正月に甥っ子とサッカーして感じた「いまココ」。
突然だが、わたしは控えめにいって運動オンチだ。
一応小学校から大学生まで何かしらのクラブや部活に入ってスポーツに触れてきたけど、これといってなにか成果を残せた試しがない。
別にスポーツがキライというわけでは…、いや正直、体育の時間はキライだったかも。
単純に走るだけとかは全然苦じゃない。むしろ持久走とかは得意だった。生まれながらのMだったのかもしれない。
ただ壊滅的に球技が苦手。だから体育でバスケだのやられるとめちゃくちゃつらかった。あの時間って運動神経がいいやつはクラスのヒーローだけど、あんまり得意じゃない子からすると結構きつい時間なんすよ。
んで、体育もつらかったけど、より地獄だったのは小学生だった頃。昼休みにグランドでするサッカーだ。
子どもといっても残酷なもので、平気でチーム編成時に「とりっこ」というものをする。掛け声は地域性があると思うけど、うちの地元では「と〜とっとーとーりっこー♪」って合図のもとチームのリーダーがじゃんけんをして、勝ったほうからメンバーをひとりずつ選んでいく。
当然、運動神経がよかったり、地元のサッカークラブに入ってるうまい子が優先的に選ばれていく。まぁ合理的といえば合理的。
ただ真の地獄はこのあとで、たとえばそもそも最初に集まったメンバーが偶数だったらいいのだが、たまに奇数のときもある。その場合、当然ひとり余る。このタイミングで余る子は、必然的にサッカーがあまりうまくない、要は戦力にならない子だ。
ここで始まるのが「いる・いらない」だ。「いーるいらない♪いるいらない♪」のポップな掛け声のもとリーダーがじゃんけんして、勝ったほうがその残った相手をチームに引き入れるか決めることができる。
何が地獄って、勝ったのに「いらない」と言われてしまう当の本人の悲しさといったらない。あらためて書いてみるとマジでキツいものがあるし、時代や地域によっては問題視されたりするのだろうか?まぁとにかく、そのときはそういうルールで子どもたちなりの社会が成り立ってたわけだ。
わたしがその最後の一人になった経験があるかというと、正直覚えてない。ただ少なくともは選ばれるのは最後の方だったことは間違いない。確率的に多分何回かは最後の一人の洗礼も受けてるだろうと思う。
ただわたしは「とりっこ」で最後の方に残ることよりも、実際にプレーがはじまって、まともな活躍ができずチームメイトに迷惑をかけるほうがよっぽどいやだった。
厳しい子ども社会ではあったものの、さすがにブルー・ロックではないのでサッカーが下手だからといって舌打ちをされたり、胸ぐらをつかまれたりすることはない。
それでも、普通にパスされたボールを普通にドリブルできず、普通に他にメンバーにパスできない自分がみじめで情けなくていやだった。
そんなこともあって昼休みにグランドでサッカーするグループからはどんどん離れていった。
図書館で本を読んだり、別のグループと校内を鬼ごっこする、そんな小学生だった。それ以来、球技全般そうだけど、とくにサッカーには苦手意識をもったまま人生を送ってきた。
さて、ここまでが前置きだ。長い。話は現代に戻る。
今年の正月、妻の実家に帰省したときに7歳の甥っ子にサッカーしようとせがまれた。甥っ子くんはもともとサッカーが好きなのに加えて、去年のワールドカップによってサッカー熱はかなり熱くなってた。
ワールドカップ全く見ない勢でも、あの盛り上がりは聞き及んでるくらいだから、大好きなちびっこからしたら、そりゃもう大興奮だったことが容易に想像つく。
わたしは正直、気が進まなかった。「寒い・ダルい・めんどくさい」の三拍子だ。なによりもサッカーは色んな意味で苦手だ。
でもそれは情けないイチ大人の情けない都合である。目の前の純粋な目をした甥っ子には全く関係ないということで、重い腰をあげて近くの公園まで足を運んだ。
んで、ボールを蹴ってみたのだが、これがめちゃくちゃ楽しい…。
別に大人になって身体能力が急激に高まったから、とかない。むしろ体力は落ちてる。相変わらずドリブルもボールを見ながら進んでるし、トラップもうまくできないし、ヘディングはおでこ痛い。
でも楽しい。
パスがまっすぐ飛ばない。じゃあ次はこう蹴ってみたらどうだろう。お。きれいにまっすぐいく。こんな感じで、少しずつだけどボールに慣れていく感じがあった。
甥っ子くんも別にまだうまいわけじゃないから、お互いあっちゃこっちゃにボールがいっちゃうんだけど、それを全力で追っかける。これがもう楽しくてしょうがなかった。
甥っ子くんも「おじさん下手くそ〜」とか別に言わない。というかそんな余裕もない。お互いボールに夢中だ。
ふと「なんで小学生のときに、こんなふうに感じられなかったんだろう」って思った。
あのときはプレー中「パスがきて、うまくボールを回せなくてチームメイトに迷惑かけたらどうしよう」「うまくキープできなかったらどうしよう」「みんなに下手くそって思われたらどうしよう」ってなことばかり考えてた。
目の前のボールやサッカーについては、全然集中できてなくて、いつもちょっと未来と起きるかもわからない妄想の不安のことばかり考えてた。そりゃ楽しいわけがない。
下手くそでもなんでも目の前のボールをひたすらに追っかけて、思いっきり蹴ってみればよかったのだ。それが明後日の方向に飛んでこうが些末な問題で、もしうまくいかなかったら、次蹴るときにちょっと蹴り方を変えてみればいい。そしたらまた違う方向にいくかもしれない。
そういう一個一個の体の動きに意識を向けて、その結果を楽しめばよかったのだ。というかスポーツの本来の楽しさ・おもしろさって本来そうなのかなって今さらながらに思ったり。
「いまココに集中する」ってワードが流行って久しいけど、甥っ子とサッカーしてたときは、まさに「いまココに集中」できてた。だから、楽しかった。そして、小学生の昼休みは「いまココに集中」できてなかったんだろう。
今年のテーマがなんとなく「時間との向き合い方について考える」なんだけど、そのヒントになるような日だった。ありがとう甥っ子くん。
そんな年明けでした。
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