自慢の孫

私はおばあちゃん子だった。共働きの両親で、母方の祖母の家に預けられていた時間が長く、それはそれは甘やかされた。

おばあちゃんとの記憶。

おばあちゃんは花が好きで、私をよく花屋に連れてった。花の名前は時々難解だったので、おばあちゃんの代わりに覚えてあげた。

おばあちゃんは足が悪くて、リハビリによく行っていた。私はそれに着いて行って、ひたすらに待っていた。リハビリの帰りは、決まって外食に連れてってくれた。

おばあちゃんは外食が好きで、週に一回の外食が定番だった。いわゆるファミレス。店員さんに顔を覚えられるくらい通ってた。

おばあちゃんは「りぼん」をいつも買っておいてくれた。私はりぼんの発売日、いつもスキップして下校した。


私が高校に上がったくらいから、おばあちゃんは怒りやすくなった。早く死にたいと言うようになった。同じことを何度も聞いてくるようになった。私は冷静に受け止めることを意識した。

でもダメだった。ハッキリ覚えていないけど、おばあちゃんに苛立って当たってしまったことがあった。その時に、なんであんなにお世話になったおばあちゃんに優しく出来ないんだろう。あたしが消えた方が良いかな、と思った。それまで、なんとなくおばあちゃんおじいちゃん相手の福祉関係の仕事を将来やりたいと思っていだけど、実のおばあちゃんに優しく出来ない自分に、他人のお世話なんか出来るわけないと思ってその夢を辞めた。

大学生とき、また苛立ってしまったことがあった。その時は自分への嫌悪感から涙が止まらなかった。色んな感情が爆発してしまった。

その数年後、おばあちゃんはほぼ寝たきりになって、入院していた。コミュニケーションはほぼ出来ない。私は、大学の後に病院に行ったりしてなるべく会うようにした。私のことをわかっているのかわからないけど話しかけてみたりした。「わたしだよ」と言うと、目を細めた。

少し話が逸れるが、この2年前に私は友人(高校の友達)を亡くしている。その時、お葬式で一生分泣いたと共に、会える時に会うことの大切さを身にしみて感じた。お互い違う大学に入って、疎遠になりつつあるなかでの訃報。会いたいと思った時に会わなくては。だから、なるべく会いに行った。

その数日後、母からおばあちゃん死んじゃった。とメールが来た。家に1人でいる時だった。呆然としつつも、どこか落ち着いた、そんな感覚。これがおばあちゃんとの最後の記憶。

おばあちゃんは、大病を患ったことがあり、私が成人するまで生きることが目標と言っていた。結果、私が成人するまで生きた。自慢の孫だと、あまり褒めてくれない両親に代わってか、いつも褒めてくれた。

おばあちゃんが亡くなってから数年経つけども、思い出すことは多々ある。思い出すことで、背筋が伸びる。私は自慢の孫でいれているか?と。


おばあちゃんはおじいちゃんを亡くして30年ほど独りで頑張った。今はどうか、夫婦再会できていますように。

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