作は発表されてないけど)
と思ったら日本テレビで「フラアニ特別編 葬送のフリーレン大感謝祭~人の心を知る軌跡」が3月29日に放送されるそうです。
1週間後、フリーレンにまた会えますw
note記事は以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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