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『14歳の栞』竹林亮 超個人的な物語 @池袋シネマ・ロサ

久々の連休に心躍り、池袋まで足を運ぶまでに至った。
ただ、この映画を選んだ理由は、次の仕事が子どものドキュメンタリーっぽい要素があるからで、
観たいという純粋な動機が失われた時点でもうダメかもしれない。
今、自分が何をしているのかが分からなくなるほど働き続けている。
少し前髪が後退してきた。

あらすじ
こう題したものの、筋道はない。
映画の冒頭にあるように、ただ中学2年6組を一人づつ丁寧にフューチャーしていく。

ドキュメンタリーというと、
東海テレビの『さよならテレビ』のような報道としても成立するようなセンセーショナルなもや
NHKの『ドキュメント72時間』のような、出会った人に話を聞いて帰結があるものを思い描くが
この映画は始まらないし終らない。

SNSの発展のよって、どれだけリアルかが指標のひとつになった現代だからこそ生まれた作品なのかもしれない。

自分の人生や考えといった超個人的なことを歌詞にするヒップホップの流行も関係なくはないだろう。

感想
個人情報も盛りだくさんであるし、演技もなにもあるわけがないので下手な評価はできない。

生徒たちの思いを引き出し、
映画として形にさせるために撮影、編集をしたスタッフには頭が上がらない。

中高生のころ、漠然と自分が一番優れていると思っていた。
勉強、運動、容姿、コミュニケーション能力など
いわゆる、資本主義社会で根付いた人を図る尺度。
その一つ一つでは負けるやつはいるが、総合値では自分が一番上であると。
学校だけが唯一の社会の窓であった自分は
同級生の学校での一面だけを見て勝手に品定めしていた。
その後ろには家族、習い事、趣味、過去といった世界があることを気にもとめていなかった。

当時のあいつらの背景がこの映画では写し出されている。
明るそうにみえて、自分を殺して取り繕っている子。
不登校の子を引き戻そうと一人で行動に移している子。
学校では目立たないが、夢のために努力している子。
怪我をしたエースの穴を埋めようと努力する子。

などなど、全員すげぇカッコいい人間である。

数こそが正義だと信じ、徒党を組んで自分のやりたいことを押し通していた自分にとって
一人で行動できるやつはコンプレックスであり憧れだ。
そいつを越えようと、引き入れようと、
裸で雪の中にヘッドスライディングしたり、坊主にしたり、自作自演でサンタ見つけたと騒いでみたり先生に突っかかってみたり、タバコを吸ってみたり…


今考えれば明後日の方向であるが当時の自分は必死だった。
今でも似たようなことをしている。

見終わったあとに思うと、
自分と感覚が似ている子に共感しているという大人のエゴなのではないかふと思った。
ポカリのCMや甲子園など、大人の考えたものを子どもにやらせて、大人が喜んでいるだけなのではないか…と

そんな悩みはスタッフたちは熟考に熟考を重ねて
世の中に発信しているに違いないので下手なことは書けない。

話を戻すと、
人々にはそれぞれの背景があることは、社会人になった今でも、頭では理解しているが腹のなかでは理解できていないのかもしれない。

色々、食らいすぎて散文になってしまった。

スタッフが
「数年後またインタビューしていい?」
と、宇宙関係の仕事を志す子に問いかけると
「そのころには宇宙行ってるかもしれないっすよ?」
と言っていた。

間違いない。
クラス全員、手の届かないところまで行っているに違いない。


自分が何をしているか分からず働いてるなんて
彼らの言っていた「ダサい大人」だなよなぁ

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