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#MeToo ムーブメントに思うこと~発信のその先と、「女の敵は女であってほしくなかったが…」~

(※2018年1月旧ブログ記事より)
世界中でMeTooのムーブメントが活発化しています。

このムーブメントにより女性(あるいは男性も)がセクハラ被害を告発しやすい土壌が作られ、加害者側には「下手な言動をしたらマズイ」という抑止力が生まれます。私もこの流れには大いに賛成し、応援しています。

私は過去記事のなかで、すでに「セクハラを下火にしていくためには、SNSでの情報発信、情報共有が有効」であると触れています。
その一方で様々思うこともありますので、改めて考えをまとめてみました。

【自分がどこまでの決着を望むのか~法的解決の重要性も意識する~】

果たしていいふらして終わりなのか。
はあちゅうさんのように著名人からの告発ならば、話題性もありカウンターアタックになるけれど、一般人の場合はいかがでしょうか。加害者名を明らかにしても、心にもない「ごめんなさい」を口先だけ言って終わり、というケースも多いでしょう。

もちろんMeTooの流れは大いに賛成です。そのうえで私が伝えたいのは、この流れをきっかけとしても、どこを着地点にするのか決める本人にゆだねられているということです。選択肢は無数にあるのです。

実際に今も、さまざまな方法で解決に取り組んでいる方はいらっしゃいます。訴訟、労働審判、あっせん、労災申請、団体交渉やADRなど、行政措置や法的措置を含め手段は多種多様に存在します。

MeTooで終わりにしたくないと思うのであれば、弁護士に依頼するなり、それが金銭的に苦しかったら法テラスでローンを組むなり、労働局であっせん申請するなり、選択肢はいくらでもあることを知ってください。労働審判を入口としたり本人訴訟を追行するのもひとつの方法でしょう。

私がしたように、弁護士をつけない本人訴訟を推奨するわけではありませんが、法的措置の重要性も同時に意識していただきたいと思います。信頼できる弁護士さんもいるということが、今の私ならわかります。

判例の力というのはやはり大きいです。判例が積み重なり、世の中の常識を変えてきました。判例法主義・不文法主義の英米法の「先例拘束理論」とまではいきませんが、先例に基づいて裁判がおこなわれてきたことは事実です。

第一回セクハラ裁判の勝訴は1992年。この初回福岡セクハラ訴訟がなければ、今以上にあるいは今も、職場における性的発言等による環境型セクシュアルハラスメントは放置されていたはずです。私の勝訴も、先人達の努力と実績なければあり得なかったものと、表敬し、感謝しています。

【なぜその先を意識するのか~セクハラ発生の抑止力~】

なぜこのような話をするのかといえば、一般にセクハラ発生を未然に防ぐには、ふたつの方法があるからです。

①精神的制裁(社会的制裁)
 加害を未然に防ぐストッパーは、「恥」と「信用失墜」です。
MeTooは、この意識をじょうずに共有し、拡散することでセクハラを律する風潮を作り出し、抑止力を拡大させています。やはり「セクハラ加害者」というレッテルは嫌なものなのでしょう。悪行を暴き、ハラッサーの羞恥心を呼び起こして、加害させない風潮を作り出していくというのはとても有効です。

②金銭的制裁
 しかし残念ながら、恥などどうでもよいという、厚顔無恥なハラッサーも存在します。女性からのクレームをむしろ雑音程度にしかとらえていない男性はそこら中に生息しています。だからこそ、「慰謝料」や「降格による減俸」などの金銭的ペナルティーを課すことが必要になってきます。
MeTooムーブメントでは、金銭解決に発展させるか否か、ここが判断の分かれ道となってくるでしょう。


被害の程度によっては、お金をもらうことに抵抗があるという女性も、いらっしゃるのではないでしょうか。
「被害感情を金で解決できるなんて思わないで欲しい」
「金の問題じゃない」

その気持ちはよくわかります。

私自身も、金が欲しかったわけではありませんでした。とにかく自分の尊厳を取り戻すため、正当にリングの上でぶん殴り返すことで怒りを昇華させたかった。だからこそ金銭的解決というのであれば、示談ではなく「勝ち取りたい」と思ったのです。

しかし示談という手段でも「制裁」にはなります。ですから金銭を得ることに罪悪感を抱かないでいただきたいのです。

それでもやはり受け取ることに抵抗があるのなら、訴訟以外、たとえば示談や団体交渉などで「世界の女性支援団体に慰謝料を振り込み、その入金書を送付してください」など、別の方法で金銭的制裁を加えることも可能かもしれません。ご自身が納得できる方法を、模索してみてください。

【この流れで気をつけるべきこと1~同性からむけられる負の感情~】

最終的にどのような方法を選択するかは、個人に委ねるべきでしょう。
要はご本人が「どこまでを望むか」です。MeTooで発信して不特定多数の人に読まれて、それで自分が腑に落ちて、楽になり次のステップに進めるのならば、それはひとつの解決方法だと思います。

大切なのは他者のやり方を尊重し、応援する姿勢です。それぞれを認めることの重要性は忘れないでいただきたいと思います。

そのように考えるのも、セクシュアルハラスメントや男女共同参画の活動に少し足を踏み入れてみると、ある事実に気づきます。それはひとつに、同性からむけられる負の感情です。これは特定の業界に限らないことですが、他者のやり方を否定しマウントを取りたがる人というのは、どこの世界にも存在します。せっかくのMeTooムーブメントが、そのような批判に潰されないでほしい、というが私の願いです。

これは私の実感ですが、「セクハラを本人訴訟で追行して控訴審で逆転勝訴した」というと、さぞや同様の活動をしている方からは、「よくやった!」とエールを送られるかといえば、決してそんなことはありません。一部からではありますが、むしろ排他的な態度を示されることもあります。

例えば強姦や準強姦レベルの被害、あるいはそれに準ずるセクハラ被害を受けた女性をみんなで一丸となって支援し、勝利をつかみ取ったという事案ならば、共感し、あたたかく迎え入れてくれるのかもしれません。

しかし、私のように「自助力で不幸を軽減させた」女性に対して、ときに一部の同性は驚くほど冷淡です。類似の活動をしているからこそ……でしょうか。嫌悪感情を暗に匂わせ、解決方法を否定し、陰で悪意感情を共有しようとやっきになる人たちにも巡り会うのです。また、開いた口がふさがらないような無礼な発言を、直接ぶつけてくる人もいます。あまり書きたくなかったことですが、これもひとつの現実です。

なぜならば、女性の活動をする中には、自分もつらい被害に遭いながらそれを直接相手にぶつけることができず、ストレスを抱えたまま、他者の支援にまわり活動することで自身を投影したり、女性の権利向上という別の切り口から世の中を改善させることでマイナス経験を還元していこうとする意思をお持ちの方もいるからです。

その立場からすれば、私の被害などはひどく軽く見え、しかも「自助力で不幸を軽減させた」という事実が鼻につき、スタンドプレーを認めたくないという、嫉妬にも似た抵抗力が生まれるようなのです。
「軽すぎる不幸」「不幸を共有しなかった」、あるいは「自分の力だけでダイレクトに敵に立ち向かった」私などは、「ずるい」と感じるのかもしれません。

ジャンルは違いますが、ロバート・キヨサキ氏は『金持ち父さん貧乏父さん』(筑摩書房)の中で、次のように述べています。

『~つまり、自分はやってみたことがないくせに、やっている人に向かって「そんなことをすべきではない」理由を並べ立てるというわけだ。~(196ページ)』

個であれ集であれ、ひとつひとつの取り組みが、また、自分の行っているものとは違うカラーの活動が、結果的に全体としての女性地位をあげているという俯瞰なくして、前進もありえないのではないでしょうか。しかしそこが、性的被害を撲滅させていくムーブメントのむずかしさでもあるとも感じるのです。
MeToo渦中にある今だからこそ、女性同士のいたわりと共感と、個々のやり方を尊重する意識を大切にしたいと思います。

【この流れで気をつけるべきこと2~負のスパイラルを断ち切る~】

一方、なぜそういった「歪み」が生じるのか、その感情と背景にも改めて目を向ける必要があります。
日本でMeTooの火付け役となったはあちゅうさんも、BuzzFeedインタビュー記事の中でご自身のゆがみについてこのように語っていました。

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「セクハラやパワハラ被害のニュースを見ても『あれくらいで告発していいんだ…私はもっと我慢したのに…私のほうがひどいことをされていたのに…』と、本来手をとってそういうものに立ち向かっていかなければならない被害者仲間を疎ましく思ってしまうほどに心が歪んでしまっていました」

「けれど、立ち向かわなければいけない先は、加害者であり、また、その先にあるそういうものを許容している社会です。私は自分の経験を話すことで、他の人の被害を受け入れ、みんなで、こういった理不尽と戦いたいと思っています」

「これからはちゃんとした視点で世の中が見られるようになると思います。自分が我慢すればいいと思うと、他の人の苦しさも受け入れられなくなってしまいます。『私は我慢していたのだから、みんなも我慢すればいいのに』と私のように心が歪んでしまう前に、どうか、身近な誰かに相談してみてください」

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はあちゅうさんに関しては、ご本人にもセクハラ加害発言があったなど、いろいろと取り沙汰されていますが、少なくとも上記インタビューに関しては、自身の内面とまっすぐに向き合う真摯な姿勢が感じられます。

「私は苦しんだのだから、他の女性もひどい目にあえばいい」

そう思わざるを得ないほど、性的な攻撃というのは、深く個人を傷つけ、歪ませます。そしてその歪みが、彼女の場合は、自分がされたように、異性への性的攻撃という形で噴出し、「性的強弱マウンティングのコミュニティー」を受け入れて、自分もそのように振る舞うことで、自分の受けた傷を『この世界では仕方のないもの』と正当化しようとする、自己保護の心理が働いたのではないかと感じます。

自身のメンタル保持のために弱者的立場を転嫁していくというのは、決して許されることではありませんが、人の弱さや、負のスパイラルという点で、ひとつ学習材料にする必要はあると思います。

多くの方に知っていただきたいのは、それほどまでに性的被害というのは直接的なケアがむずかしく、誰かに相談できるまでに相当のブランクを要するという事実です。これを機に、改めてセクシュアルハラスメントが与える心理的負荷の重要性を認識していただきたいのです。

また同時に、そのように女性の傷をたやすく生み出してしまう「女性をモノ化し、不遜に扱い、多数獲得することが強者の証であるという男性本位のマッチョ社会」の社会構造そのものに疑問を抱き、覆していくことが不可欠です。

【この流れで気をつけるべきこと3~かさぶたを剥がす時期は自分で決める~】

MeToonoの流れに乗って「えいっ」と告発できる人は、多いに賛成です。心から応援したいと思います。

しかし、傷の治癒時期というのは人それぞれであり、ケースバイケースでしょう。かさぶたが固まりかけていたところ、無理にはがして血を流すことがないよう、自分の心としっかり相談してみてください。

このチャンスに思い切って吐き出したい、「できるぞ」という人は、是非やってみることをお薦めします。その先どうすればよいか、今はわからないかもしれませんが、一歩踏み出すと次が見えてくる。そういうものです。何もかも最後まで見通せてからスタートを切るものではありません。

もし仮に「MeTooで吐き出してしまったけど、まだ早すぎたかも。やっぱりツライ……」と思う方がいるのなら、それはそれで後悔しないでいただきたいと思います。既に行動に起こしたということは、やはりそれが「時期」だったのでしょう。吐き出したものというのは、しょせん排泄物ですから、土に還るに任せましょう。

勇気を出して発信した行動を、誰が認めずとも、私は一女性としてエールを送りたいと思います。剥がしたかさぶたの傷がふさがるのは、最初に受けた傷より何倍も早いということを、これから知るはずです。

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