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見過ごされた性暴力が明らかにされるのは良いこと【女装は免罪符にならない】

↓なんとも残念な報道。「性同一性障害」というより、広く女装界隈の問題をはらんでいるように考えます。
ですので、この記事では「性同一性障害」「トランスジェンダー」というより、「女装界隈」の観点から考察します。
(すべてのMtFトランスジェンダーは、少なからず「女装」だった時代があるものです。念のため。)


1.「女装界隈」の汚い部分

すすき野の殺人事件(※)に続き、「女装界隈」の汚い部分が露見してしまってる感がありますね。
(※被害者Aが「女装男性」であったと大々的に報道される。加害者女性Bと何らかの特別な関係があったのだろうとの報道。Bは身内の父母と共同してAを殺害。なお、Aの実名や「女装写真」が公開されるなど、被害者をつるし上げるような報道姿勢も見られた。)


ひろゆき氏もコメントしています。(ひろゆき氏はこういうネタに関心があるようです。友人のryuchelさんが亡くなったからでしょうか?)

ただ、いくらか女装界隈の現場を見てきた者からすれば、「そういう人もいるだろう⋯」というのが正直なところ。

たとえば、5,6年前ですが、新宿2丁目のダンスクラブで、とある女装者が執拗に女性にセクハラをしているのを見たことがあります。見て見ぬふりをする人が多かったので、仕方なく私が止めました。さりげなく、二人の間に入るような感じで、割って入りました。あとでその女性にはずいぶん感謝されました。私が当該女装者の性暴力を止めさせなければ、彼女は女装ヘイター、トランスヘイターになっていたかもしれないと思うと、なんとも苦しい気持ちになります。聞くと、その女性はレズビアンだったのですが、レズビアンだろうと女装だろうとトランスジェンダーだろうと、被害者や加害者になりえます。

それに限らず、「女装なら何やってもいい」と思ってる人もいますからね。実際のところ⋯。


2.見過ごされてきた性暴力があれば、それが可視化されるのは良いこと

「そういう人「も」」でしかないんですが、「性暴力は性暴力」「性犯罪は性犯罪」ということは、キッチリ周知すべきなんでしょう。。

「女装界隈」は、良くも悪くも、ぐちゃっとしてて、アングラなところがあります。そこが人間らしい魅力だと思います。親鸞聖人や理趣経なんかにも通じるものもあります。

ただ、見過ごされた性暴力があれば、やっぱり可視化されるべきでしょう⋯。泣き寝入りせざるを得なかった人が、告発できるようになったのなら、それは望ましいことです。ジャニーズ喜多川問題と同様ですね。

もちろん、女装子さん「からの」だけではなく、女装子さん「への」性暴力も含めてです。
女装子さんは、「どうせ男だからいいだろ」などと考える者による性暴力に遭いやすいと聞きます。女装子さんだけでなく、移行期のトランスジェンダーも同様です。


3.一人の行動がマイノリティ集団のイメージに直結する

「性同一性障害だから」という理由は、当然ながら性暴力を正当化しないでしょう。これは、診断書の有無にかかわりません。

このニュースを見て思うのは、「ほんと勘弁してほしい」、ただそれだけです。

懸念するのは、「女装」や「性同一性障害」が、「性犯罪者」に結び付けられてしまうこと。ただでさえ数が少なく、マジョリティにはよく知られていない世界ですので、マイナスのイメージ(スティグマ)は、集団全体について回ることになってしまいます。
「女装者に性暴力者がいる。だから、女装は規制しよう。」
「性同一性障害の名のもとに性暴力をする人がいる。だから性同一性障害は社会的に悪だ。」
そのように短絡的に考える人々が、ツイッターやヤフーコメントに大量に湧き出ているでしょう。



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