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私と吹奏楽(6)

練習する楽器の音が休み時間や放課後に聞こえると、耳を塞ぎたくなった。
音がうるさいというよりは、音楽が好きだという気持ちを抑えるためだったのだろうか。音楽室の前を通ることも避けるようになった。大好きだった音楽の授業も少しだけ苦痛に感じた。音楽ができない今の身体で音楽を好きになりたくなかったのだと思う。音楽は1人でもできる。だが、誰かと奏でる音楽が好きだった。

色々あり、中学3年生は少しだけ部活に参加した。色々な理不尽に心が何度も折れそうになった。でも、この経験があったから、精神的にかなり成長できた。

厳しい中学生活を乗り越えると、部活に所属しないで良い(籍を置かなくて良い)高校生活が始まった。
高校生活は想像の5倍ほど大変だったが、とにかく毎日を懸命に生きた。勉強、勉強、勉強の日々。身体が辛く、本当に苦しかった。でも、必死に片道1時間かかる学校へ足を向けた。もしかしたら、また音楽ができるくらい体調が良くなるかも、と心のどこかでは希望を抱けていたのかもしれない。

結局、身体が耐えられず、高校3年生で転校した。転校先の高校では何をしていたのか、あまりにも薄い日々で思い出せない。だが、そこで見た軽音楽の演奏だけは学校生活での濃い記憶だ。

一応形にはなっていたし、期待していなかったためそこまで何も思わなかったが、あの演奏を人前で披露していいんだと思った。特別大きなミスもないが正直、完璧からはほど遠い演奏だった。おそらくただ単に練習量が足りていなかったのだと思う。

その時、気がついた。私はいつからか全てにおいて完璧でないといけないと思っていたのだと。特に演奏は、完璧じゃなきゃいけないと思っていたのだ。でも、その考えは間違いだった。本当は完璧じゃなくて、綺麗じゃない部分も見せていいんだ。気持ちが軽くなった。

体調はそれほど改善していなかったけれど、なんとなくこれからもなんとか生きていけるような気がした。


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