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ジブリ映画になぜこんなに惹かれるのか

物心ついたころには、となりにジブリがあった。

テレビに齧り付き、擦り切れるほど見たビデオは「アルプスの少女ハイジ」「未来少年コナン」「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「となりのトトロ」「千と千尋の神隠し」そして「天空の城ラピュタ」。

あまりに何度も鑑賞し、景色、言葉や音楽が記憶の奥底に刷り込まれた。

まだカーナビがなかった時代、遠出するときには弟・妹と映画の台詞を交互に言いあって、目的地到着までにひと作品・ふた作品くらい脳内上映会を楽しんだものだ。


ジブリが好きな人はたくさんいると思う。
もしかしたら、大人になってからより好きになった人も多いかもしれない。
ジブリには誰もの中にある「なつかしさ」を想起させる力がある気がしている。

自然や自分に還るような。
いつでも手中にあるわけではなく、思い出しては目を細めて愛おしむようなそんな感情がよく湧いてくる。

どんな要素がなつかしさを覚えさせるのか。
私にとっては下のいくつかなのだと思う。


「1.あまりにもまっすぐな瞳の少年少女」

未来少年コナンのラナやコナン、ジムシーをはじめ、ラピュタのシータも、パズーも、ナウシカも、サンも、まっすぐな目をしている、

見つめられたら恥ずかしくて思わず目をそらしてしまいそうな、あまりにも透明すぎて自分が丸裸に映ってしまいそうな、なんとなくこの子達に嘘をついてはいけないと思わされるような、そんな瞳をしている。

子どもらしさを残し、自分が大きいとか小さいとかも考えたこともなく、ただ一生懸命生きて、怒りには毛が逆立ち、嬉しいと震え、極まると大きな声で叫ぶ。そんな生きていること自体を歓んでいる少年少女たちの目まぐるしく動く感情に、自分の心も同じように揺さぶられるのだと思う。


「2.そのまますべてを受け入れる無償の愛の存在」

ジブリにはよく、評価や善悪の判断を超越して、主人公のそのまますべてを受け入れてくれる素敵なおとながでてくる。

千と千尋では、釜爺。ナウシカでのユパ。紅の豚のジーナ。

干渉するのでもなく、無関心でもなく、行ってらっしゃいと送り出してくれ、おかえりと迎え入れては黙ってただ近くにいてくれる。

なんと名前を付けたらよいのかわからないが、たぶん祈りなのだと思う。

無事で元気でいてくれさえしたらそれでいい、というささやかな祈りを感じるシーンには、おとなになってから気づいた。

「3.大粒の涙とケロッとしたそのあと」

千尋がハクのおにぎりを大号泣しながらほおばるときも、ソフィーが泣きながら暗い扉の中を歩くときも、サツキがメイを探して泣きじゃくるときも、
目からはとんでもなく大粒の涙がでてくる。

ジブリ作品での涙は浄化の意味合いを表現しているようにも思う。

さっきまでの迷いや不安があるのとは少し違う自分への切り替えの儀式がそこには必ずある。ヒロイン達はちゃんと本気で泣ききり、ゼロに戻り、次の段階へと成長を遂げる。

おとなになってから、誰にも遠慮せず、まったく我慢せず、疲れるほど泣ききって自分をゼロに戻せたのはいつだろうか。

「4.どの世界でも変わらない美味しいごはんと温度」

ジブリと言えば「美味しそう」だ、という人もいるくらいジブリ飯は有名だ。

トトロやアリエッティに出てくる野菜の鮮やかな色合いと大きさには鮮度や生命を感じずにはいられないし、カルシファーの火を使って焼く目玉焼きとベーコンはシンプルなのによだれが出そうになる。千尋の親がむしゃぶりついてしまう屋台の食べ物はホッカホカで匂いまでしてきそうだ。

ジブリに出てくるごはんは全部ぷりっとしていて、しかも温度を感じる。

そこには出来たてを食べる、が常にあり、生命の流れを置いておくのではなく、淀みなく流れているように感じられる。

泣くこと然り、食べること然り、ジブリは自分の身体もすでに知っていること・身体性に働きかけてくれるように思う。

「5.悪はない、哀愁がある」

風の谷のナウシカに出てくるクシャナも、もののけ姫のエボシも、歳を追うごとにキャラクターの深みにはまり、ヒロインよりも好きになってくる。

純粋な処女と、大人を知った女の違いがそこには顕著に表れる。

クシャナもエボシも、世の中はそんなに甘くないということを知っている。
彼女たちには守るべきものがあり、自分が守れる範囲には限界があることを知っている。
彼女たちは自分が誰かにとっては悪であることを知っており、それを甘んじて受け入れている。少し寂しい笑みを口元に湛えながら。

ナウシカやサンは、純粋に怒っている。
自分がおかしいと思うことに対して本気で怒り、うまく生きようとすることを本気で嫌悪している。

かつては少女たちの気持ちのほうが共感できた。
今はどちらかというとエボシたちが愛おしくてならない。

自分は護るもののために血塗られても構わないが、少女たちの気持ちがわからないでもなく、己の信念を貫く凛とした純真さにまぶしさを覚え、自分にもそんな時期もあったと懐かしみながらも、大人になった今、二度と処女には戻れないことをすでに受け入れている姿を感じさせる。


少女の持つ無垢さへの憧れはまだあるけれど、ジブリを通じて女性の生き方もなかなか素敵じゃないと思わせてもらえるとは10年前は思わなかった。



人間に戻ること。それがきっとジブリの業

私がジブリにどうしようもなく惹かれてしまうのは、自分の本来持っているであろう様々な側面を思い出させてくれるからなのだろうと思う。なつかしいという感情を辿って。



人間に戻る。



それがジブリの業なのだ、きっと。


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