正しさなんてない、正しそうが存在するだけ

おはようございます、ありんごです

正しい情報を集めましょうと言われてきた

証拠がないものは信じないようにしましょうと言われてきた

証明の仕方を教えられたりもした

でも本当はわかっていた

正しさなんて曖昧だ

子どもの頃、不思議だった

証拠がないものは信じないのが正しいなら

頭ごなしに言われたことをやらなきゃいけなかった学校での日々はなんだったのだろう?信じられなくてもやれってことか?

みんなと仲良くしましょうは単なる風潮なのに、それに従ってたら苦しくなって退学したあの子は正しくない子なの?絵がうまくて可憐な子だったな

わーふっしぎー!

と、言える人間だった

不思議と思う自分の気持ちの方が、他の何より大切だったから

でもそうじゃない人もいるとわかっていた

気持ちをごまかして、心の底ではたいして信じてもいないものに振り回されて、曖昧な正しさに沿わなきゃって思ってしまう

それもまた価値観だけど、苦しそうだよね

何かを証明されて、これは正しいものですよと言われても

結局、絶対的な正しさなんてないこと、本当は知っている

正しさは移り変わるし、いつだって曖昧で

正しそうに見えれば良くて

正しくなさそうなら叩いて良いらしい

つまらなく、にがにがしいことだな

古文だとせんなきこと、かたらはらいたきこと、とでも言おうか

結局、その人が正しいと思ってしていること、とやかく言っても仕方ないなと思ったりもする

だった正しさなんていくら客観的ぶっても

主観でしょ?

証拠証拠いうなら一つだけ言わせて

なんだって、あなたが選んだから自己責任って突き放してくる、それが証拠だよ

それを踏まえて生きていきたいね

どうする?時代の求める「正しそう」にいち早く迎合して順応する?それとも様子を見る?それとも「いや、私は違うと思う」を貫く?

どれだって尊重されるべき価値観なんじゃないかな

ちなみに私は様子を見るタイプ

なぜなら「正しそう」なものを取り入れて何かあったときに耐えうる強靭な肉体と精神を持っていないから

自分のことを自分が少しでもわかってやること

それは、「正しそう」なものへの扱い方よりずっと大切だと私は思う


ありんご

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