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教育はもっとシンプルじゃだめなのか?

学校に対する負荷がものすごいなと感じています。
世の中の流れを受けてグローバル、ICT、探究学習・・・・

私が小学生の頃のような先生が説明して問題を解くということでは通用しないから、教科横断、カリキュラムマネジメントなんかを言い出しています。

そして、一部の先進事例が正しいかのように取りざたされて、話題になる。それを真似しようという動きがさらに辛さをもたらしている。

世の中の課題
少子高齢化、環境問題、食糧問題、人権、戦争、格差・・・

世界に追いつけ追い越せと「有能」な人を教育しようという動きはどんどん加速している。

もっとシンプルにと思うのは、人間の生活の土台は衣食住。
その衣食住に目を向けた時、物を作る人、とりわけ第一次産業に携わる人が少ないというのが問題ではないか?

でも、今の教育は世界で活躍する人材を育てる
ような向きがあって、あまり足下の衣食住に向いていないんじゃないかなと。

第一次産業人口を増やそうという向きに教育も社会も至っていない。別に輸入に頼ればよいという考え方はあるが、グローバル化というのは、逆に社会が複雑になり、その維持にかかるコストの割にはもろい。それはコロナで痛感した。

子どもたちの中には自己実現に向けていろんな学びや活動を展開している子もいるけど、そうじゃない人は「遅れている」「考えが足りない」と落ちこぼれとして扱われてしまう。

別に夢がなくったっていいし、自己実現が必ず必要なのか?と。

与えられたもののなかで自分の幸せを見いだしていく力も大事なんじゃないかな。誰もが思い通りの人生を歩めるわけではない。

不登校や引きこもりの一つの理由は思い通りにならない現実への絶望があると思う。

現実が思い通りにならないということを受け入れたら克服することもできる。もちろん、他にも課題がある場合もあるかもしれないけど。

タイトルの話題に戻る。
つまり、世界で活躍できるクリティカルな思考ができる人材も必要かもしれないけど、ほとんどが日々の生活を支える存在となる。エッセンシャルワーカーが増えていく必要があると。

正常な生活を維持できるための社会の構成を育てるのに、
そんなにいろいろと勉強や経験をしないといかんのかな?ということ。

もっと学びをシンプルにして、学校でやることを減らして子どもに自由な時間を持ってもらいたいなと。

そうすれば学校が抱える、負担はもっと軽くなるだろうと。

という感じでつらつらと思ったことを書く。

じぶんのありのままの考えを表出してみた。

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