ありのままの自分を大切にするのが本来の姿 コラム2
コラム1ではありのままとは何か?ということを考えてみました。今回もその続きを考えてみることにします。
ありのままの自分というのは誰にとってのありのままだと考えますか?自分が思った通りの自分は「思うがまま」の自分で、わがままな自分に偏った考え方です。
また、多くの場合は、ありのままの自分というものを、親が望む自分と勘違いしている場合が多いです。というのは、子どもは親(養育者)なしに生きていくことができません。その親を喜ばせようと思って行動し、親に認められるように成長していきます。
もちろん、それで幸せなら良いのですが、その親を喜ばせないといけないという束縛によって、幸福感を得られない、緊張感があり、生きづらさを感じてしまうのです。
本来人間は、そのままで素晴らしい存在として造られたわけです。すると、その造り主が考えている姿こそがありのままではないかなと思うのです。つまり、自分が思い描くありのままではなくて、神様に思い描かれたありのままこそが、真にありのままだと思います。そして、それは根っこにある思いは同じでも、目に見えて表現されるものとしては、一人ひとり違ったものを描かれたのではないかということです。
前回、ありのままでいいは何もしないでいいとは異なるという話をしましたが、神様は何もしないために人間を造ったわけではないはずです。一人ひとりに与えられた使命─ミッションがあって、そこを生きるようにとなっていると考えられます。
「神様があなたに望まれたありのままの姿ってどんなものだと思われますか?」このことを心に留めて黙想してみると、どんな応答があるでしょうか。
頑張って自分を変えるのではなく、自分で良かったという思いが強くなる変化を味わっていくことで、結果として、何かに向けて頑張れる、本来の自分に造り替えられていくのではないでしょうか。
今回もお付き合いありがとうございました。
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